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第116話 守護のネックレス

「皇帝から次代の皇帝へと秘密裏に受け継がれてきたものだから、実物を見たことがある人は神殿長以外にはいないんじゃないか?」


ヘゼルの言葉に安心したのか、ジアは服の中に隠されたネックレスのペンダント部分をギュッと握りしめた。

ヘゼルはそんなジアの様子を興味深そうに見守りながら言葉を続けた。


「アウレリア公爵の立場からすれば腸が煮えくり返るだろうが、皇位継承の3つの条件のうち最も重要な守護者のネックレスがなければ、元の木阿弥だからな」


ヘゼルは肩をすくめてニッコリと笑ってみせた。

まるで、全火力を注ぎ込んだというのに望むものを何一つ手に入れられないアウレリア公爵が「いい気味だ」と言わんばかりの表情だった。

いや、いい気味だと思っているのはルセテリも同じではあるが……。

いくら人でなしだとはいえ、一国の、それも帝国の公爵ともあろう人物なのに。


「ククッ」

「いい気味ね」


あちこちの人から随分と扱いがひどいな、おい。

自業自得だとはいえ、あの豚公爵にとってはかなり過分な関心だ。

さらにはヘゼルまでもが、嬉しくてたまらないというように口角をピクピクと上げている。

そう思っているルセテリ自身もまた、気の毒だとか可哀想だというよりは「いい気味だ」と思っているのだからお互い様ではあるが。


「おそらく公爵は、あちこちで相当損害を被ったんじゃないですかね?」


カルまでもが顔を背けて、クスクスと肩を揺らしていた。


「金だけじゃないだろうさ。おそらくあちこちで信用も相当失ったはずだぜ?」

「信用ですか? なんで信用が? 帝国の公爵くらいになれば財産もかなりあるんじゃないんですか」


静かに目をキョロキョロと動かして状況を見守るだけだったカイランが、好奇心を抑えきれずにパッと手を挙げた。


「ふむ、大人の事情とでも言うのかな?」

「いいんじゃない? これでも将来公国のシェイクになるお方なんだから」


珍しく未来のシェイクという言葉が出たにもかかわらず、カイランは大人しかった。

シェイクにならなければならないという言葉にうんざりしてあんなに嫌がっていたのに、どうしたことか今回は口をギュッと結んでじっと座り、ヘゼルとカルの次の言葉を待っていた。


「まあ、知っていて特に問題になることでもないか」


ヘゼルの視線が、緊張でカチコチに石のように固まったカイランへ向けられた。


「おいおい、若君。そんなことも知らないのか?」


カイランの向かい側でエールをちびちびと飲んでいた男の一人が、エールに酔ってトロンとした目つきでカイランを見つめ、からかうように話しかけてきた。


「おいおい、ジーク。あんた酔ったのか? 子供相手に何の因縁だよ?」


因縁だったの?

全くそうは聞こえなかったけど。

モグモグ、モグモグ。


割って入ってバカなカイランに説明でもしてやろうかと思ったが、ルセテリは手に持っているケバブの方を選んだ。


[こういうのは先生であるルッ様が教えてあげる分野じゃないんですか?]

[お前は俺が教えてやらなきゃ分からなかったか?]

[あいつは私じゃないでしょ]

[こうしてる方が早く覚えると思うぞ?]


ちゃっかりと最後に残っていた肉を串からスッと抜き取り、素早く口の中に放り込むルセテリだった。

ルセテリが説明してやるよりも、こうやってあちこちでぶつかりながら体得していく方がカイランのためになる。

後々まで骨に刻まれ、魂に刻印される教育現場になるだろうぜ?

ドラゴンの十二本の指を全部賭けてもいい。


「因縁って何だよ? シェイクの息子さんなら当然知っているべきことじゃないのか?」

「子供じゃないか。まだ学ぶべきことが多いんだから」

「それでもシェイクくらいになる立場なら基本だろ」


あのジークという男の言う通りだ。

少なくとも公国の首長であるシェイクの息子だと言うなら、当然知っているのが正しい。


顔を真っ赤にしたカイランがうつむき、ルセテリの横に恐ろしいほど積まれている串の山を睨みつけた。

この串という代物が、こちらの地方では丸くて長い形ではなく、まるで細長い刀のような形をしているからか、下手をすれば串を持って決闘でもしようと言い出しかねないな。


「知らないこともあるでしょう、知らないことも。知らないのに知っているふりをするよりはマシじゃありませんか」


張り詰めた空気を読んだのか、ヘゼルが素早く収拾に乗り出した。


「チッ、誰も文句なんか言ってないだろ」

「アハハ。カイラン様、こいつ、帝国から来たばかりの新人なもんで、少しひねくれてまして。どうかご理解ください」


違うわ、ひねくれてるんじゃなくて正論よ。


ルセテリはジークという男に拍手でも送ってやりたかった。

当然知っているべき知識であるはずなのに勉強をサボった結果というか、因果応報だ。


「さあさあ、美味しい食べ物を前にしてピリピリしないでください。エールもぬるくなったら美味しくないですから、さっさと今日を楽しみましょうよ、皆さん。明日も朝から忙しいんですから」


カルがエールのジョッキを高く掲げ、冷え切った雰囲気を盛り上げるために乾杯を叫んだ。

そういえば収穫期だと言っていたな……しばらく忙しくないと言うなら、それこそ問題があるのだろう。


「カイラン」

「はい」


ルセテリの呼びかけに、何が不満なのかカイランの両頬がプクッと膨らんだ。

不満というよりは恥ずかしさからだろうが。


「アウレリア公爵が金持ちなのは確かだ。帝国で皇帝よりも金を持っているかもしれないという噂もあるくらいだしな。とにかく二番目の金持ちであることは確かだ」

「じゃあ信用は確実なんじゃないですか?」

「もちろん信用は確実だろうな。何もしなければの話だが」

「……?」


カイランの顔にクエスチョンマークがたくさん浮かび上がる。

カイランの頭ではこれが限界だろうか……?

ルセテリは確実にカイランのための現場学習を続けた。


「軍隊を動かすには金が必要か、必要じゃないか?」

「うーん……兵士たちにご飯も食べさせて、武器も与えて、給料も払うなら……必要ですよね?」

「そうだろ、金が必要だ。大金がな。普通、公爵家の騎士団を運営するには、公爵領から出る金だけでも十分だろう」


腐っても鯛と言うように、カイランの目線に合わせたジアの説明がなくても、ルセテリはバカなカイランでも分かりやすく説明を続けた。


「じゃあ、ここで問題だ。公爵が所有する騎士団だけで、皇室騎士団を相手にできるだろうか?」


まさか単純な算数の問題なのに分からないなんてことはないよな。

でもカイランだからまさか、もしかして?


「それは無理でしょう。皇室に騎士団だけがあるわけじゃないだろうし」


ああ、良かった。

そこまでバカじゃなくて。


「なら公爵がバカでもない限り、皇都へ攻め込むのに自分の騎士団だけを連れて行くわけがないし、どうしても他の貴族たちと手を結ばなきゃならないだろ?」


答えの代わりにカイランは一度こくりと頷くことで代えた。


「じゃあ、その莫大な部隊費用は誰が負担しなきゃならないと思う?」


この質問にはやはり、カイランもすぐには答えが出なかった。

少し考え込むようにじっと頭をフル回転させると、消え入りそうな声でようやく口を開いた。


「各部隊の貴族たち……?」

「半分正解で半分間違いだ。本来ならこういう場合、すべての費用は公爵が負担するのが筋だが、いくら公爵が金持ちだといっても、その莫大な費用を一人で負担するのは無理な話だ」


おまけにあのケチな公爵が、払えと言われて全額払うはずがない。

当然、あちこちで使える手はすべて使ってやりくりしたに違いない。

他の人もいる前で公爵をドケチなアメンボだと呼ぶわけにもいかないしな。


「おそらく手を結んだ貴族たちと適当に妥協しただろうさ。俺なら、自分が帝国の皇帝の座についたら領地を与えるとか、爵位を上げてやるとか、そうでなければ皇室の宝物を与えるとか……そういう約束をしただろうな」


それでようやく理解できたのか、カイランがじっとルセテリに向かって目を輝かせながら頷いた。


「ところが、皇位継承に必要な条件が一つ消えてしまった。どうなると思う?」

「うーん……困ったことに、なるんですよね?」

「困るだけだと思うか? 状況がどんどん悪化していく中で、公爵としてはあちこちの顔色をうかがわなければならない状況に陥ったってわけさ」


顔には出さなかったが、ルセテリは上腹部がひどく引きつってきた。

どうすることもできず、八方塞がりで怒り狂って暴れ回っている公爵の姿が目に浮かんだからだ。

その姿が痛快で、笑いをこらえるのにお腹が痛かったのだ。


「でも、その守護者のネックレス?? それを無視して、適当なものを持ってきて『これがそのネックレスだ!』って言って誤魔化すこともできるんじゃないですか?」


誰も予想しなかった盲点に、全員の視線がカイランへと集まった。

突然集まった視線にプレッシャーを感じたカイランの肩が、ビクッと縮こまった。


もしかして、俺何か悪いこと言った? という表情になってジアを見たが、ジアはあっさりとカイランの視線を無視した。


意外と突いてみた虚が大当たりだったからだ。

あの子はバカみたいにぼんやりして見えても、時々無駄に鋭い時があるのよね。


「そうだな。そう言われてみれば、そういうこともあり得るな。誰も守護のネックレスがどんな形をしているのか知らないなら、ただ適当なものを持ってきて守護のネックレスだと言い張ればいいだけじゃないか」

「確かにな。知ったこっちゃない。確認する方法があるわけでもないし」


人々はカイランのアイデアに浮かれたように、あちこちで騒ぎ始めた。

ただルセテリだけが、人々が騒ぐ声にも微動だにする気配がなかった。


[ルッ様?]

[ああ]

[ルッ様は、何ともないんですか?]

[何が?]

[守護のネックレス。あれ、私が持ってるじゃないですか]

[だから?]

[心配じゃないんですか?]

[何を心配しなきゃならないんだ?]

[奪われたり、あるいは偽物が現れる可能性についてですよ]


いくらあのネックレスが取るに足らないみすぼらしいものに見えるとしてもね……。


[心配することなんてあるかよ? 名ばかりでもドラゴンがくれたものなのに、誤魔化せるわけないだろ?]


全くその通りだわ。

無駄な心配だったわね。

どこの命知らずな人間が、ドラゴンの物を偽ろうとするっていうの?


ルセテリは焦る様子もなく、ただ太平なものだった。


[分からないじゃないですか?]


まん丸に見開いた両目で穴が開くほど見つめてくるジアに向かって、安心しろとばかりに手を振ってみせた。


「なんとあのドラゴン様が下さった品だというのに、まさか適当なもののはずがないだろう?」

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