第103話 紙一重の差
「何やってんですかぁ!」
「何って~? 今『何やってる』っておっしゃいました?」
青筋を立てたジアの雷に、ドラゴンの威厳も何もあったものか、ルセテリはビクッと首をすくめた。
小さい頃のあの可愛らしさは一体どこへ消えてしまったのか、最近はめっきり身の毛もよだつほどだ。
この子、なんでこんなに気難しく育っちゃったんだ?
「……はぁ。それもこれもルッ様のおかげなんだから、誰のせいにもできませんよ?」
うん、やっぱりジアだ。
ジアの力強い一言は、ルセテリでさえも身動き取れなくさせた。
「それからあんた!」
「ええっ? 俺?」
「そう、カイラン。あんたもあんただよ。こんな森のど真ん中で火遊びしたらどうなるか分かってんの?」
「どう……なるんだ?」
気迫に押されたカイランの声が小さくなり、そっとジアの顔色をうかがった。
「あの魔法一発でこの辺りは全部全滅だっての。南京虫一匹残らず全部火に焼かれて消え去っちゃうのに、それでもいいわけ?」
確かにそれは……かなり面倒なことになりそうだった。
無傷だった森が一瞬にして消え去るだなんて、いくら頭の悪いカイランでもこの後の展開を十分に予想できた。
おそらく原因不明の火事だと言って調査団が結成されるだろう。
そんな面倒なことは、カイランの方でも絶対にお断りだ。
魔法だなんて……。
もしかして今自分が見たものは夢ではないかと、カイランは思い切り頬でもつねってみたい気分だった。
ほとんど伝説にでも出てくるような昔話じゃないか?
「そう思うのも仕方ないだろうが、まだ魔法は消え去っちゃいないんだ。まあ、俺ほどの魔法使いがありふれているわけじゃないがな」
カイランの反応に驚かないルセテリは、理解できるとばかりに首を縦に振った。
むしろ得意げになっているのが、ジアは気に入らなかった。
「何を誇らしげに言ってんですかっ! ルッ様が魔法を使えるのは当然じゃないですか」
「シーッ! しーっ……!」
「……当然?」
遅ればせながらジアの口を塞ぐために飛びかかったが、すでに一足遅かった。
顔いっぱいにクエスチョンマークを浮かべて首を傾げているカイランが、答えを求めるようにジアを見つめていた。
「魔法を使うのが当然だって?」
当然の反応だった。
魔法が消え去り、その存在自体が昔話扱いされている状況で、魔法を使うのが当然だなんて……いくら鈍いカイランでも何かがおかしいということに気づいた。
「人間じゃ、なかったのか?」
敬称はどこへ売り払ったのか、カイランは焦ったように指でルセテリを指差して尋ねた。
『どうりで、人間じゃない魔獣みたいなそんな気がしてたんだ!』
不敬極まりないカイランの考えは、そっくりそのまま表情に表れていた。
「魔獣だと! どこをどう見たら俺が魔獣だって言うんだ!」
呆れ果てたルセテリは、そんなカイランの頭頂部にゲンコツをゴツンと落とし、呆れた。
いくら自分が人間じゃないからといって、他に比べるものがないからって、よりによって魔物なんぞと自分を比べるか?
「人間じゃないなら、魔物か獣ってことだろ……人間に変身する魔物がいるなんて聞いたことないけど……ですね」
空気は読めなかったが、それでも少しは分別があったのか、非常に幸いなことに語尾に敬語をつけることは忘れなかったようだった。
たとえルセテリの目つきが、食ってかかりそうなほど険しく釣り上がっていたというのは公然の秘密だが。
「その立派な真実を見抜く目も、万能ってわけじゃないみたいね?」
なんだかジアがすごく楽しそうに見えるんだけど、ただの気のせい……だよな?
ルセテリが目を皿のようにして見直してみても、カイランを小馬鹿にしているジアの表情が非常に爽快に見えた。
[俺の姿が見えるはずがないさ。いくらなんでも俺の方がはるかに格上なのに、たかが真実を見る目ごときが……]
と、ルセテリは安心しきっていた。
「でっかいトカゲ?」
そうそう、トカ……何だと? トカゲ?
カイランの言葉を聞くや否や、ジアは吹き出したのかお腹を抱えて転げ回った。
さらにはベッチーまでもがしきりに鼻の穴をヒクヒクさせては、ブルルッと笑い始めたのだから。
[も、申し訳ございません。でもあまりにも可笑しくて……]
なかなか笑いが収まる気配がないため、ルセテリは唇をギュッと噛み締めながら込み上げる怒りを堪えた。
どこに例えるにしても、そんなトカゲごときをドラゴンに例えるだなんて!
こんな神をも恐れぬ!!!
世界の調停者としての威厳にピキッとヒビが入った。
「いや、その……ごめんなさい……?」
何をやらかしたのか、無邪気によく分からないという表情をしているカイランを見て、ジアは確信できた。
これからルセテリを脅かす最大の強敵は、まさにカイランなんじゃないか……と。
プツッ、何かが切れる音が聞こえてきた。
「よくもこの偉大なる俺様を、そんなトカゲごときに例えやがったな……!」
どうやらドラゴンとしては見過ごせない事案だったようだ。
頭のフタが吹っ飛んだように怒りをメラメラと燃やすルセテリの体が、徐々に膨れ上がり始めた。
まさかこんな道端で……という考えがジアの頭をよぎるよりも前に、ベッチーが引いていた荷車の後輪が重さに耐えきれずに壊れ、ドスンと座り込んだ。
『このイカレたドラゴン様め、マジで!!』
荷車から弾き飛ばされる直前、ギリギリの瞬間にジアは素早く風の魔法を起こし、ベッチーに繋がれたて綱を断ち切った。
そして素早くカイランの首根っこを掴んで宙へ飛び上がり、空中で一回転した後、安全な地面へと着地した。
目が回り正気を失っているカイランを地面に放り投げながら、ジアが叫んだ。
「その気ですか? 僕たち、大人しくしてなきゃいけないんじゃなかったんですかっ!」
「あいつが俺をトカゲだって言ったんだぞ!」
「いい歳こいて、そんなどうでもいい戯言にいちいち反応しなきゃいけないんですか?」
ジアは舌打ちまでして、情けないというようにドラゴンの姿に戻ったルセテリに向かって不満を並べ立てた。
「いくらなんでもいい歳こいてって……それが言う言葉か?」
「いや、僕たち身分を隠して生きなきゃいけないって言ってたじゃないですか……だから魔法で姿を変えたのに、こんなに簡単に魔法を解くんですか? じゃあ今までの苦労は一体何だったんですか?」
ルセテリとしては何の不満もなかったかもしれないが、当然のことながら性別が変わったジアには不満があるに決まっていた。
女の子が男の子のように振る舞わなければならないことがどれほど不自然で不便なことか、ルセテリは分かっていない。
それをどこで蛇が塀を越えるように(うやむやに)スッとやり過ごそうとするなんて……言語道断!
「それでもリバーピルにいた時よりはマシだろ?」
「ルッ様はそうでしょうね。ずっとルティアでいなきゃいけなかった時はブツブツ文句言ってたんですから。でも僕は違いますからね?」
腰に手を当てて、かなり悔しそうに巨大化したルセテリを見上げながら叫ぶ姿が可愛かった。
いや、純粋な意味で小さくなってちょこんとした姿が可愛いというだけで、状況は全くそうではなかった。
「ウウッ! オエーッ」
ジアに首根っこを掴まれてぶら下がっていたカイランが、ついに耐えきれなくなったのか、虹を吐き出し始めた。
「うぇっ、汚っ!」
カイランを地面に投げつけながら、皇女の口から出たとは思えないような荒々しい言葉が飛び出した。
どうやら吐き出される虹の噴水には、身分を超えて暴言を吐かせる力があることは間違いなかった。
「あんまりにも猿みたいによく飛び跳ねるから体力が良いのかと思えば、見掛け倒しもいいとこだな」
長い首を下げ、爬虫類特有の縦長の瞳孔を細めながら、情けないというようにルセテリはカイランの状態を窺った。
汚れた口元を拭くことすら思いつかないほど、目はぐるぐると酔っ払いのようになり、正気を保てていなかった。
「本当ですよ。たかが空中回転くらいで」
「オエッ、ち、違うからな? 俺はすげえ、丈夫、オエッ、なんだからな?」
言葉と行動がちぐはぐになっているカイランを、ジアは舌打ちをして冷ややかな目で見つめた。
喋るか吐くか、どっちか一つにしてほしかった。
ハッサンとヤパが作ってくれたお弁当は本当に美味しかった。
あまりにも美味しくて綺麗に平らげた結果が、まさに自分が惚れた女の前で虹色のチヂミを焼く(吐き散らす)ことだなんて……。
『クソッ!』
よくも口から罵詈雑言が飛び出さなかったことだけでも、幸いだと思うべきだった。
カイランの目に真っ先に飛び込んできたのは、当然のことながら、黒いボブヘアの神秘的な黒曜石の瞳でツンと冷たく自分を見下ろしている皇女、ジアの姿だった。
しばらくカイランは魂を抜かれたようにジアだけを穴が開くほど見つめた。
おこがましくも肖像画などには描ききれなかった美しさに目を奪われたのだ。
「何見てんのよ? 初めて見るわけでもないでしょ?」
バラの蕾のように小さく可憐な唇から出たとは思えない言葉だった。
だというのに、全く違和感のない慣れ親しんだ感じ。
その不思議さに、カイランは首を傾げた。
「もう正気に戻ったんなら、こっちもちょっと見てくれないか?」
ジアに気を取られていたカイランは、自分の目の前で巨大な鼻の穴をヒクヒクさせているルセテリに遅ればせながら気づいた。
これまでカイランの目には、このル先生という存在が霧がかかったようにぼんやりとしか見えていなかったのだが、今ようやく澄み切ったようにはっきりとルセテリの姿を見ることができるようになった。
まさかその正体というものが、漆黒の艶やかな黒いドラゴンだとは想像もしていなかったが。
「えっと……つまり、ル先生がドラゴン?」
「フン! 今頃になってこの俺様だと気づいたか!」
黒い鼻の穴から噴き出された熱い鼻息が、カイランの顔に向かって吹き付けられた。
徐々に正気を取り戻したカイランの瞳孔が、心底驚いたように最大値まで拡張されていた。
「だから、この事実をどこかへ行って口外でもした日には、すぐにドラゴンブレスの串焼きにしてやるからな、絶対に言うなよ!」
そっと頭の上に炎まで噴き上げながら、ルセテリはカイランに脅迫めいた念押しをすることを忘れなかった。




