第117話 謎だらけのヘゼルの正体
そうだった。
いくらソラレティが無責任に何も考えずに渡した物だとしても、まさか適当な物のはずがない。
間違いなく何か特別な仕掛けでもして渡したに違いない。
「あ! そうだ。神殿にいた時に記録書を盗み見たことがあったんですが……」
えっ、何だって?
ヘゼルの言葉が終わるよりも早く、ルセテリの上半身が前へ飛び出していくところだった。
こうなると、ヘゼルの過去がかなり気になってくるじゃないか?
驚いたのはルセテリだけではないようだ。
横でエールをガブガブと飲んでいたカルまでもが口からエールを吹き出し、汚らしく手でサッと拭って目を丸くした。
「何を……盗み見たって?」
「記録書です」
その割にはやけに堂々としてないか?
ヘゼルの態度は、ルセテリの好奇心を掻き立てるのに十分だった。
「失礼ですが、ヘゼルさん?」
「はい?」
「アウレリア公爵領から脱出してきた農民だとおっしゃっていませんでしたか?」
「そうですが?」
それがどうかしたかというように、ヘゼルは首を傾げた。
「ヘゼルさんの話の中に、神殿に関する話が多いもので」
「ああ、それですか? 私は孤児だったんです」
孤児……。
その一言で、すべてが整理できた。
遊戯(人間界への旅行)に出る前、人間世界を知るために勉強していた本には、女神デメステルを仕える神殿があり、それらの神殿では親を亡くしたり何らかの理由で孤児になった子供たちを神殿で育て、成人すれば社会へ送り出すという奉仕活動をしているという文章を見たことがあった。
神殿の神官たちはそれを、女神様の慈悲深い恩寵を施しているのだとかなり威張っていたようだったが……。
「神殿で育ったのですか?」
「はい。生まれてすぐに神殿の門の前に捨てられていたのを拾って育ててくれたそうです。まるで恵み深い女神様の恩寵が私に降り注いだかのようにね」
なぜだかヘゼルの言葉の中から、骨の髄まで染み込んだ憎悪のようなものが感じられるんだけど?
ニコッと笑いさえしている。
鳥肌が立つほど……。
「記録書によれば、即位式のたびに守護のネックレスを持っていた者たちには、空から金色の光が降り注いだとありました。昼夜を問わず。それはもう、眩いほどに」
ふむ、さすがソラレティ様、いかにもあの方らしいとても華やかなアーティファクトだな。
それだけでもソラレティが与えた証であると確信できた。
そういうことなら、偽物のネックレスを持ってきたとしても、百回千回死んで生き返ろうとも真似するのは難しいだろう。
もちろん、魔法使いを別途雇ったと言うなら話は別だが、ご存知の通りこの時代に魔法使いというものはほぼ絶滅した存在も同然じゃないか?
アウレリア公爵側が焦るのも無理はなかった。
ネックレスを見つけられなくて。
「それは、本当に言い逃れできない 証拠になりそうですね」
「ええ。だから偽物のネックレスを持ってきたところで、神殿ではその光を見るまでは認めてくれないでしょうね」
「じゃあ、神殿長とグルになって詐欺を……」
「とんでもない、そんなことしたら神罰を受けますよ。これでも名ばかりとはいえ神殿長という立場なんですから」
カイランの奴め、意外と思いもよらない盲点をズバズバと突いてくるなんて、ただ者じゃないな。
もちろん、だからといって賢いという意味ではないが……コホン。
ルセテリはチラリとジアの顔色をうかがいながら、講義を続けた。
「じゃあ、軍を動かして皇室を掌握しても皇帝になれなかった公爵は、どんな状況に陥るだろうか?」
「貴族たちとした約束を……守れないってことに、なりますよね?」
「その通り! 軍隊を貸してもらう代わりに乱発したであろう約束を守れなくなるってことさ。おまけに皇帝じゃないんだから、皇室の財産も自由に使えないだろうし」
だから一言で言えば、今アウレリア公爵はケツに火がついている(ひどく焦っている)ってことだ。
「だから借金が多いってことか?」
「それに伴って、貴族間の信用度もガタ落ちしてるってわけさ。これで分かったか?」
カイランでも分かりやすいルセテリ式の政治講義はここで終了。
ようやく理解できたというように、それなりに深刻な顔でしきりに頷いているカイランを見るルセテリの胸が誇らしくなるのが感じられた。
「うるさい話は抜きにして、さっさとご飯でも食べなさいよ」
ドンッという音と共に、ルセテリの前には再び大きなお皿の上に山のように積まれた、ひき肉の串焼きのようなものが置かれた。
止める暇もなかった。
どこから現れるのか、積んでも積んでも肉の山は不思議なほどに消えることなく、ただ積み重なっていくばかりのように思えるのはただの気のせいか??
ルセテリだけがはしゃいでるってわけさ。
「そんな話、何だって言うんだ。人間、よく食べてよくクソするのが一番だってこと知らないのかい? 隣の国の話なんて知ったこっちゃないね」
「まあ、確かにそうだな。何百日ここで喋ったところで解決する話でもないし」
「ミルネの言う通り、人間よく食べるのが一番だ。ここにいる先生みたいにな!」
ガッハッハと笑いながらエールを引っ掛けていた男が一人近づき、ガツガツとケバブを吸引していたルセテリの背中をバンバンと叩いた。
突然の親愛の情の表示に、ルセテリは危うく噛んでいた肉の塊が口から飛び出しそうになったのを、間一髪で手で防ぐことができた。
「ここのこの、羊肉を挽いて味付けして焼いた串焼きはクフタって呼ぶんだけが、味はどうだい、先生?」
ああ、この細かく挽いた羊肉の串焼きをクフタと呼ぶらしい。
柔らかく挽かれた肉が口の中でプリプリと弾み、歯茎の間を駆け抜ける食感が非常に興味深かった。
何よりも、肉が原型を留めないほど細かくすり潰されているのではなく、刃で叩いて噛みごたえを残しているのが大きな魅力だった。
それだけでなく、肉の中には様々な薬草も刻み込まれており、羊肉の臭みを爽やかで香り高く抑えてくれているため、いくらでも飽きずに胃の中へと流し込むことができた。
少し飽きてきたと思えば、半月型に切ったリモナの汁を絞ってかけたり、酸味のある白いソースにポチャンと浸して食べたりすれば最高だった。
「独特でしょう? うちの農場で作るクフタにはピスタチャも入ってるから、もっと香ばしくて噛みごたえが抜群なんですよ」
どうりで、噛みごたえが違うと思った。
噛むたびにナッツの香ばしさと風味がフワッと上がり、ともすれば挽き肉が与えがちな物足りなさに多彩な食感を与えていた。
女が持ってきた皿の上に積まれていた肉がなくなるのは一瞬だった。
「おい、ミルネ! こっちの先生の肉がもうなくなったぞ!」
横でルセテリの背中をバンバン叩いていた男が、前に置かれた皿が空になっていくのを見ると、大声で女を呼びながら手を大きく振ってみせた。
「ええっ? もう?」
「あれくらいじゃいくらにもならないだろ? ドンドン持ってこい!」
「分かったよ、分かった。ちょっと待ってな」
ジアの顔が真っ赤に染まった。
どうしてすべての恥は私が被らなければならないのよ。
間違いなく、これについての深刻な討論が必要になりそうだわ。
ギリッ、ギリギリッ。
どこからか鉄串を噛み砕く音がやけに大きく聞こえてきた。
「うちの農場はよっぽどのことがない限り、働き手のご飯を飢えさせるようなことはなくいつもたっぷりあるから、心配しないでちょうだい」
ミルネと呼ばれたおばさんは、再びルセテリの前に巨大なケバブの山を積んできた。
ルセテリに向かって鋭い視線を送っているジアを意識してか、腰に両手を当てたまま豪快に笑いながら説明を続けた。
「ここに来たほとんどが飢えに疲れ果てて逃げてきた働き手たちばかりだから、食べるものだけは絶対に切らさないようにしてるからね、この程度は何でもないさ」
「その通りだ。初めて来た奴らはみんな、お腹がはち切れそうになるのも気づかないくらい食べ物を詰め込むんだ。この腹の肉も、ここへ来てからついたもんだからな」
男は前にポコンと突き出たタプタプの腹の肉を揺らして見せながら、ガッハッハと笑った。
「そうだそうだ。みんなここまで来るのにガリガリに痩せ細ってて、スケルトンが現れたのかと思って何度もびっくりさせられたからな」
「だからここの農場主であるシェイク様が、食べるものだけは惜しみなく施せって言って、蔵に1ミリの隙間もないくらいぎっしり詰め込んでくださるんですよ」
「おかげで楽園だと噂になって、帝国の領民たちで溢れ返ってるんだ。ここに来た奴らはみんな脂が乗ってツヤツヤしてるぞ」
「そうだろ。この脂まみれの腹。これ見えねえのか」
その言葉に、人々は一様に腹を叩く男を見て笑い始めた。
間違った言葉ではなく、ここで笑い合っている人々の中にガリガリに痩せ細っている者は誰もいなかった。
少し肉がつきすぎているようにも見えたが、血色も良く健康そうで、何よりも厳しい農作業で鍛え上げられた筋肉(?)たちが……ん? 待てよ。
「実はあの人たち、万が一に備えて軍事訓練も受けているんですよ」
そっとそばに近づいてきたヘゼルが、ルセテリの耳に囁いた。
「軍事……訓練?」
「ただでさえ暇さえあればピスタチャを狙って盗みに来ていた帝国兵たちが、今度は逃げた領民を口実にしてしょっちゅう越えてくるもんで厄介だったんですよ。一石二鳥とでも言いますか」
どうりで、ここの農場の人たちから感じられるオーラが普通じゃないと思った。
あのミルネと呼ばれていたおばさんを見ただけでも、あれのどこが平凡な農場の女将さんの筋肉に見えるってんだ。
麺棒を持って空中に振り回しながら大地を蹴って飛び出していくおばさんにしか見えなかった。
嘘をほんの少し、ほーんの少しだけ付け足して。
「みんな学ぶのにとても熱心なんですよ。時々ここで、農作業じゃなくて軍隊からスカウトでも来るんじゃないかと思うくらいですよ」
「いや、いや、思うんじゃなくて、この前分隊長がリッカスに軍で働いてみる気はないかって言ってたぜ?」
「リッカス? あ、ああ……あの子? それもそうだろうな。農場に来る途中で帝国軍に両親を二人とも殺されたって言うじゃないか」
ヘゼルとの会話に割って入ったカルの言葉を聞いていたルセテリは、噛んでいたクフタをゴクリと飲み込み、理解したというように頷いた。
確かにそれが俺の話だったら、親を殺した不倶戴天の敵に向けた燃え上がる復讐心で歯を食いしばって訓練を受けただろうな。
チラッと見渡すだけでも、そんな奴らが一人や二人じゃなさそうだが。
目で一生懸命周囲を観察しながらも、ルセテリの手は絶え間なく串に刺さったクフタを抜き取っていた。
「ルッ……先生? 何してらっしゃるんですか?」
目の前で歯を食いしばったまま怒りを抑え込んでいるジアが、視界に入るまで。




