第101話 商団とシェイク
「ル先生!」
ジアの鋭い声が飛んできた。
口の周りに白い砂糖の粉をたっぷりつけながらモグモグと噛んでいる姿がバレないとでも思っていたのか、その情けない姿に思わずため息から先に出た。
「今のこの状況で、よく喉を通りますね?」
「美味いぞ。お前も一口食べてみな」
平然と弁当を一つ差し出してくるルセテリが憎たらしかったジアは、彼をキロッと睨みつけた。
「……ハッサンが作るお菓子が美味しいのは確かですけど」
ああもう、なんでしきりに話をそらすのよ、この二人は。
それが今のこの状況で言うことなの。
[何をそんなことで悩んでおいでですか。この二人がそんなの、今に始まったことじゃありませんよ]
そうね、ベッチーの言う通りだ。
最初からこの二人に何かを期待してはいけなかったんだ。
「そうですね、何かを期待した僕がバカでした」
ジアは軽く額を押さえた。
ティシャールへ向かう旅行の許可をもらう条件として、二人はシェイク・ミルザから一つ頼まれたことがあった。
それは、カイランが商人ではなくシェイクの座を継ぐことを真剣に考えさせてほしいということ。
ルセテリは無理に強要して考えを変えさせるのは難しいと言ったが、シェイク・ミルザは変えるのではなく、そういう立場もあるということを思い起こさせるだけで十分だと言った。
どう見ても、よく知りもしないくせにただ母親のエルパシャを閉じ込め、患わせて死に追いやったハーレムが嫌だからという理由のようだったが、やっぱりというか。
シェイクの推測は当たっていた。
「ちゃんとシェイク様と対話でもしてみたのか? いつも逃げ回ってばかりで、一度も話したことないだろ?」
「そんなの何で必要なんだよ?」
「はあ? 商人になるって奴が基礎を無視するのか?」
ルセテリは情けない目でカイランを見つめ、ついにチッチッと舌打ちをした。
商人の基礎とは何か。
良い商人とは、結局は対話の技術がすべてを決定する。
その立派な三寸の舌を使ってどうやって相手を丸め込むかによって商団の利益が左右されるというのに……何? なんで必要なんだって?
「お前みたいな奴に商団を任せたら、全部潰しちまうだろうな」
「何がまた問題だって言うんだよ」
「チッチッ。それをまた聞くこと自体が問題なんだよ、このバカ」
ルセテリは拳でカイランの頭にコツンとゲンコツを一つ落とし、情けないという視線を送った。
「あ、マジで!」
立て続けに小言を言われてイライラしたのか、頭を両手で抱え込みながらカイランはカッとなって怒鳴った。
「ほう、反抗する気か?」
「何の理由でなのかずっと言ってくれないのに、どうやって分かるんだよ?」
「お前は本当に……商人やったら商団のいくつかくらい軽く潰すだろうな」
このくらいになれば一度くらいは悩むふりでもしてみせるだろうに、僕だったら。
この終わりのない言葉遊びの泥沼から抜け出す方法は一つだった。
「なんでそこまで商人になりたがるんだよ?」
「商人になれば大陸のあちこちを行き来できるだろ。それに、たくさんの人にも会えるし」
それが理由と言うには少し弱いんじゃない?
本当にそれだけなら、ここまで意地を張る理由にはならなかった。
どうにも理解できなかったジアは、それとなくカイランの本心を探ってみることにした。
「たったそれだけ? つまんないの」
「つまんない? 俺には市民たちが暮らす様子を見守る義務がある! それを一番よく知ることができるのが商人なんだ! それを大したことないみたいに言うな!」
こいつ何言ってんの?
カイランの答えに呆れたジアは、ルセテリと目を合わせた。
どうやら誰かが前に出て職業紹介をしてやらなければならないような雰囲気が作られた。
シェイク・ミルザが商団の運営までしているから、何か勘違いしているんじゃないかと思うんだけど……。
ジアは慎重に再びカイランに質問を投げかけた。
「商人がなんで市民のことに気を配るのさ?」
「商人だから」
一体今までどんな教育を受けてきたっていうのよ?
ジアは今はいないナビルに向かって叫びたくなった。
もちろん、すべてナビルの責任だというわけではない。
ある程度カイランの責任もあった。
勉強の時間になるたびに外へ飛び出し、勉強そっちのけでテランカナを楽しくかき回して歩き回った結果がまさにこれだった。
「そういうことなら僕は、商人じゃなくてシェイクをやるよ」
「ああ、お前がシェイクをやればいいな」
皮肉っているのか、それとも本当にそうしろと言っているのか、ジアの言葉になぜかカイランは嬉しそうに見えた。
前者なら今までの姿がすべて高度に計算された偽物だということになり、後者ならただ何も考えていないということだ。
「平民がどうやってシェイクになれるんだよ? あり得ない話だ」
「なんでなれないのさ? 誰だってシェイクになりたいと思えばなれるんじゃないの?」
「誰でもみんながシェイクになれるわけないだろ? シェイクってのは特別な血筋で繋がった誰かが継承する座なのに」
ルセテリの説明にもカイランは理解できないというように首を傾げるばかりだった。
「そうなのか? ナビルが、シェイクは誰かの上に君臨する者だと言ってたけど……。だから俺はそれが嫌で商人になるって言ったんだぞ?」
ナビルめ、間違ったことは言ってないわね。
貴族、それも高位貴族というのは民の上に立つ存在なのだから、間違った言葉ではなかった。
それを受け取る人間がカイランでさえなければ、「君臨」という言葉の中に「責任と義務」という言葉も含まれているという事実を、言われなくても理解しただろうに……残念なことにその主体がカイランだったわけね。
「一言で言えば、お前は権力が嫌でそこから逃げ出したかったってことか?」
「そうじゃないか……一番大切なものを守ることもできないようなもの、俺はなりたくないんだ」
「お前は、エルパシャ様がハーレムにいたのは間違ったことだったと思っているのか?」
ルセテリの言葉が落ちるや否や、カイランの目からは火花がメラメラと上がった。
やはり民を見守るだの何だのは理由ではなかった。
カイランの隠された弱点とはまさに、母親であるエルパシャだった。
「お前があまりにも意地を張って言うことを聞かないから、誰も教えてくれなかったみたいだから言うが……」
「関係ない!」
カイランの意地はやはり、牛の筋よりも硬いものだった。
子供でさえなかったら、とっくの昔に数十回は転がしていただろう。
ルセテリは込み上げてくる苛立ちをなんとかグッと抑え込んだ。
「少しは聞け!」
両手で耳を塞ぐカイランを見て、ルセテリは唇をギュッと噛み締めた。
そんなルセテリの様子を見ていたジアは、そっと耳を塞いでいる手をどけさせるために、力一杯カイランの腕を引っ張った。
「うわあああっ、何すんだよ!」
「火に焼かれて灰になって飛んでいきたいわけじゃなきゃ大人しくしてなよ!」
冗談じゃなくてマジで!
堪忍袋の緒が切れてブレスでも吹き出されたら、灰どころかチリも残らず消え去っちゃうんだから!
それを分かっているのかいないのか、カイランはなかなか腕の力を抜こうとしないため、簡単に耳を塞がせないようにするのも容易ではなかった。
「小さい頃は理解力が足りなくてそう誤解したのも無理はないとするにしても、今はちゃんと見るべきだ」
「何をですか? 親父が母さんを死なせたっていう事実をですか?」
歯を食いしばったカイランの答えの中には、怒りの刃が研ぎ澄まされていた。
長い時間が経っているだけに、簡単には解けない硬さだった。
「違うさ。むしろハーレムに隠しておくことで、シェイク様はエルパシャ様を守るために尽力されたんだ」
「ハッ! ハーレムの中で守っただと? ハーレムにいる女たちが母さんをどう追い詰めたか!」
悪に染まったようなカイランの叫びは、これまでの鬱憤をすべて吐き出すかのように息つく暇もなく浴びせられた。
何か一言言ってゲンコツでも落としそうなものだが、意外にもルセテリは静かなままだった。
固く口を閉ざし、ただじっと鬱憤を吐き出すカイランを見つめるだけで、微動だにしなかった。
そんなルセテリの姿が、ジアの目にはかなり見慣れないものに映った。
「誰も知らないくせに! 具合が悪いと言っても仮病だと言ってあんな事やこんな事を押し付けてきたハーレムの侍女たちがどんなだったか。結局熱が出てまともに横になることすら辛そうにしていた母さんだったのに……そんな母さんに医者すら呼んでくれず小さな部屋に放置して、みんな見て見ぬふりをした。あの時、ちゃんとした治療さえ受けられていれば……」
大粒の涙が絶え間なくカイランの目から流れ落ちた。
数年の歳月をかけて幼いカイランの胸に積もった悲しみと怒りが、堰を切ったようにしばらく止まることを知らなかった。
「母さんは、ヒック、生きられたんだ……」
悲しそうに声を上げて泣いていたカイランは、いつの間にか落ち着いたのか、腕で無造作にゴシゴシと涙を拭って鼻をすすった。
まだまだ子供ね。
「泣き止んだ?」
まだ目元がしっとりと腫れているカイランに、ジアは懐からハンカチを取り出して差し出した。
無言でハンカチを受け取ったカイランは、鼻をすするとすぐにチーンとハンカチに鼻をかんだ。
ネバネバした粘液質の鼻水がハンカチをぐっしょりと濡らした。
まさか、それをまた返してくれるつもりじゃないよね? 違うよね??
ジアはドン引きしてカイランを睨みつけたが、案の定、カイランはハンカチをジアに返そうとした。
『このばかやろう!』
口に出して言ったわけではないが、ジアが知っているありとあらゆる罵詈雑言がすべて飛び出した。
[あれは一線を超えましたね]
[いや、それより基本的なエチケットじゃないんですか? あれは?]
[全くだ。あれをどうやって一人前の人間にするってんだ?]




