第114話 ドラゴンとアルコールの相関関係
「ドテッ! バシャン!」
「カーッ! バサバサバサッ!」
スローモーションのワンシーンのように、ジアの目の前でルセテリが地面に向かってうつ伏せに倒れ込んだ。
大きな丸太が倒れるような音が聞こえたかと思うと、続いて地震でも起きたかのように大きく地面が揺れた。
そのせいで周辺の茂みに隠れていたカラスたちが、一斉に騒がしく空へと飛び立った。
まさか、今エールを一杯飲んだだけで、天下無敵のドラゴンがぶっ倒れたの?
ジアはゆっくりと瞬きをした。
間違いなくルセテリは今、みっともなく地面に顔を押し付けて倒れていた。
ポリモフ(変身魔法)をしているとはいえ、ドラゴンの重さと質量が変わるわけではないようだ。
地震でも起きたかのような地面の揺れに、平和にシシケバブを楽しんでいた農場の人々の間では小さな騒ぎが起きた。
ざわめく声と共に時折小さな悲鳴も聞こえてきたが、やがて静まった。
最初は驚いた人々が周囲を警戒して静まり返ったが、すぐに何も起きていないことを確認すると、再びワイワイとケバブパーティーを楽しみ始めた。
「地震でも起きたのかと思いましたよ。皆さん、大丈夫ですか?」
ヘゼルが近づき、カイランの肩に手を置いて尋ねた。
周辺にあった木の枝を拾い、地面に倒れた後ピクリともしないルセテリが、息もしていないしもしかして死んだんじゃないかと確認のためにツンツン突っついていたカイランが、ビクッと体を震わせた。
「えっ……べ、別に何ともないですよ」
カイランさぁ、むしろそう言うから余計怪しく見えるじゃないの。
まるで何かやらかした人みたいよ。
頭が痛いというように手で額を押さえたジアは、深いため息をついた。
「大したことじゃないです、ヘゼルさん。ただル先生が酔っ払って倒れただけですから」
「酔っ払ったんですか?」
驚いたヘゼルが急いで身をかがめ、ルセテリの状態を窺った。
地面に寝転がったままピクリともしないルセテリが心配になったヘゼルは、うつ伏せになっている体を仰向けに寝かせようとした。
「ん? なんでビクともしないんだ?」
むしろヘゼルの手で動かされたら、そっちの方がおかしいと思うけど。
ちゃんと息をしているか心配になったヘゼルが、急いで指だけでもルセテリの鼻の下に当てて確認してみようとしたが、それすらも容易ではなかった。
ウンウン唸っていたヘゼルが、なんとか指を鼻の下に滑り込ませた時、パチッ、ルセテリが目を開けた。
「どうした?」
「おわっ? 生きていらしたんですか?」
ガバッと起き上がったルセテリのせいで、腰をかがめて彼の様子を見ていたヘゼルが尻餅をついて転んだ。
[ルッ様、意識不明で倒れるとか大迷惑だったんですけど?]
訳が分からずきょとんとしているルセテリに向かって、ジアが竜言でピシャリと言い放った。
[大迷惑? 何が?]
[エール一杯でぶっ倒れたんですけど、気づきませんでしたか?]
[俺が? ぶっ倒れた?]
ベッチー、お前まで……。
前足を軽く鳴らしながら、まるで鼻で笑うようにしきりにヒヒーンと鳴いているベッチーが恨めしかった。
唇をギュッと噛み締め、ルセテリはゆっくりと体を起こした。
今ルセテリは、倒れた時の記憶が丸ごと消え去ってしまったかのように、何も思い出せなかった。
信じられなかった。
たかがエールを一杯飲んだだけじゃないか。
いや、それに名ばかりでもドラゴンだというのに、酒一杯でノックダウンだなんて話、聞いたことがないぞ?
じっくりと記憶を辿っていたルセテリは気づいた。
あ、そうか。
ドラゴンと言ったところでソラレティ様と自分しかいないんだから、ソラレティ様が教えてくれない限り分からないんだな。
ジアの痛いほどの視線に、ルセテリはひどく悔しかった。
そんな事実を知っていて酒を飲むわけないだろ……と言ったところで、通用もしない言い訳みたいなもんだろうか。
「突然倒れられたので心配しました。もしかして帝国から攻撃でも受けたのかと」
ぼんやりと突っ立っているだけのルセテリを、ヘゼルが心配そうに怪我をしたところはないかと鷹の目で全身を隅々まで調べた。
幸い倒れた時にできた擦り傷がいくつかあっただけで、深刻な怪我はないということを両目で確認してから、ようやく安心したように一歩後ろに下がった。
「良かったです。何事もなくて。お酒にはだいぶ弱いようですね」
「アハハ、すみません。エール一杯で倒れるとは思いもしませんでした」
酒に弱い強い以前に、たかが酒一杯でぶっ倒れるなんて予想もしていなかったから嘘ではない。
後でソラレティ様にきっちり問いただしてやる。
世界の代行者ともあろう者が、万毒不侵(どんな毒にも侵されない)は当然のオプションみたいなもんじゃなかったのかよ!
なんたる恥!!
できれば両手で顔を覆って、どこかネズミの穴でもあれば逃げ込んで隠れてしまいたかった。
今の状況からすると、身動きも取れない状況だというのが少し残念なだけだ。
少しじゃないか? とにかく……。
「エール一杯で倒れるくらいなら、これからもずっと仕事終わりに飲む冷たいエール一杯の余裕は分からないでしょうね。もったいない……」
どこか切なそうでありながらも残念そうな表情で、心底可哀想だというようなヘゼルの表情に、なぜだかルセテリは本気でカッとなって怒りそうになった。
「ああ、全くだ。あの楽園の味を永遠に味わえないなんて……なんと気の毒な!」
肩に月刀を担いで現れたカルまでもが、事情も知らずにゴリゴリとえぐってくるものだから、ルセテリの顔色はあっという間に赤くなったり白くなったり青くなったり、顔に虹でも咲き誇っているのかと思った。
[ルッ様、それがそんなに重要?]
[飲める飲めないの問題じゃない! これは俺のプライドがかかった問題なんだ!]
[たかがお酒がちょっと飲めないくらいで大ごとにはなりませんよ、ルセテリ様]
[違う! 大ごとだ! 仕事終わりのエール一杯が極楽だって言うじゃないか!]
[たかがそんなどうでもいいことで怒るようなこと?]
[たかが? た・か・が? 俺にとってはそれより重要なことなんてないんだからな?]
可哀想なことに竜言を聞くことしかできないカイランは、ジアとルセテリ、そしてベッチーまでもが加勢した白熱した討論戦に口を挟むこともできず、オロオロと顔色をうかがいながら両手で頭を抱え込んでいた。
音のない血みどろの神経戦に、一歩後ろに引いていたヘゼルとカルは、面白い見世物を逃すまいと目を輝かせた。
[たかが酒飲めないくらいで……]
[たかがだと? 世の中の楽しみの半分は飲む楽しみだぞ??]
飲んでみたこともないくせに、それをどうして分かるってのよ?
ジアはルセテリの竜言にツッコミを入れたい気持ちでいっぱいだったが、さっきから感じる視線に唇をギュッと噛み締めて喉の奥に飲み込んだ。
重要なのは、ルセテリが酒を飲めるか飲めないかの問題ではなかった。
[今そんなことが問題じゃないでしょ]
[そんなことだと! これは超、超、ちょー重要な問題だぞ!]
もはや完全にこの世のすべてを失ったかのように泣きそうにすらなっていた。
あそこまでプライドを捨ててワンワン泣きそうなルセテリが、少しは可哀想に見えなくもない?
いや、ちょっと待って!
違うでしょ!
一瞬同情しそうになったのを辛うじて理性を繋ぎ止めながら、ジアは胸をギュッと掴んだ。
厚かましくもあんな顔で人を丸め込もうとするなんて!
予想通りジアがルセテリの誘惑に乗らないと、すぐに表情が変わり、残念そうにルセテリの歯茎の間からチッ、と短く舌打ちする音が聞こえてきた。
[その問題より、あの二人にちゃんと説明してあげないと大変なことになりますよ?]
[何が?]
頬をプクッと膨らませてすねてしまったルセテリが、プイッと顔を横に向け、知らんぷりとばかりに開き直った。
[ルッ様が倒れた時、地震でも起きたみたいに地面が揺れてみんなすごく驚いたんですよ。ヘゼルさんは帝国軍が攻撃してきたと勘違いまでしたって言ってるじゃないですか]
それこそ非常事態宣言が発令される直前だった。
そのままルセテリが意識を失って倒れ続けていたら、戦争でも始まるところだった。
それなのに、そんなことちっとも重要じゃないというようなルセテリの態度に、久しぶりにジアの頭のフタが吹っ飛ぶような事案だった。
すでに両手を腰に当て、上半身をルセテリの方へ傾けているジアの息遣いが、フーフーとかなり荒かった。
目からはメラメラと炎が吹き出すほど燃え上がっており、ここでもう少しでも意地を張れば、今にも爆発してしまいそうだった。
ジアとルセテリの間に挟まれたカイランは、自分が持ってきたエール一杯のせいで事態が収拾のつかないほど大きくなっているようで、そわそわとどうしていいか分からず行ったり来たりとオロオロしていた。
誰が見ても間違いなく怪しく見える光景だった。
「ハハハ。それはちょっと残念ですね」
遅ればせながら収拾でもつけようと思ったのか、人の良さそうな笑みを浮かべてルセテリはヘゼルとカルの方へ近づいた。
ルセテリの後頭部は、ジアの熱い視線でチクチクと痛かった。
「あの味があるから一日中頑張って働けるってのにな、仕方ないさ」
カルが肩をすくめた。
口では残念だを連発しているが、目がキラキラしていて全く残念そうな顔ではなかった。
むしろ楽しんでいるように見えるのは、目がおかしくなったのでなければ見間違いではなかった。
「それでも良かったです。もしかして帝国軍の攻撃で倒れられたのではないかと心配しましたから」
こっちは本気で心配したみたい?
「ただでさえ最近は退屈しのぎに帝国軍の奴らが越えてきては因縁をつけてくるもんで、ついに戦争でも起こす気かと思いましたよ」
ヘゼルの言葉の中には、本気で帝国と一戦交えてみたいという思いがいっぱいに垣間見えた。
もちろん、そうやってぶつかって負けるのは十中八九帝国の方だろうけどね。
なぜかこっそりとカイランがジアの顔色をうかがう。
そんなことはどうでもいいとばかりに、ジアは気にしてもいない様子だったが。
「逃げた農民を捕まえるとかいう口実で、しょっちゅう許可も取らずに越えてきやがるけど、それが本当に農民を捕まえに来てるのか、それともピスタチャを盗みに来てるのか、分かったもんじゃないからね」
ルセテリとジアの前に山のように積まれたケバブの皿を無造作にドンと置きながら、おばさんが通りすがりにあからさまに皮肉を言った。
「条約だか何だか知らないけど、それさえなけりゃあの泥棒野郎どものケツの穴を火かき棒で焼き払ってやりたいくらいさ。そうすりゃスッとするのに」
おばさんの殺伐とした言葉に、一同は食べていたケバブをそっと下に置いた。




