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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第4章 対立編

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第77話 料理ができない夜

 昼前、源田屋へ行った。


 晴海の商店街を抜けて、路地に入る。


 源田屋は看板も出ていない店だった。


 引き戸を開けるとゲン爺が棚の前にいた。


 古い容器を布で拭いていた。


「来たか、坊主」


「来ました」


 ゲン爺は振り返って、俺を見た。


「……顔色が悪いな」


「そうですか」


「そうだ。座れ」


 ゲン爺が湯を沸かし始めた。


 俺は奥のカウンターに座った。


 いつも座る位置だった。


 木のカウンターが少し温かかった。


 古いものが持っている温度だった。


* * *


 ゲン爺が茶を出した。


 緑茶だった。


 ゆっくり入れた茶で薄すぎず濃すぎなかった。


「配信が止まってるな」


「カメラが壊れて」


「壊れた、か」


 ゲン爺は少し黙った。


「自分で壊したわけじゃないだろうな」


「ぶつかって壊れました」


「誰かに」


「……そういうことです」


 ゲン爺は頷いた。それ以上は聞かなかった。


「炎上の件は聞いた。グリーンモスの話」


「有希さんから?」


「ここに顔出す子は多い。漏れてくる」


 俺は茶を飲んだ。


 温かかった。


「ゲン爺が話したいというのは炎上の件ですか」


「ちがう」


 ゲン爺は俺の向かいに座った。


「坊主。お前、最近何を考えてる」


「……いろいろ」


「戦闘のことか」


 俺はゲン爺を見た。


「……そうかもしれない」


「やっぱりな」


 ゲン爺は茶をゆっくり飲んだ。


 急かさなかった。


 何も言わず、ただ、茶を飲んだ。


 その間に俺は何を言うべきか考えた。


「採取Sがあって、料理Sがあって、動画が伸びて。でも、黒葉とぶつかってカメラが壊れて、東和に潰されそうになって。そのとき思ったんだろ。戦えたら違ったって」


 俺は返事をしなかった。


 それが答えだった。


「……そうか」


 ゲン爺は目を細めた。


「お前の親父も一度そういう顔をしたことがある」


* * *


「父が?」


「最浅層で採取してた頃、三十代の半ばだったと思う。東和の前身の会社が最浅層に口出しを始めた頃だ。健次郎は当時、JAGLに異議を出していた。採取データの独占に反対してな」


「……はい。文書で見ました」


「そのとき、何度か嫌がらせを受けた。仲間が一人、離れた。装備を勝手に調べられたこともあった。そのとき健次郎は、一度だけ、こう言った」


 ゲン爺は茶を置いた。


「『戦えたら、守れるのか』って」


 俺は息を止めた。


 同じ言葉だった。


 俺が今日まで心の中で言っていた言葉と同じだった。


 同じだと思ったとき、胸の奥が一拍、ひゅっと細くなった。


 重くはなかった。


 ただ、そこにあるという感覚だった。


 父も同じ場所で迷っていた。


 それが「よかった」とも「つらい」とも違う、何か別の言葉を必要とする重さで来た。


 ゲン爺は何も言わずに茶を飲んでいた。


「本人は冗談のように言った。でもワシは分かった。本気でそう思ってたんだ。採取Sでも料理Sでも、相手がその気になって動き始めたとき、戦闘が使えなかったら守れない、ってな」


「……」


「それから一か月後、健次郎はまた来た。そのとき言ったのは『急がないんで』だった」


 俺はゲン爺を見た。


「同じことを言うと思った」


 ゲン爺は静かに言った。


「お前と親父は同じとこで迷って、同じとこで踏ん張った。血は正直だな」


 左手が前髪に向かって、動いていた。


 気づいたときもう掻き上げていた。


 俺はカウンターの上の茶碗を見た。


 父も同じ迷いを持っていた。


 戦えたら守れるのかと。


 その問いにどう向き合ったのか。


「急がないんで」と言って、一か月後に戻ってきた。


 戻ってきたということは、踏み止まったということだ。


 でも、父はその後どうなったか。


 それを俺はまだ知らない。


 父のザックを開けて、地図を見て、ゲン爺から話を聞いた。


 でも、父が「急がないんで」と言った日からどんな時間を生きたか。


 それがまだ分からなかった。


* * *


「ゲン爺」


「何だ」


「御崎カナメとぶつかりました」


「そうか」


「俺の言い方が悪かった」


「うん」


 ゲン爺は余計なことを言わなかった。


「……謝りたいけど、何を謝ればいいか、まだ分からない」


 ゲン爺はしばらく黙った。


「坊主、一つ聞いていいか」


「はい」


「御崎のことは何か知ってるか。あの子とお前の親父のこと」


 俺は首を振った。


「何も」


「そうか」


 ゲン爺は窓の外を見た。


 路地に夕方の光が入り始めていた。


「……いつか、御崎の子に聞いてみるといい。あの子がなぜお前のそばにいるのかを」


「どういう意味ですか」


「今はそれだけだ」


 俺は問い返したかった。


 でも、ゲン爺が「今はそれだけだ」と言うとき、それ以上は出てこないことを知っていた。


 急がない。


 聞くなら、次に来たときだった。


* * *


 源田屋を出た。


 空が暗くなっていた。


 西の端に薄い橙が残っていた。


 ゲン爺の言葉が頭に残っていた。


「お前と親父は同じとこで迷った」。


 父も同じ問いを持っていた。


 その父が、どうなったか。


 採取Sが静かだった。


 何も告げなかった。


 答えを持っていないのか、それとも言わないのか。


 分からなかった。


 帰宅した。


 ピコがいなかった。


 部屋を見回した。


 窓の桟で青緑の光が揺れていた。


「……いたか」


 ピコがこちらを向いた。


「ぴこ」


 一声。


 俺は台所に立った。


 冷蔵庫を開けた。


 昨日のグリーンモスが残っていた。


 袋のラベルには、B2グリーンモス、JAGL食用登録済み、加熱用、と書いてある。


 フライパンを取り出した。


 火をつけた。


 バターを入れた。


 そこで手が止まった。


 バターが溶けていく。


 甘い匂いが立ち始めた。


 いつもなら、ピコが来る頃だった。


 カウンターの端で鼻をひくつかせる頃だった。


 今日は来なかった。


 台所が急に広くなった気がした。


 来ないということに気づいた瞬間、火を消した。


 グリーンモスを冷蔵庫に戻した。


 スライムゼリーを出した。


 冷たいまま食べた。


 プルリとした甘さが舌に来た。


 料理をする気が出なかった。


 動画を撮る気も。


 カナメに連絡する気も。


 何もかもが遠かった。


 夜が来て、暗くなって、それでも何も変わらなかった。


 父が最浅層で探索し続けた理由がまだ分からなかった。


 父の死んだ場所がどこだったか。


 俺はずっと知ろうとしなかった。


 知らないまま、十二年が過ぎた。


 知ろうとしないことで、何かから目を逸らしていた気がした。


 父が行った場所を俺が行けば、何かが変わるのかもしれなかった。


 ゲン爺の「御崎の子に聞いてみるといい」という言葉が頭に残り続けた。


 カナメがなぜ俺のそばにいるのか。


 そのことを俺は一度も考えたことがなかった。


 いて当然だと思っていた。


 幼馴染だからと。


 でも、それだけじゃない何かがあるのかもしれなかった。


 スマホを確認した。


 短い更新動画のコメントがまた増えていた。


「ゆっくり待ってます」「また来たとき、B2の様子教えてください」「最浅層なんでを久しぶりに聞いた気がした」。


 見知らぬ名前が並んでいた。


 炎上の頃に来た人たちとは違う声だった。


 そのことに今日初めて気づいた。


 スライムゼリーの最後の一口を飲み込んだ。


 甘くて、冷たかった。


 それだけが今日の味だった。


 ピコが窓の桟から降りてきた。


 俺の膝の上に乗った。


 羽が低く、青緑に光っている。


「……ゲン爺がカナメに聞いてみろと言った」


「ぴこ」


 一声だけ、返った。


 分かっているという声だった。


 カナメがなぜ俺のそばにいるのか。


 十二年間、一度も聞いたことがなかった。


 幼馴染だから。隣に住んでいるから。


 ゲン爺は、そこに何かあると言った。


 でも、今のカナメとは言い合いをしてしまった。


 しばらく連絡しないとカナメは言った。


 俺から謝ることができていない。


 何を謝ればいいか、まだ分からない。


 でも、「分からない」と言い続けることも止まっているということだ。


 急がなくていい。


 でも、聞かないままでいることとは違う。


 料理すら、今夜はできなかった。


 でも、ゼリーを食べた。


 冷たくて、甘かった。


 変わらず美味い。


 父も最浅層の素材を採っていた。


 同じゼリーを食べていたかもしれない。


 プルリとした食感がまだ舌に残っていた。


 冷えたゼリーは後味が薄い。


 甘みが来て、すぐに引く。


 なのに、飽きない。


 何度食べても同じ感想で終わる。


「うまかった」。


 それだけで翌日もまた食べたくなる。


 父が「急がないんで」と言って、戻ってきた。


 その父もこういう食材を食べていたのか。


 戻ってくる理由が何か食べ物に関係していたのか。


 分からなかった。


 でも、食べ続けてきたのは確かだった。


 俺も戻る。


 まだその時がいつか、分からない。


 でも、「ここで終わり」とは思っていなかった。


 それだけが今夜の確かなことだった。


 登録者:三万七千五百十二人。

ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

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