第123話 後頭部をぶん殴る痛快な味
「えっ?」
思いもよらない部分を突かれたせいか、カイランの口からは間抜けな疑問文が飛び出した。
「えっ、じゃないでしょ、えっ、じゃ。ルッ様の魔法を信じてないわけじゃなくて、万が一この姿で捕まって、うっかりした瞬間に正体がバレるかもしれないんだから、気をつけて悪いことはないってことよ」
「あ、そっか」
親切さいっぱいのジアの説明に反応を示したのは、意外にもルセテリの方だった。
ポンッと拳を叩きながら感嘆の声を上げるルセテリを見て、ジアは目を丸くした。
「ル、ルッ様?」
「い、いや。俺が全く予想していなかった指摘だったからな……」
予想していなかったというよりは、考えすらしていなかった部分だというのが正しいだろうが。
じっと自分を見つめるジアの視線を感じた。
いや、だから、いくら世界の代行者であるドラゴンだと言っても、すべてのことを知っているわけじゃないってば。
「まあ、色々と面倒なことにはなりそうですね」
窓の外で帝国軍のチンピラじみた振る舞いを観察していたカイランが、ベッドから降りてグーッと背伸びをした。
「面倒なことって……」
予想外に淡白な反応に、ジアは一瞬戸惑ったようにつぶやいたが、すぐに冷静さを取り戻した。
間違った言葉ではなかった。
万が一の場合をあえて例に挙げなくても、捕まったとしてもまた逃げれば済むことだ。
それくらいの実力は十二分に持ち合わせているし、何よりも魔法一発で全部なぎ払う自信もあった。
ただ、その過程で巻き込まれるのが面倒なだけだ。
「じゃあ、こっそり裏口から抜け出す?」
***
意気揚々と部屋を抜け出したところまでは良かった。
良かったんだけど……。
「バンッ!」
「たかが公国民の分際で、帝国と皇室のために働く我々の前を塞ごうというのか!」
ドアが粉々に砕け散る音と共に、怒鳴る帝国軍の隊長の怒声が聞こえてきた。
もちろん、その音がなくてもこっそり抜け出すのはおそらく失敗に終わっていただろう。
農場の裏手にも、農場で働く大半の人々が三々五々、手に太い棍棒を一本ずつ持ち、万が一に備えてか待機中だったのだ。
「おお、プーとル先生も下りてこられたんですね? それにカイラン若君まで」
昨夜、筋肉礼賛を並べ立てていた男だった。
男の手には木の棍棒の代わりに、鉄で作られた重い分銅が両脇についた物が握られていた。
男が絵まで描いて説明してくれた、あの筋肉鍛錬道具というものに似て見えた。
絵で見るよりこうして直接実物を見てみると、実感がひしひしと湧いてくるというか……あれで殴られたら折れるのではなく、骨が完全に粉々になりそうに見えた。
頭に当たればそのまま即死だろう。
「皆さん、ここに集まって何をしてるんですか?」
「何って、あの泥棒どもの手からピスタチャを守らなきゃならないんでね」
え? 急になんでピスタチャ?
「帝国から逃げた農民を捕まえに来たんじゃ、ないんですか?」
「いやいや、それは建前ですよ。公国に越えてきた以上、望めば公国で新しい身分を作ってやるんですが、一日や二日のことでもないし奴らもみんな知ってますよ」
「知ってるんですか?」
「全部知っててあの口実でやって来るんですよ。じゃなきゃ公国領を侵犯してくる大義名分がないですから」
それにしても、帝国からわざわざピスタチャ泥棒をするためだけに公国までご苦労なこったな? という考えがルセテリの頭をよぎった。
単にピスタチャを狙って来たのなら、下手をすれば国際問題にも発展しかねない渡河よりも、商団が通りかかる時を狙って強奪する方が簡単そうなのに?
「公国の最高の護衛がついた商団を襲うより、相対的に弱そうに見える農場民たちを襲う方が簡単に見えたんでしょうね」
ルセテリの考えを読んだのか、なぜか説明をしてくれる男の顔には緊張よりもワクワクしたような楽しさが浮かんでいる。
「でも、これって楽しいことですか?」
はあ、空気の読めない奴め。
カイランが途中で空気を読まずにポツンと割って入った。
男は空気の読めないことこの上ないカイランをじっと見つめると、頭を下げて声を潜めた。
「そりゃ、合法的に帝国軍をボコボコにできるチャンスじゃないか? ここにいる大半の奴らが、この瞬間をどれだけ待ち望んできたと思う?」
そう言われてみれば、ここに武器になりそうなものを一つずつ持って隠れている人々の顔には、不安や焦りよりも興奮と緊張でメラメラと燃え上がっている最中だった。
考えてみればここに集まっている農場の人たち、帝国の貴族の暴政に苦しめられて逃げ出してきた人たちだったな。
なぜかルセテリは、その心情を十分に理解して余りあった。
まさに、ルセテリがアウレリア公爵の後頭部を狙って力一杯ぶん殴ってやりたいという、あの気持ちと同じなのだ。
『この機会に俺も……?』
近くに転がっていた料理に使う麺棒を手に取ろうとした時、注意深くルセテリを観察していたジアとバチッと目が合った。
[それで何をするおつもりですか?]
[えーっと……断罪?]
[……それ、ルッ様が人に向かって下手に振り回したらスイカが割れちゃう(頭がカチ割れちゃう)から、置いてくださいね?]
はっ、スイカが割れるだなんて……いくら今は追われる身だとはいえ、帝国の皇女の口からそんな品のない描写が飛び出すとは。
[スイカだなんて……これただの威嚇用だぞ、威嚇用。使わないって]
[本当に使わないんですか?]
ギクッ。
ルセテリの心臓の片隅、見えもしない良心という部分がチクッと痛んだ。
[い、いや、ちょこっと触れるだけだってば、ちょこっと]
[力加減が難しいからって、昨日の夜ピスタチャの袋を一度に十数個ずつ運んでたのはどこのどなたでしたっけ?]
[コホン!]
ジアの顔色をうかがいながら、ルセテリは自分の腕よりも太い木の麺棒を大人しく置いた。
[やるなら確実に後頭部をぶん殴る方法を使わなきゃですね]
ああん? 今聞き間違えたか?
目を丸くしてルセテリがジアのいる方向へ顔を向けた。
[いくらなんでもスイカをカチ割るって言葉に、後頭部をぶん殴るだなんて……誰だ? 誰が子供にそんなこと教えたんだ?]
一歩間違えれば口からブレスが飛び出しそうなほど怒るルセテリに向かって、ジアは無言で指をスッと立てて指差した。
[ルッ様じゃないですか]
[俺がそうしたって? 俺がい……!]
声を出さずに竜言で火のように叫んでいたルセテリが、突然動きを止めた。
以前、皇宮にいた時にアウレリア公爵の後頭部を派手にぶん殴って一儲けしたことを思い出したからだ。
[あー、うむ。だから何をどうするって?]
バツが悪くなったルセテリの口調が突然大人しくなった。
手のひらを返すように態度が急変したルセテリを無言でジアがしばらく見つめ、やがて深いため息をついた。
[目立つようにやるより、目立たずこっそりやる方がもっと楽しくてワクワクするんじゃないですか?]
[こっそりやるって?]
[あるじゃないですか。魔・法]
人差し指を立ててそっと唇に当てながら、ジアは片目をウィンクしてみせた。
魔法という単語に、カイランの目が今にも飛び出しそうになった。
「魔法ですか?」
誰もが帝国軍の横暴に気を取られている隙をつき、カイランが恐る恐るルセテリに近づいて尋ねた。
まさか、本の中で描写されていたドラゴンのように火を噴いたり氷の柱を突き刺したりする、そんな魔法が実在するものだったとは!
カイランが目をギラギラと輝かせ、ルセテリにピッタリとくっついてきた。
[シッシッ! 離れろ!]
「本当に、本当に魔法があるんですか?」
[いや、こいつどうしたんだ? なら俺が嘘……いや、違うな。こっちまで来ると魔法を使う人間なんていもしないか]
くっついてくるカイランを引き剥がそうと奮闘しながら、ルセテリは手で額を押さえて呟いた。
現在この大陸で魔法という小さな芸を披露できるのは、ただコーセン公国の出身者だけだった。
それすらも、ここ南西部まで砂漠や危険な魔物がうようよしているフォンテンの森を越えてくる勇敢なコーセン出身者がいるはずがなかった。
「コツン」
[今、のんきにこんなことしてる場合?]
ルセテリの腕に絡みつこうとしていたカイランの後頭部にゲンコツを食らわせたジアが、首根っこを掴んで引っ張り、ルセテリから引き剥がした。
「いや、魔法……!」
「シーッ!」
ジアが不本意ながらカイランの口を手で塞いだ途端、ガシャーンと大きな音を立てて飛んでくるバケツが見えた。
「間違いなくこっちへ隠れるのを見たんだ!」
帝国軍が騒々しくバケツを蹴飛ばしながら近づいてきていた。
仲良く棍棒を一本ずつ手に持ち、今か今かと隙を狙っていた農場民たちは一瞬息を潜めた。
まるで自分の家の茶の間にでもいるかのように、あちこちに見える袋という袋に剣を突き刺してはゲラゲラと笑っていた。
当然、穴の開いた袋の中からは昨夜一生懸命作業したピスタチャがこぼれ落ちた。
その後を追い、大きな袋を手に持った兵士たちがこぼれ落ちるピスタチャを拾い集めた。
この光景を見た農場民たちは顔を真っ赤にして、帝国軍に向かって怒りを爆発させた。
「今一体何の真似してんだい?!」
「ああん? 今、畏れ多くもアルメニア帝国軍に歯向かおうってのか?」
訓練といえば暴食する訓練しかしていないのか、顔がテカテカと脂ぎっていたその隊長らしき帝国軍が、ニヤニヤと皮肉を言った。
気持ちとしては、息苦しそうなあの鉄の鎧に向かって、筋肉トレーニング器具だという鉄の分銅がついた器具をぶち込んでやりたかったが、ギリギリのところで一線を越えるか越えないかのチキンレース(様子見)をしているおかげで、誰もが簡単に一線を越えられない駆け引きをしていた。
直接公国民に手を出すのではない限り、先に攻撃することはできなかった。
もしそんなことをすれば、即座に帝国・公国間の戦争の始まりになってしまうからだ。
「どこに帝国民を隠しているか分かったもんか? 捜索する過程でこぼれ落ちた物を少しくらい拾って行くってだけなのに、大げさな奴らだ」
あの男には、あちこちでギリギリと歯ぎしりをし、今にも爆発しそうに筋肉を波打たせている人々が見えていないようだ。
だから勇敢にもあんな風に余裕をぶっこいて、ピスタチャの強奪でもしようとしているのだろう。
わずか数秒先のことすら考えられない帝国軍を見て、ルセテリは苦笑いした。
「無傷の袋に何てことするんだ!」
あちこちに穴がボコボコと開けられていくピスタチャの袋を見かねたカイランが、帝国軍の前に立ちはだかった。




