第118話 クフタドッグ
「いや、その……、これはだな……」
しっかりしてちゃんと答えろ、ルセテリ。
そんな猛獣のような目で睨まれたら、ドラゴンの鱗の上から冷や汗がダラダラ流れ落ちてきちゃうじゃないか。
「これはだな、坊主、こうやって食べるんだって俺が教えてやろうとしてたところなんだよ。お前もやってみるか? これ、めちゃくちゃ美味いぞ」
ガタガタ震えていたルセテリの手から、カルがクフタをパッと奪い取った。
突然の予期せぬ変化球に戸惑ったのはジアの方だった。
ただあまりにもあからさまにたくさん食べないように、適度に食べろと注意しようとしていただけなのに、唐突なカルの出現に一瞬ジアの思考が停止してしまった。
『ここの農場の座右の銘は、ご飯を食べる時だけは誰の顔色も窺わないってことなんですよ』
片目をウィンクしながら、カルの巨体には全く似つかわしくない小さな声で囁いた。
『それに、ここの食費はすべてシェイク様持ちですから、心配せずに心ゆくまで召し上がってください』
問題は、そういうことじゃなかったんだけど。
そっとルセテリが持っていたクフタを下ろした。
何か言いたいことは山ほどあるが、口には出せないというように深呼吸を一生懸命しているジアが目に入った。
いくらシェイク・ミルザの奢りだと言っても、適当なところでやめておかないと……マズいよな?
「プーだったか? お前もこれ一口食べてみろ。ここの特製クフタホットドッグだ!」
「え? クフタ……ホットドッグ?」
目の前に突き出された、平べったいパンの間に挟まれたクフタにジアは戸惑った。
クフタホットドッグだと言って差し出されたカルの手を払いのけることもできず、大人しくそれを両手で受け取るしかなかった。
「俺の故郷には、パンの間に茹でた熱いソーセージを挟んで、マスタードをすりおろして作ったディジョンソースっていうのをかけて食べるホットドッグっていうのがあるんだ。それを思い出して一度やってみたんだが、炭の香りが肉に染み込んでるせいか、こっちの方が大ヒットだったんだよ」
「故郷……」
「ああ、故郷。俺も厳密に言えばここが故郷じゃないからな。帝国のルロアが俺の故郷さ」
意外だった。
外見だけ見れば間違いなくここ公国の人間だと思っていたのに、帝国出身だったとは。
いや、それよりここの農場には公国より帝国出身の方が多いんじゃないの?
「母親の方が公国出身だったんで、小さい頃は帝国に住んでたんですよ。それから自然と母の故郷である公国に来てずっと暮らすようになったんです。だから80パーセントは公国人……ですよね?」
視線を意識したカルが、パンの間にクフタを挟んだクフタドッグに赤い粉を振りかけながら説明した。
80パーセントどころか骨の髄まで100パーセント公国人じゃないのさ。
カルに倣ってパンの間にクフタを乗せ、白いソースをかけてから一口大きくガブッと噛みついた。
柔らかく薄いパンの間に挟まれた肉汁たっぷりの香ばしいクフタが、噛んだ途端にジュワッと口いっぱいに広がり、酸味のある白いソースがクリーミーな食感と共に楽しく口の中で絡み合う。
酸っぱくて、甘くて、しょっぱくて……そして辛い。
それぞれの味の饗宴が口の中で踊っている。
でもちょっと待って。
辛い???
「ル先生も辛味についてよく分かっていらっしゃる方だったんですね」
こっそりカルの動作を真似したことが問題だったと言えば問題だったのか、赤い粉の正体はまさにチリパウダーだったのだ!
「ゲホッ! ゴホッ、ゴホッ!」
口の中を襲撃したチリパウダーの猛攻に、ルセテリの口の中は火炎空襲警報が鳴り響いて大騒ぎだった。
「……ル先生、お水どうぞ」
見かねたジアが、大きなエールのジョッキに入った水一杯をルセテリの方へ押しやった。
そろそろ辛味に慣れてきてもいい頃じゃない?
公国の人たち、辛いのが好きみたいだけど。
あの甘いマンギフェラにまでチリパウダーを振りかけて食べるくらいだからねえ。
カレーにもチリパウダーがたっぷりと入っていたし、もうそろそろ慣れてもいい頃じゃないのかしら。
カルが渡してくれたクフタドッグを一口かじりながら、ジアは思った。
「おやおや、うちのル先生。辛味はまだ早かったみたいだな。ここは子供たちも平気で食べるもんだから、そこまで気が回らなかったよ」
そういう問題ではないと思いますけどね。
エールのジョッキに入った水一杯をガブガブと全部飲み干して、ようやく少し落ち着いた。
突然の奇襲攻撃に頭がクラクラしたものの、最初に受けたあの強烈な衝撃よりは少しマシになっていた。
それでも、うう……ヒリヒリする。
「俺たちはこのチリパウダーがなきゃ生きていけないんだ。きつい仕事をしてストレスが溜まった日には、思い切り食べてこそ力が湧いてくるからな」
理解不能。
どうして辛味がストレス解消の役に立つって言うんだ?
「全くだ。このチリパウダーがなけりゃ料理にならないよ」
空いた皿を再びいっぱいにして去っていくミルネおばさんもまた、チリパウダー礼賛を繰り広げた。
「俺が言っただろ、プレシア商団で一番よく売れる品物がチリパウダーだって」
そっとカイランが割って入り、さりげなく自分の商団の自慢を並べ立てた。
いや、全部に同意するのは難しいけど、これだけは認めざるを得ないわね。
周りを見渡せば、全員が見ているだけでゲホゲホと咳き込みそうになるほど肉に赤々とパウダーを振りかけているのを見れば、納得できた。
少なくともここ公国においてだけは、認めよう。
カイランの言葉に頷きながら、人知れずルセテリはクフタについたチリパウダーを振り落とした。
不味いというわけではなく、まだこれほどの辛味を自分が受け止めるには手におえなかった。
なんだかこのヒリヒリするほどの辛味を、誰かさんはすごく好きになりそうな気もしたけど。
そうやって人知れずルセテリがクフタから粉を振り落としていた時、もじゃもじゃの髭を生やし、他の人より背は一回り小さいずんぐりとした男が一人、一行に向かって重そうな体でよちよちと歩いてきた。
太っているというよりは、鉄を扱う仕事でもしているのか、ひときわ腕の筋肉とふくらはぎの筋肉がパンパンに見える変わり者のように見えた。
「クワラン爺さん」
ヘゼルやカルが嬉しそうに挨拶をするのを見ると、こちらも農場で重要な地位にいる人物のようだった。
「帝国の話が出たついでに言うが、最近国境の部隊の動きが非常に怪しい」
「怪しいですか? どのように?」
「連中なりには俺たちに気づかれないと思ったのか、兵力を少しずつプラヤ川に集めている」
粉を振り落としていたルセテリの手がピタリと止まった。
まさかアウレリア公爵側が、公国にジアがいるという事実に気づいたわけじゃないよな、まさか。
無意識のうちにクフタを振り落とすルセテリの手に緊張感が漂った。
「プラヤ川ですか」
「ああ。ざっと4千くらいってところだ。そのうち槍兵だけで2千だ」
「近いうちにここを攻めるってことですね?」
「そういう魂胆で軍隊を配置しているんだろうさ」
「理由なら……見え見えですね」
「それ以外にどんな理由があるってんだ、同じだろうよ」
三人は同時にため息をついた。
面倒くささいっぱいの彼らの顔を窺っていたカイランは気になった。
帝国がなぜこんな農場にしきりに執着しているのか。
「理由って何ですか? こんな農場、帝国が狙う理由なんてなさそうに見えるけど」
帝国から見れば、たかが農場の一つ、ただ帝国から逃げ出した領民が何人か隠れ住んでいるようなそんな小さな村に過ぎないじゃないか。
三人の目が一斉にカイランへと向けられた。
その眼差しには、まるで「まだ子供だな」という考えが込められており、これから教えなければならないことが山積みであることを直感させた。
どうして考えることがカイランの性格通りに単純極まりないんだろうか。
手で顎を支えたヘゼルがカイランの目をじっと見つめた。
「未来のシェイク様は、単に帝国から逃げた農民を捕まえるためだけに兵士を送ったとお考えですか?」
「それ以外に、別の理由があるのか?」
「……プレシア公国の未来様は、性格が実に直球でいらっしゃるんですね」
直球に見えるんじゃなくて、無鉄砲で猪突猛進しかないんですけどね?
ジアは一言言ってやりたくて口がうずうずしたが、グッと我慢することにした。
無駄に出しゃばって、またカイランの嫉妬混じりのやっかみを受けたくはなかった。
「そういえば、カイラン様は今年おいくつで……?」
「10歳だ。これくらいなら俺ももう立派な大人だぞ」
瞬間、賑やかだった雰囲気が一瞬にして冷や水を浴びせたようにシーンと静まり返った。
クフタを持っていたルセテリの食欲があっという間に失せるほどだった。
「カイラン……」
出るべき時と引くべき時というものがあるのに、この空気の読めない後継者はどうして出しゃばるのだろうか。
「帝国が何のために、たかが領民が数人逃げたくらいを口実にして、狂ったように兵士を国境の向こうに送るってんだ」
静かにカイランの耳たぶを引っ張りながら、ルセテリは歯を食いしばった。
同年代と比べればかなり力持ちの方だったカイランだが、ドラゴンであるルセテリの前ではただの子供に過ぎなかった。
あ、同年代という言葉は取り消し。
こいつ、ジアにも負けてたっけ、確か?
「いや、それ以外なら何だって言うんだよぉ……」
ズルズルと引きずられながらも、悔しいのか耐えてみようと足に力を入れるカイランだったが、通用するはずがなかった。
「当然それを口実にこの農場を乗っ取ろうとしてるんだろ。誰がたかが領民数人捕まえるためだけに軍隊を送るか」
「ええっ? この農場が何だって言うんだよ? ここにダイヤモンドや金の鉱山でも埋まってるってのか?」
「ダイヤモンドや金じゃないが、それと似たような価値があるものはあるな」
ルセテリは目を閉じて頷き、ヘゼルの言葉に激しく共感してあげた。
俺たちがなぜここまで苦労して来たと思ってるんだ!
こんなに空気が読めないとは……。
「ピスタチャだ」
「ピスタチャだって? たかが?」
なんだ、たったそれだけのためかと小馬鹿にするようなカイランに、ルセテリはゲンコツを一つお見舞いした。
「たかがって。来る途中で見たけど、結構高いみたいだぞ」
「高いって言っても所詮はピスタチャだろ、そんなもんで……」
「たかがそんなものでも軍隊を送るのが帝国っていう国なんだよ。バンバンジーの腸(心が狭い)みたいに度量が小さい国だからな」




