第106話 面倒な出会い
男はゆっくりと、地面に倒れ込んでジアに胸ぐらを掴まれているカイランの方へと近づいてきた。
健康的に程よく日焼けした銅色の肌、色褪せたような銀色の混じった金髪、そして農作業には全く似つかわしくない深くて青い瞳。
どこかで見たことがあるような異質な外見に、ジアは顔をしかめた。
「こんな場所で何の用だ?」
男の言葉の端々には刃が研ぎ澄まされていた。
言葉だけではなかった。
一行を観察する目つきもかなり鋭かった。
カイランの胸ぐらを掴んでいたジアがそっと手を離し、その場に立ち上がった。
「ごめんなさい。ここ、私有地ですか? 私たちはティシャールへ向かう途中だったんですが……」
「何の用かは知らんが、ここがティシャールだが?」
ジアの丁寧な態度にもかかわらず、依然として男は腕を組んだまま警戒を解く気配は全く見えなかった。
むしろ無愛想なほどの彼の態度に、ジアは当惑した。
普通ならジアのような子供が丁寧に礼儀を尽くせば、それだけで点数を稼げるものなのに、男には全く通用しなかったのだ。
助けを求めるようにジアの視線はルセテリに向かい、ルセテリは再びその視線をカイランへと送った。
突然の視線の集中に、埃を払っていたカイランが戸惑って後ずさりした。
「な……何、ですか?」
[何って、お前が俺たちの身分を証明してくれなきゃだろ]
「なんで俺が……」
[ドラゴンと帝国の皇女だなんて明かせないだろ? ここでまともな身分を証明できるのはお前だけなんだぞ?]
男の目を避けて両手と肩をすくめながら、ルセテリは竜言で伝えた。
確かに、いくら空気が読めないカイランであっても、少し考えればそれが一番妥当なことのように思えた。
どこをどう見ても、怪しさ極まりない一行だったからだ。
長髪にフードを深く被っている男、だぼだぼのフードで体全体を隠している性別不明の子供、典型的な南部出身の浅黒い肌に上半身はほぼ裸同然のカイラン、そして荷車を引いていく一頭の馬。
検問所でもあれば、門番に捕まって徹底的に取り調べを受けるであろう組み合わせだった。
なんだかまるで、奴隷にでもなったような気まずい気分だったが、カイランは無理にぎこちない笑みを浮かべて男に向かって手を差し出した。
「プレシア商団のカイラン・ビン・ミルザです」
「……ヘゼルだ。プレシア商団?」
プレシアという名前を聞くや否や、ヘゼルの眉がピクッと動いた。
「あ、札をお見せしますよ」
そこでようやく思い出したように、カイランはごそごそとズボンのポケットを探り、取り出した手のひらサイズの木札をヘゼルという男に向かって差し出した。
半月刀が交差したフレームの中に、頭巾を被った男の横顔が印章として刻まれている木札だった。
カイランの物には特別に、金色の糸で編まれた房もついていた。
カイランから札を受け取ったヘゼルの目は、慌てふためくカイランの行動が頼りないというように、まだ疑いを捨てきれていない様子だった。
その様子を緊張しながら、カイランがゴクリと唾を飲み込んで見守っていた。
妙な空気が周囲に流れていた時だった。
ガサッ。
突然、茂みの間から浅黒い男の顔が一つ飛び出してきた。
南部特有の彫りの深い顔立ちをした男だった。
「忙しい時にここで何やってんだ?」
席を外してからずいぶん経つのに戻ってこないヘゼルを探していたところだった。
「あ、いや。すぐ行く」
「何だ?」
ズカズカと男がヘゼルに向かって近づいてきた。
ヘゼルより頭一つ分は背が高い男が、肩越しに手に持っている木札を盗み見た。
商団の名前が書かれた木札を見た男の目が、ただでさえ威圧的だったのにさらに大きく見開かれた。
「お? これ、プレシア商団の札じゃないか?」
「それは俺が見ても分かる。でも、初めて見る顔だからな」
男に木札を肩越しに渡し、ヘゼルの視線がチラリとルセテリとジアに向けられた。
カイランは身分を証明する札を出したからまだしも、フードを深く被っている二人は誰が見ても怪しさ極まりなかった。
男は木札とカイランの顔を交互にじっと見つめると、突然ポンッと手を叩いた。
「あ! もしかして公国の首長であられるシェイク・ミルザ様の息子さん?」
「えっ、マジで?」
男の言葉が信じられないというように、ヘゼルが振り返って男を見た。
目を閉じた男は、いかにも深刻そうな表情で上下に首を振った。
「肖像画で見たシェイク・ミルザ様の顔に似てるじゃないか。名前もカイラン・ビン・ミルザだし。これはプレシア式で、『プレシアのシェイクであるミルザの息子、カイラン』っていう意味だ」
新しい事実でも知ったように、ヘゼルの目は丸く大きくなった。
そんなヘゼルの様子を、ルセテリはじっと見守っていた。
「……そうだ。フルネームはシェイク・カイラン・ビン・ミルザ・アル・プレシアだ」
そこでようやく気が進まないようにもじもじしていたカイランが口を開いた。
カイランとしてはあまり明かしたくなかっただろうが、ジアとルセテリの身元保証のためにはやむを得ない選択だった。
そうでありながらも、精一杯の傲慢さがスプーン一杯分カイランの声に添加されていた。
ゴツン!
黙ってカイランの言葉を聞いていたルセテリが音もなく近づき、カイランの後頭部にゲンコツを落とした。
これ以上カイランに任せておいては、かえってさらに怪しまれて誤解が積み重なるだけだと思ったからだ。
「アハハ。私たちは怪しい者ではありません。こちらのカイラン様の個人教師をしているルと申します。こちらは助手のプーです」
「あ、はい」
なんだか口の中に渋柿をいっぱいに詰め込まれたような、そんな渋い気分だった。
ぎこちなくルセテリが差し出した手を握った後、気づかれないように素早く一歩後ろに引いたが、それでも後味の悪さは残っていた。
一行が気づかないうちに、ヘゼルは素早く三人を上から下まで値踏みした。
「プレシア商団の主要品目であるピスタチャについて勉強していたところ、もっと詳しく知りたいと思いまして、現場学習を兼ねてここを訪れることになったのですよ」
愛想のいいルセテリの笑みにも、ヘゼルの警戒はなかなか解ける気配がなかった。
「現場、学習ですか……」
「直接見て体験することほど良い教育はありませんからね」
「……まあ、確かにそうですね」
だからといって、普通現場学習でテランカナからティシャールまで来るか?
いぶかしげにカイランに身分証を返すヘゼルの首が傾いた。
「商売を知るには、まず現場で学ぶのが一番だというシェイク様のお言葉があったんですよ」
後ろで黙って状況を窺っていたジアが、見かねて前に出てルセテリの説明を引き継いだ。
そのまま放っておけば無駄に疑いの溝が深まるだけだと思ったからだ。
「直接目で見て体で学べってことです」
「あの方がおっしゃりそうなことではありますね」
ジアの言い訳のような言葉に、ヘゼルの声が一段と柔らかくなった。
ルセテリはふと、悔しい感情がこみ上げてきた。
『あいつは良くて、俺はなんでダメなんだよ?』
拳をギュッと握りしめた手に力が入りすぎたのか、ブルブルと震えていた。
「プレシア商団なら信用できますよ。その上、シェイク・ミルザ様の息子さんなら尚更」
ヘゼルの後ろに立っていた男がニッコリと微笑み、両手を腰に当てた。
「最初に言っただろ? この地域はすべてシェイク・ミルザ様の勢力圏だって」
「覚えてるよ。だから出荷されるピスタチャは全部プレシア商団を通してだけ取引するって言ってたじゃないか」
ヘゼルが初めてここに到着して働き始めた頃、男が説明してくれた話を頭に思い浮かべた。
ティシャール地域で生産されるピスタチャは、品質と生産性において大陸最高だった。
だからかティシャールのピスタチャを狙う商団は多かったが、販売権を持っている商団はただ一つだけだった。
まさにシェイク・ミルザが商団主を務める、プレシア商団だった。
「札も確かなようだし、これ以上の警戒は不要だな」
男の説明にある程度納得したヘゼルの顔からは、いつの間にか尖っていた警戒がスッと解けていた。
同時に、ルセテリに向かってヘゼルの方から先に手をスッと差し出した。
「申し訳ありません。最近ピスタチャの収穫時期なもので、狙っている泥棒どもが多いものでして」
突然の態度の変化は、ルセテリを戸惑わせた。
こんなに簡単に態度が変わるものなのか?
呆れ果てて言葉を失いそうになったが、それだけシェイクという名前が意味する大きさを反証する出来事でもあった。
「泥棒どもですか……」
「どうしても国境と接している場所なもので、帝国の奴らがしきりにこっちを越えてくるんですよ。特に九の月がピスタチャの収穫期なので、それを狙ってるんです」
ヘゼルの後ろに立っている男は、ニコニコとこわばっている一行に向かって笑ってみせた。
「シェイク・ミルザ様の息子さんなら、もう少し早く札を見せてくださればよかったのに。無駄な誤解をしてしまったじゃないですか」
本当に、最初に見せていた姿とは180度違うヘゼルだった。
人当たりの良さそうな目元が気前よく弧を描き、口角を上げてニッコリと笑っている姿は、イケメンというよりは愛想の良い隣の青年といった様子だった。
「必要だとは思わなかったんだ」
シェイクの息子であることが明かされたこの状況が気に入らなかったカイランがブツブツと文句を言った。
よほどシェイクの背景を明かすのが嫌なようだ。
[あんたバカなの? 使えるものなら何でも引っ張り出して使わなきゃ]
むくれて唇を前に突き出しているカイランに向かって、ジアがチクリと刺した。
皇女でありながら何の力も使えない自分に比べて、シェイクという強大な力をいくらでも手札として好き勝手に振り回せるカイランのことが、ジアには理解できなかった。
[野望のためには手段と方法を選ばないっていう言葉があるのよ]
それはまたどこで覚えてきた言葉なんだか。
ルセテリは全く子供らしくないジアのセリフに、返す言葉を失った。




