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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第5章 決戦編

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第87話 和解

 翌日、カナメとB2へ降りた。


 久しぶりに一緒に潜った。


 JAGLの入場ログには、B2入口側、採取なし、撮影なし、と入れた。


 今日は動画を撮らない。


 B5の話もしない。


 昨日、重い話をしすぎたからではない。


 順番を間違えないためだった。


 今日は、カナメとB2を歩く日だ。


 カナメは先を歩いた。


 戦闘Sの動き方だった。


 グリーンモスの茂みを通るとき、足音が消えた。


 体の重心の位置を変えて、岩の凹凸を的確に踏んでいた。


 俺は採取袋を持って、後ろを歩いた。


 今日は採取目的ではなかった。


 だから袋は空のままにしていた。


 指先に、苔の水気と岩の冷たさが触れる。


 B2の匂いは、記憶にあるものと変わっていなかった。


 苔の状態も、通路の湿り気も、いつものB2だった。


* * *


「ここ、変わってないな」


 カナメが岩盤の横道を見て、言った。


「来てたのか、B2に」


「たまに。ユウが採取してる間、偶然通ったことがある」


「見に来てた?」


「通ったって言ってる」


 カナメは前を向いたまま言った。


「……偵察みたいだな」


「もう一回言ったら帰る」


「言わない」


 カナメは岩の角で立ち止まった。


 壁の苔を指で触れた。


「グリーンモス。こんな色のやつ、地上じゃ売ってない」


「B2の岩のヒビの中に生えてるやつが一番いい。少し採るか」


「いい。今日は採取じゃない」


 カナメが歩き出した。


「ユウ、一つ言っていいか」


「何」


「前に、強がってるんじゃないのかと言った。覚えてるか」


「覚えてる」


「私も、怖かった」


 俺はカナメの背中を見た。


「炎上してる間、ユウがどうなるか分からなかった。機材が壊れて、有希さんとのこともカメラも、どんどん失くなっていく中で『俺には分からない』って言われた」


「……」


「分からないのは確かにそうだ。ユウの経験を私は持っていない。でも(分からないから何もできないとは思わなかった。手伝えないなら、そばにいるだけでもよかった。でも)それを言えなかった」


* * *


 カナメが立ち止まった。


 振り返った。


「私はユウに何も求めてない。戦ってほしいとも勝ってほしいとも思わなかった。ただ、いてほしかった」


 俺は返事ができなかった。


 B2の苔が薄く光っていた。


 青緑の光が通路に広がっていた。


 カナメがここに来ていた。


 カナメは「たまに偶然通ったことがある」と言ったが、偶然ではなかっただろうと思った。


 炎上の頃。カメラが壊れた頃。俺がB2に降りながら、何も言えなくなっていたあの頃。


 カナメはここを「偶然通って」いた。


 その言葉の形が今になって、胸の中で変わった。


「……ありがとう」


 カナメが前を向いた。


「言いにくいことを言ってくれたんだと思う」


「ユウに怒られるかと思った」


「なんで」


「……分からない。でも、怒られそうな気がしていた」


「怒らない」


 カナメは歩いた。


「そういえば、カメラ戻ったか」


「先週。修理から」


「そうか。配信は?」


「……まだ一本も撮っていない」


「撮れそうか」


 俺は指先を軽く握った。


 B2の岩盤に残る湿り気が、手袋越しに分かった。


 苔の状態。


 岩の温度。


 グリーンモスの青い匂い。


 どれも、動画を撮っていた頃と同じだった。


「……たぶんもうすぐ」


 カナメがうなずいた。


「待ってる」


* * *


 B2から地上に出た。


 風が来た。


 夕方の風だった。


 ピコのことを思った。


 ピコがいれば、今日の採取を見せたかった。


 カナメとB2を歩いていることも告げたかった。


「ぴこぴこ」と言いながら、二人の間を飛んだかもしれない。


 いない。


 でも、また探しに行ける気がした。


 指先がかすかに温かくなった。


 ピコの青緑の光ではない。


 B2の苔が夕方の空気に反応しているだけかもしれない。


 それでも、どこかで同じ色を見た気がした。


 関係はまだ分からない。


「ユウ」


 カナメが横を向いた。


「今夜、飯でも食うか。私が作る」


「カナメが料理するのか」


「できる。文句を言うな」


「言わない」


「じゃあ行こう」


 カナメが先に歩き始めた。


 俺は後を追った。


 B2の匂いがまだ服に残っていた。


 苔と岩の匂い。


 少し甘い、最浅層の底の匂い。


* * *


 カナメの部屋は、俺の部屋から歩いて数分のアパートにあった。


 子供の頃から、家は隣みたいな距離だった。


 でも、カナメの台所で食べるのは久しぶりだった。


 でも今夜はカナメが料理を作ると言った。


 俺の部屋ではなく、カナメの部屋で食べることになった。


 久しぶりにカナメの料理を食べた。


 JAGL食用登録済みのグリーンモスを使ったスープだった。


「どこで仕入れたんだ」


「源田屋。ゲン爺が、食用登録済みのやつだけ渡してくれた」


「ゲン爺のところに行ってたのか」


「たまに寄る。ユウの話をすると喋ってくれる」


 ゲン爺がカナメに話をしていたとは知らなかった。


 スープを一口飲んだ。


 温かかった。


 グリーンモスの香りが鼻に来た。


 B2の底の匂いに似ていた。


 あの岩の割れ目に生えている苔の水っぽくて甘い匂い。


 それがカナメの台所の器の中にあった。


「……うまい」


「当たり前だろ」


 カナメは向かいで自分の器を持った。


「レシピ、ユウの動画を参考にした」


「参考にしてたのか」


「見てたから」


 俺は少し笑った。


「なんで笑う」


「いや、カナメが俺の動画を見ながら料理してるのが想像できなかった」


「見てたって言ってる」


 カナメがむっとした顔になった。


 でも、怒っていなかった。


「全部見た」


「全部か」


「最初から。最初のやつは画角がひどかった」


「知ってる。あの頃はカメラの持ち方も知らなかった」


 なぜ笑ったか、うまく説明できなかった。


 嬉しいとも違う。


 恥ずかしいとも違う。


 ただ、誰かがそこにいたのだと分かった瞬間の奇妙な軽さがあった。


 喉の奥が細くなった。ゆっくり戻ってきた。


 グリーンモスのスープが器の中で揺れた。


 淡い緑色の液体に苔の葉が浮かんでいた。


 カナメが作ったスープで俺の動画を参考にした料理だった。


 六歳の俺が覚えていないグリーンモスが、今度はカナメの台所で戻ってきた。


 食べさせた記憶が、食べさせられる記憶になった。


 片道ではなかった。


 たぶん、料理はそういうものなのだと思った。


 誰かに渡した味が、知らない場所で残って、別の日に別の器で返ってくる。


 その全部を、自分で覚えていなくてもいいのかもしれない。


 回ってきたなと思った。


* * *


 食後、カナメのアパートを出た。


 夜の空気が冷たかった。


 B2から上がって来た匂いと夜の外気が混ざった。


 指先に、グリーンモスの温かさが残っていた。


 今日のことは、覚えておく。


 カナメと話した。


 カナメの料理を食べた。


 カナメが俺の動画を全部見ていた。


 それが今夜、全部一つの場所に集まった。


 帰り道の電車でスマホを開いた。


 コメント欄を確認した。


 配信休止のあいだ、コメントは来なくなっていた。


 でも、残っているコメントはまだあった。


 古いコメントを少し読んだ。


「B2の苔のやつが好きです」


「ピコがいると全然違う雰囲気になるよね」


「最浅層なんでって言葉が好きです」


 いつ書かれたコメントか、表示を確認した。


 ほとんどが炎上前の頃のものだった。


 でも、まだそこにあった。


 消えていなかった。


 スマホを仕舞った。


 電車が次の駅に着いた。


 自分の駅で降りた。


 夜の道を歩きながら、スマホの黒い画面に自分の顔が映った。


 もうすぐ、撮れるかもしれない。


 そう思った。


 何が先に来るのかは、まだ分からなかった。


 ピコのことか。


 配信のことか。


 それとも別の何かか。


 分からなかったが、少なくとも今夜の俺は、昨日より少しだけ台所に近かった。


 家の鍵を開けた。


 部屋に入った。


 電気をつけた。


 ピコがいない静けさがまた、待っていた。


 でも今夜は、さっきまでカナメとスープを食べていた。


 それが部屋の静けさの重さを少し変えた。


 登録者:四万百二十七人。

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