第122話 不法な襲撃
突然、ルセテリの眉がピクッと動いた。
ヘゼルの不穏(?)な考えを読み取ったのか、急に機嫌が悪そうだ。
「どうしたんですか?」
「いや。なんだか嫌な予感がするなと思って」
「嫌な予感ですか?」
嫌だというよりは、何か面倒なことに巻き込まれそうな予感とでも言うべきか。
「それより……お前はまだ、商団主が一番いいと思ってるのか?」
少し考え込むようにしていたカイランが、やがて首を横に振った。
「商団主より、もっと力のあるシェイクの方がいいような気がします」
よしよし、これでようやくこいつをここまで引きずってきた甲斐があったというものだ。
ルセテリの口元に微笑ましい笑みが浮かんだかと思うと、すぐに消えた。
ヘゼルの態度がずっと気になっていたからだ。
間違いなく何か企みがあるように見えるんだが……。
カルもヘゼルの突発的な行動に戸惑ったのか、ぎこちなく頭を掻いて笑って誤魔化そうとしているのが怪しい、怪しいぞ。
「ふう、全部食べ終わったならそろそろ寝に行こうぜ。明日も朝早く起きて働かなきゃならないんだろ?」
「あ、ああ。はい。うちの農場のモットーは『食った分だけ働け』なものでして……」
なるほど、お腹いっぱい食べたならその分しっかり働けってことか。
商団を運営しているだけあって、実に商人らしい考えを持ったシェイクだった。
会話を邪魔されたヘゼルの顔には未練がタラタラと滲み出ていたが、ジアを再び呼び止める名分は特になかった。
日が落ちてしまった農場の夜は、一寸先も見えないほどに真っ暗極まりなかった。
所々で赤々と燃え盛る松明がなければ、誰が誰だか顔さえ見分けられないほどの暗闇だった。
子供であるジアやカイランにとっては、とっくに床に就くべき遅い時間であることは間違いなかった。
だからこれ以上引き止めることもできなかったヘゼルは、寂しそうに舌打ちをするしかなかった。
「俺、まだ全然眠くないのに……。子供じゃないんだから」
ルセテリに手首を掴まれたまま、部屋へとズルズルと引きずられていくように歩きながらカイランがブツブツと文句を言った。
特に最後の「子供じゃない」という言葉には、ルセテリの目尻がピクッと吊り上がりさえした。
「だからって大人ってわけでもないんだから、大人しく上がって寝ろ」
ルセテリでなくても他の人が見れば、まだ十歳にしかならないガキだという事実に変わりはないじゃないか。
「こいつとですか?」
ルセテリの手に引かれて引きずられていたカイランが、人差し指をスッと持ち上げてジアを指差した。
パチクリ。
ルセテリがゆっくりと目を閉じて開けた。
「何だ? 何か問題でも?」
「大アリだろ、問題! こいつと同じ部屋を使わなきゃいけないんじゃないか!」
部屋に入ったカイランの必死の叫びにも、ルセテリは到底理解できなかった。
カイラン、こいつはどうして顔を真っ赤にして必死に部屋に入らないように足掻いているのか、と。
「いくらなんでもこれはないだろ!!」
「一体何がないって言うんだ? 何が問題だって? 俺たち三人で同じ部屋を使うことのどこが悪いんだ?」
「まさにそれが問題なんだよ! 同じ部屋を使うってことが!」
ギャーギャーとわめき散らすせいで、鼓膜が破れるところだった。
大声を上げるほどのことなのか、どうしても理解できなかったルセテリは呆れ果てた。
その呆れているルセテリを見るカイランはさらに呆れ果て、
無駄にルセテリに耳を引っ張られているこの状況が余計に悔しいだけだった。
「俺は男で、こいつは女じゃないか! どうやって同じ部屋を使えってんだよ!」
結局、恥を忍んでカイランが叫んだ。
ただの女ではない。
それもすでに一度告白してフラれた相手じゃないか。
いや、告白する前にフラれたんだったか。
順番はどうであれ、結果は同じこと。
一緒に部屋を使うなんてできるわけないだろ!
「ん? そうだったか?」
「そう……だったか? 何だよそれ!」
「今までずっと一緒に過ごしてきたのに、今更か?」
ルセテリの目にはああ見えても、今は完璧な『プー』の姿をした立派な男の子の姿のジアだった。
服を全部脱いで部屋の中で踊り狂うわけでもないのに、ルセテリはカイランがなぜあそこまで激しい反応を示すのか全く理解できなかった。
顔を真っ赤にしてまで。
「当然問題だろ。男と女なんだから……」
「一緒に寝たらなんだ、赤ちゃんでもできるとでも?」
ピンポーン。
いや、でも本当に?
ハッと驚く姿が、どうやら正解を当てられたとでもいうように、今にも爆発しそうなほど全身が真っ赤に染まった。
「純粋なの? それとも本当にバカなの?」
情けないというようにジアがため息をついた。
最近の五歳児だって信じない「手を繋いで寝ただけで赤ちゃんができました」じゃあるまいし、呆れて言葉も出なかった。
そうでなければ、公国の性教育は原始的だとか。
本当にそんなはずはないだろうけど。
「そ、それでも……」
「それでももクソもないわ。部屋で大人しく寝るだけなのに、あんた何か下心でもあったわけ?」
「違うっ!」
必死に首と手を横に振って否定するカイランを見て、ようやくルセテリはなぜカイランがあそこまで必死だったのか理解できた。
こんちくしょう、お前も一丁前に男だったんだな?
それなりに長い間見守ってきたカイランの成長が誇らしくなったルセテリは、指で鼻の下をスリスリとこすった。
「私がこっちで、あんたはあっち。そしてルッ様が真ん中! これで解決でしょ。今更そんなことで顔赤くして大騒ぎして」
ブツブツと文句を言いながら、ジアは部屋の真ん中に置かれたベッドの窓に近い奥の方へと這い上がった。
「ルッ様がここ真ん中に寝て、お互い越えなければ問題解決でしょ? 私眠い。寝るわ」
あくびをしたジアはそのまま布団をめくってベッドに入り、そのままスースーと寝息を立て始めた。
「そうだな、とっとと寝ようぜ」
ルセテリもまた長々とあくびをすると、未だに真っ赤な顔を冷ましているカイランを背に床に就いた。
***
「ドンドン! ドンドン! ドンドン!」
「領地から不法に逃亡した領民どもを捜索しろ!」
夜明けの霧がまだ晴れきってもいない早朝だった。
一晩中寝返りを打ち続け、なかなか寝付けずほとんど一睡もできなかったカイランが、両目をこすりながらボサボサ頭で起き上がった。
「どうしたんだ?」
外の騒がしい様子のせいか、ルセテリとジアはすでに起きてから随分と経っているようだった。
二人とも窓際から外の状況を窺っていた。
「帝国軍だ」
「えっ? 帝国軍ですか?」
寝ぼけて聞き間違えたのかと思った。
まさか本当に帝国軍が無断で公国領の国境を越えてくるとは想像もしていなかったからだ。
おかげでカイランの目からこぼれ落ちそうになっていた眠気が、パッチリと吹き飛んでしまった。
「ああ、本当に帝国軍がついにプラヤ川を越えやがったな」
「まさか……」
「まさかが人を殺すこともあるっていうわよ? 自分で見てみなさい。今あれが公国軍なのか帝国軍なのか」
ジアの言葉がなくても、目をこすって見直してみても、ダサく光る鉄の鎧の上にある黄色い房が帝国軍であることを証明していた。
さらには帝国軍であることを隠すつもりもないのか、農場のあちこちを引っ掻き回して横暴を働いていた。
「俺たちはただ逃げた奴らだけを捕まえて連れて帰ろうってんだ」
その中の頭目らしき、鎧を無理やりねじ込んだようなパツンパツンの汚い髭のハゲ男がニヤニヤしながら、部下らしき他の兵士たちに命令を下しているのが目に入った。
大勢ではなかった。
せいぜい今目に見える数だけで十四、五人といったところの少数が、農場を引っ掻き回していた。
見え透いた手口だろうが、万が一公国軍との衝突を避けるための言い訳づくりだということは、ルセテリには分かっていた。
魂胆が丸見えにもほどがあるだろ。
「朝早くから一体何の真似ですか!」
激怒したヘゼルの声が、ビリビリと農場に響き渡った。
静まり返った夜明けの時間帯だからか、声だけでもヘゼルがどれほど怒っているか分かるほど鮮明だった。
「フン! タレコミがあったんだ。この農場に帝国民が隠れているとな」
「ここにいるのはすべて公国民です! 騒ぎを起こさずさっさと帰っていただきましょう!」
「騒ぎだと? 確認さえすればすぐに帰る。だから協力しろ、公国野郎」
やれやれ、ヘゼルの額にピキピキとヒビが入る音がここまで聞こえてきそうだな。
男の無礼な言動は、ヘゼルを怒りの炎で一生懸命炙り立て、臨界点へと追い詰めていた。
見たところヘゼルだけでなく、ヘゼルの後ろに立っているカルや昨日会った体格の良い農場住民たちにも一生懸命うちわで煽っているようだから、近いうちに見ものな喧嘩が始まりそうだ。
「準備できたわ」
「よし、よし。じゃあ行ってみるか」
「え? どこへですか?」
ポカンとした目のカイランが、いつの間にか服を全部着替えて入り口から出て行く準備を終えたジアとルセテリの方を向いた。
「帝国軍が来たじゃない」
「でも?」
首を傾げてなかなか事態が飲み込めないカイランに、ジアはもどかしかった。
肝心な時に空気が読めないのはカイランらしいと言えばカイランらしいが、それとも自分は公国民だから最初から全く考えてもいないということか……。
「私はあんたとは違って、帝国軍に見つかっちゃマズいんだけど?」
「見つかる? その姿で?」
反対に理解できないのはカイランも同じだった。
ルセテリが変えてくれたジアの外見は、誰も疑わないほど完璧だった。
完璧に平凡な男の子に見えるのに、なぜ無駄な心配をしなければならないのか全く分からなかった。
「奴らが今探しているのは帝国民じゃないか」
「だから? 今は帝国の皇女の姿でもないだろ。何が心配なんだよ?」
やはりこういう問題においては単純なカイランだった。
手で額を押さえながら、ジアは深いため息をついた。
「皇女の姿でいたら大問題よ。連れて行かれるだけじゃ済まないでしょうから」




