第109話 能ある鷹が本気を出すと
「あ、親父がなんでここに……」
親父? シェイク・ミルザ??
まさか本物のシェイクがこの場にいるわけじゃないだろうし、似たようなオーラを放っているということなら、あのカルという男のことか。
普段なら驚いて逃げ出し、ルセテリのそばに寄り付こうともしないカイランが、ブルブルと体を震わせながらルセテリの服の裾をギュッと握りしめている様は、まるで小さな魔物の子供みたいだった。
あ! これじゃ魔物に失礼になっちゃうかしら?
[いくらなんでも魔物の子供以下の扱いだなんて、それはあんまりですよ、ルッ様]
聞いていられなくなったジアが、珍しくカイランの肩を持った。
[魔物は魔力だけでもありますが、何の役にも立たない人間をどこに使うおつもりですか]
ベッチー、お前まで……。
竜言を話すこともできず、ただ聞くことしかできないカイランは悲しくなった。
「帝国の話でつい興奮してしまいました。何にせよ、公国の軍事力を侮った代償は払うことになるでしょう」
カルのクククと笑う険悪な人相からしても、帝国軍が公国にむやみにちょっかいを出せば大ごとになりそうなんだけど……。
無駄に無能な上官の下でしごかれる兵士たちのことを思うと、少しだけ目頭が熱くなってしまった。
[可哀想な奴らだ]
ホロリとこぼれ落ちる涙を拭うルセテリの指先が器用なのを、無言で見守るジアの目が細められた。
[本気で言ってるんですか、それ?]
[いや、まあ。正直に言えばただそういうことだってだけで、何をまたそう問い詰めるんだよ……]
そうね。心にもない言葉だったとしても重要なのはまさにそれよ、心!
ルセテリはジアの顔色をチラチラとうかがうしかなかった。
最近になって思うことだが、どうも主客転倒しているような気がしてならないのは、ただの既視感だろうか?
ルセテリ自身がジアの保護者なのではなく、ジアが自分の保護者になったような気がしてならないのだが……。
[案外その言葉が正解みたいですよ?]
釘を刺すベッチーの一言は、ドラゴンの面子に骨身に染みる一撃だった。
それも脾臓が隠れている左下の10番目の肋骨に……。
「ル先生、残酷だ……」
ついにカイランにまで、情け容赦の欠片もない非情なドラゴンだと烙印を押されてしまった。
ええい、くそっ。
「剣気を扱えるのですね」
ルセテリの知ったかぶりに、カルがギクッと驚いた表情を隠せなかった。
どうして分かったのかというように、カルの好奇心に満ちた瞳がキョロキョロと動き、ルセテリに向けられた。
「いやあ、それを一目で言い当てるとは、一体何者ですか? ただの平凡な先生には見えませんがね」
ギクッ。
言っちゃいけないことだったか?
瞬間的に手で口を覆ったルセテリが、驚きの目で自分を見つめているヘゼルの顔色を窺った。
「剣気というものを、人々は幻だと思いがちなんですが、実はそうではないんですよ。実際にある程度の境地に達した人なら、皆剣気を持っているものですから」
ヘゼルの言う通りだった。
剣気とは、本来剣の境地に達した者たちから放たれるオーラのようなものなのだから。
カイランがブルブル震えながら「親父」と言った理由がここにあった。
シェイク・ミルザとこのカルという者の剣術の腕前が似ているあまり、勝手に勘違いしてパニックに陥ったのだ。
ひ弱な奴め。
戻ったらスパルタ式訓練とはどんなものか、身をもって体験させてやらなきゃな。
農場の規模は、外から見ていた以上のものだった。
地平線の彼方までぎっしりと並んでいる木々の間を、人々が忙しそうに行き来しているのが見えた。
地面には広い布のようなものが敷かれ、その上にはルセテリでさえ生まれて初めて見るような巨大な機械が点々と並んでいた。
初めて見る機械が珍しかったルセテリが好奇心を示し、近づこうとすると、ヘゼルが彼を制止した。
何か隠していることでもあるのだろうか?
「せっかくティシャールまでお越しいただいたのに、ちょうどピスタチャの収穫で忙しい時期でして、まともな接客ができるかどうか分かりませんよ」
間違いなくへらへらと笑いながら誤魔化そうとしていたが、どこをどうやってドラゴンの目を誤魔化そうというのか。
腹立たしい気持ちとは裏腹に、ルセテリは親切にニコッと笑ってみせた。
「農場が本当に広いですね。これを収穫するだけでも大仕事でしょう」
「あの機械が入るまでは簡単ではありませんでした。その上、夜中に作業しなければならないので暗くて作業が捗らなかったのですが、あの機械が木を掴んで一度に揺すって落としてくれるので、あっという間なんですよ」
ヘゼルの後ろについていたカルは、顔を青ざめさせて慌ててヘゼルの肩を掴んだが、すでに一歩遅かった。
「この方たちは大丈夫じゃないか」
「大丈夫かどうかじゃなくて……はあ、いや。お前の目利きを信じなきゃな」
ヘゼルの瞳をしばらくじっと見つめていたカルが、肩をすくめて一歩引いた。
「機密だったようですね。新兵器かと思いましたが、収穫機とは……少々、意外ではありますが」
「機密とまではいきませんが、これを導入してからは収穫量や品質が格段に違ってくるものですから、あちこちから偵察しようとしてくるんですよ。特にあの川の向こうからですね」
「なるほど!」
川の向こうといえば、公国と帝国の間を流れるあのプラヤ川の向こう側のことを言っているのだろう。
[帝国ですね]
[帝国さ、言うまでもない。見たところそれだけじゃないようにも見えるがな]
ベッチーの竜言を上の空で聞いていたルセテリは、鷹の目で素早く機械を見渡した。
木を揺する機械だと言っていたが、いくつかの部品をいじればすぐに武器への転換も可能に見える。
長い腕のようになっている先端についたハサミを変えるだけでも、遠くからでも一撃ですべてをなぎ払えるほどの強力な武器になるだろう。
そういう意味でも、セキュリティは命だな。
収穫機を観察するルセテリは、生えてもいないあご髭を撫で下ろしながら、鋭い目で農場を見渡した。
少なくとも十台以上の収穫機が、人々によって木と木の間に設置されていた。
ヘゼルやカルと目が合った働き手たちは、忙しくて手は止められないまでも、二人に目配せで挨拶を送ってきた。
無視してそのまま通り過ぎることもできただろうに、いちいち声をかけて時間を割いているところを見ると、二人の人柄の良さがよく分かるようだった。
「結構人気があるようですね?」
「ハハハ、こんなに忙しい時に声をかけてもらえるだけでも、気分が違うんですよ」
確かに人の扱い方もよく分かっているようだ。
「ところで、いかがですか?」
「え? あ、農場ですか? 本当に広いですね」
「いやそれじゃなくて。いかがですか、せっかく現場を見学しに来られたついでに体験学習をしてみては」
「おお、それはいいですね。直接体験することほど良い教育はありませんから」
ヘゼルの提案に、他人事のように軽くルセテリが首を縦に振った。
この機会に商人への道がいかに険しいかを身をもって悟らせてやるのもいいだろう。
そう考えたはずだった。
「いや、ちょっと……ちょっと待ってください」
なぜだか分からないが、ルセテリの手にはいつの間にか熊手が握られていた。
ぼんやりしていたがハッと我に返ったルセテリは、熊手を肩に担いで前を歩いているヘゼルを呼び止めた。
「はい? 何か問題でもありますか?」
ルセテリを振り返ってニッコリと微笑むヘゼルが、一瞬悪魔に見えた。
これじゃないだろ!
間違いなくルセテリは、自分ではなくカイランやジアが手伝うことを考えて頷いたのだ。
「何か勘違いがあるようですが……」
「勘違いですか? どういうことでしょう」
「私まで出る必要はないでしょう。体験が必要なのは、ここにいるこの二人で十分じゃありませんか」
哀願するようにヘゼルにすがるルセテリを見て、ジアとカイランは呆れ果てた。
特にジアは、このドラゴンが一体何を言っているのかと疑いたくなった。
さっき食べた昼の弁当が傷んでいたんじゃないかと激しく疑った。
そうでなければこんな無責任なこと、言うはずがないじゃないか。
[ルッ様?]
[何ですか? 自分だけ抜け出そうっていうんですか?]
予想外の反発だった。
これがそんなに大声で叱責されるほど間違ったことなのか?
ルセテリにも言い分はあった。
[俺が体験して何になる? 農作業でもしろってか?]
ドラゴンに農作業だなんて……。
ルセテリとしては理解できなかった。
「ル先生、思ったよりセコいっすね」
カイランまでブツブツと文句を言うあたり、かなり不満が大きいようだった。
「率先して手本を示すべきでしょう。ほら、こういう言葉もあるじゃないですか。千の言葉よりまずは行動で示せ、と」
その言葉は正しいんだけどな……。
「だからといって私まで出て働かなければならないというわけではないでしょう。体験学習なんですから」
「そうでしょうか? まあテランカナからここまで長い旅路でしたから、お疲れになるのも無理はありませんね」
理解したというように頷くヘゼルから、ルセテリはなんだか自分が老いぼれて年を取ったからだというようなニュアンスを感じ取った。
「つ、疲れてなんかいませんけど? 私はこの子たちを監視するだけでも十分だと言っているのですよ」
[えー、ルセテリ様。ひどすぎますよ]
ベッチーまでもがしきりにブルルッと鼻息を鳴らし、前足をドンドンと踏み鳴らす。
この外見のどこを見て老人扱いだっていうんだよ。
おまけにまだハッチリング(幼竜)を抜け出したばかりのフレッシュ(?)なドラゴンだってのに。
千歳は超えてるけど。
「仕事が終わったら、いつもバーベキューパーティーで日課を締めくくるんですが、仕方ありませんね。疲れているなら休まないと」
到底じっとしてはいられない単語が聞こえてきた。
バーベキューパーティーだと?
耳がピクッと動いたように目を輝かせるルセテリを見て、ジアは静かに額を手で押さえた。
やっぱり、そうよね。
バーベキューという言葉に寝ていてもガバッと起き上がるルセテリが、そのまま聞き流すはずがない。
舌を出していないだけで、まるで肉を目の前にした子犬と何ら変わりない。
「ドラゴン……なんだよな?」
今までずっと見てきたが、今更ながらに呆れた表情を浮かべるカイランだった。




