第84話 白い石板の遺物
次の申請は、調査同行枠になった。
B5第六採掘エリア北側、白色人工構造物内の低い台状構造物確認。
採取なし。
個人持ち帰りなし。
JAGL記録端末のみ撮影。
公開禁止。
遺物らしき物品があった場合は、JAGL調査員が封印ケースへ回収。
ユウトは反応確認の補助のみ。
条件を読みながら、俺は何度も「補助のみ」のところで止まった。
前回、五メートル先に見えた白い台。
その上の薄い板のようなもの。
見たい。
触れたい。
そう思っている自分がいる。
だからこそ、補助のみと書かれているのが必要だった。
出発前、母に帰還予定を送った。
カナメにも送る。
「今日、白い台の確認に行く。持ち帰りはJAGL管理。無理はしない」
返事は短かった。
「分かった。戻ったら連絡」
命令みたいな短さだった。
それが、少しだけありがたかった。
* * *
白い通路の入口は、前回と同じように開いた。
今度は調査員が先に端末を入れ、酸素濃度と異常ガス、魔力濃度の数値を確認した。
「入口側から台まで、数値は許容範囲。触れる前にスキャンします」
巡回員が俺を見た。
「佐々木さんは中央。台の手前で停止」
「はい」
白い壁は、前回よりも明るく見えた。
目が慣れたわけではない。
細い光が、壁の線をなぞるように走っている。
採取Sが拾うのは、石でも金属でもない反応だった。
温かい。
でも、生き物ではない。
乾いている。
でも、死んでいる感じでもない。
分からない言葉を、温度と匂いだけで読もうとしているみたいだった。
俺は手帳を握った。
分からない。
まず、そう書くために。
低い台の前で止まる。
台の上には、白い石板があった。
手のひらより少し大きい。
薄い。
角は丸く、表面に細い記号が走っている。
石灰のような白さ。
骨のようにも見える。
でも、どちらでもない。
調査員が端末を向けた。
「表面温度、周囲より二度高い。放射性反応なし。毒性ガス反応なし。可動反応なし」
淡々と読み上げる声が、白い部屋に落ちた。
俺は息を止めていたことに気づいた。
* * *
「佐々木さん、反応確認をお願いします。保護膜越しに、一秒だけ触れてください」
調査員が薄い透明の保護膜を差し出した。
俺は指先にかぶせる。
石板へ触れる前に、巡回員が言った。
「異常があれば即離れてください」
「分かっています」
指先を石板に置いた。
一秒。
それだけのはずだった。
温かさが、保護膜越しに伝わってきた。
熱いのではない。
人肌より少し低い。
でも、確かに温度があった。
触れたところから、石板の記号が薄く光る。
青でも緑でもない。
白い光だった。
採取Sが強く反応した。
食材でも鉱石でもない。
良品の反応でもない。
長い時間、閉じられていたものが、空気と指先に気づいたような反応。
それ以上は分からない。
正しい、とも。
俺のものだ、とも。
採取Sは言わなかった。
ただ、指先の奥が、一瞬だけ熱くなった。
「離れて」
調査員の声で、俺は指を離した。
光はすぐには消えなかった。
細い線の中を、ゆっくり戻るように薄くなっていく。
調査員が端末を確認した。
「接触時のみ発光。周辺数値異常なし。封印ケースへ移します」
俺は頷いた。
手が少し震えていた。
何かを受け取ったわけではない。
ただ、反応を見た。
それだけなのに、胸の奥が熱かった。
* * *
白い石板は、調査員の手で封印ケースに入れられた。
透明なケースの中で、光はほとんど消えている。
ただ、俺が近づくと、線の端がかすかに明るくなる。
調査員がそれも記録した。
「佐々木さんが一メートル以内にいると、反応がわずかに上がります」
「体調に変化はありますか」
「痛みはありません。熱くもないです。ただ、指先の奥に温かさが残っています」
「めまい、吐き気、息苦しさは」
「ありません」
「では、その感覚は感覚記録として残します。意味づけはしません」
意味づけはしない。
その言葉が、今はいちばん必要だった。
触れたから選ばれた、と決めない。
光ったから俺のものだ、と決めない。
ただ、反応した。
まずは、そこまでだった。
「俺が持つんですか」
「いいえ。搬送はJAGLです。あなたは同行してください」
その言葉で、少し息が戻った。
持ち帰らない。
俺のものにしない。
それでも、反応を見届けるために、地上まで同行する。
白い通路から出ると、B5の黒い空気が重く感じた。
巡回員が壁の可動部を戻す。
音はほとんどしない。
白い通路は、また黒い壁の向こうへ隠れた。
シャドウバットの下を通る。
今日は、天井の影が一体も動かなかった。
地上に戻るまで、俺は封印ケースを見ないようにした。
見たら、手を伸ばしたくなる気がした。
それは、たぶん危ない。
* * *
JAGL晴海支部の一時保管室で、白い石板は記録台に置かれた。
調査員が報告書を作る。
発見場所。
回収条件。
接触者。
発光反応。
持ち帰りなし。
公開禁止。
俺は横で確認欄に署名した。
続けて、別紙の説明を受けた。
今日の遺物画像、正確な位置、可動部の構造、白い通路の内部記録は、JAGL確認が終わるまで非公開。
動画やコメント欄で話せるのは、B5でJAGL同行の確認作業をしたこと、無事帰還したこと、詳細は公的確認待ちであることまで。
ピコの不在と関連づける発言もしない。
父の地図との一致も、まだ公開しない。
どれも、言われれば当たり前だった。
でも、当たり前を紙で渡されると、胸の熱が少しだけ冷えた。
冷えることも、たぶん必要だった。
手がまだ少し震えている。
その震えを隠そうとして、失敗した。
保管室の外で、ゲン爺が待っていた。
JAGLから第一世代の記号照会協力者として呼ばれたらしい。
源田屋ではない。
支部の廊下だった。
でも、ゲン爺はいつもの作務衣姿で、腕を組んで立っていた。
「見つけたか」
「見つけました。俺が見つけたというより、JAGLと一緒に確認しました」
「それでいい」
ゲン爺は頷いた。
保管室の窓越しに、封印ケースを見る。
長い時間、黙っていた。
「健次郎が探していたものかもしれん」
「かもしれない」
「そうだ。まだ、かもしれん、だ」
ゲン爺は俺を見た。
「だが、ここまで来たなら、話しておかなきゃならんことがある」
「今、ですか」
「今日は駄目だ。お前も、ワシも、頭が熱い。明日、記録を持って来い。JAGLの確認が済んだ範囲で話す」
「分かりました」
ゲン爺は石板に触れなかった。
触れる権限がないからだ。
触れる資格がないからではない。
その違いを、俺は間違えないようにした。
* * *
帰宅した。
白い石板は、家にはない。
採取袋も軽い。
それなのに、指先には温かさが残っている気がした。
冷蔵庫を開ける。
スライムゼリーが残っていた。
B1ブルースライム。
JAGL食用確認済み。
いつものゼリーだ。
器に盛ると、白みがかった透明の表面が揺れた。
スプーンですくう。
ひんやりとした弾力が、指先まで伝わる。
口に入れると、冷たさが舌の上に広がった。
ぷるりとほどけて、あとから軽い甘さが来る。
B5の白い通路の匂いに似ている気がした。
でも、同じではない。
似ていると決めつけたら、たぶん間違える。
俺はただ、うまいと思った。
最初に食べた日と同じように。
石板の正体は分からない。
父が何を探していたのかも、まだ分からない。
でも、スライムゼリーはうまかった。
その一点だけが、台所に戻してくれた。
白い石板の光は、まだ分からない。
JAGLの確認も、ゲン爺の話も、明日まで待つしかない。
でも、この冷たい甘さだけは、最初にB1で覚えた味のままだった。
俺が最浅層で始めたことは、まだここに残っている。
食べ終わって、母に帰宅したと送る。
カナメにも送った。
「戻った。明日、ゲン爺と話す」
今度は、短く既読がついた。
返事はなかった。
でも、既読があるだけで、前よりは遠くなかった。
明日、ゲン爺に聞きに行く。
白い石板の温もりは、指先の記憶として残っていた。
登録者:三万七千五百八十九人。
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