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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第4章 対立編

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第76話 更新が止まる

 朝、スマホを持った。


 小さな三脚は、昨夜のまま机の上にあった。


 いつものカメラは修理店にある。


 レンズの色も、台所の湯気も、ピコの光も、今日はスマホの小さな画面でしか見えない。


 DungeonTubeの通知は百十二件になっていた。


「どうした」


「更新止まってるけど大丈夫?」


「待ってます」


「説明だけでも出してほしい」


 最後の一行で、指が止まった。


 説明だけならできる。


 料理動画ではない。


 探索記録でもない。


 でも、止まったままにしておくよりはいい。


 俺はスマホのインカメラを向けた。


 画面の中に、自分の顔があった。


 目の下が少し暗い。


 声を出す前から、喉が細くなっていた。


 録画ボタンを押した。


「佐々木ユウトです。いつものカメラが壊れて、いま修理に出しています。しばらく料理動画と探索記録は止まります」


 一度、息を吸った。


「素材条件については、確認できた範囲から順番に説明します。未記載素材は食べていません。グリーンモスはJAGL食用登録済み、パープルモスは加熱推奨、ゴールドモスは未記載なので使いません」


 そこまで言って、少しだけ間が空いた。


「急ぎません。でも、止まったままにはしません」


 録画を止めた。


 聞き返した。


 声は硬かった。


 笑えてもいない。


 それでも、昨日の俺よりは前を向いていた。


 タイトルは「カメラ修理中のお知らせ」にした。


 概要欄には、ランクと階層、安全確認はJAGL公開資料に従うこと、未記載素材を真似して採らないことを入れた。


 投稿ボタンを押した。


 すぐに肩の力が抜ける、ということはなかった。


 画面には、自分の動画が小さく並んでいる。


 いつものサムネは、皿と湯気とピコの光だった。


 今日だけは、暗い顔をした俺の上半身だけ。


 料理の匂いもしない。


 包丁の音もない。


 それでも、チャンネルは消えていない。


 その事実を、画面の中に残した。


* * *


 コメントはすぐに来た。


「カメラ壊れてたのか」


「未記載素材食べてないって明言助かる」


「焦らず待ちます」


「tanuki_yamaより:安心しました。ゆっくりで大丈夫です」


 最後のコメントを二回読んだ。


「焦らず待ちます」。


 俺が何度も言ってきた言葉が、別の形で返ってきていた。


 急がないんで、と言ってきた。


 それを、視聴者に言わせてしまっている。


 ありがたいのに、少し痛かった。


 喉の奥が、かすかに細くなった。


 読んでいる人がいた。


 待っている人がいた。


 それだけのことが、今日は普段より重かった。


 コメント欄を閉じた。


 読み続けると、今度は動けなくなりそうだった。


 ザックを持った。


 今日は撮らない。


 でも、潜る。


 B2の空気を、自分の手で確かめたかった。


* * *


 JAGLアプリに入場ログを残し、B2へ降りた。


 階段を下りる前に、公開資料の食材リストも開いた。


 グリーンモスは食用登録済み。


 パープルモスは加熱推奨。


 ゴールドモスは未記載。


 知っている内容でも、画面で確認してから入る。


 今は、その一手順を飛ばしたくなかった。


 岩盤エリアは湿っていた。


 苔と石の匂いが、肺の奥に入る。


 冷たいのに、どこか甘い。


 今日は採取が目的ではない。


 ただ、足を止めずに歩く。


 入口側の岩棚で、グリーンモスに触れた。


 指先に、細い青い熱が返ってくる。


 採取Sの感覚は、素材の中にだけあった。


 コメント欄も、記事の見出しも、カナメとの言い合いも、そこには入ってこない。


 それでよかった。


 グリーンモス。


 JAGL食用登録済み。


 加熱用。


 俺は声に出さず、頭の中で確認した。


 少量だけ採る。


 次に、少し高い岩壁のパープルモスを見る。


 今日は色が濃かった。


 指先にくる熱も、いつもより細い。


 採取Sが、乾きすぎている個体だと告げていた。


 採らない。


 最後に、岩の割れ目に金色が見えた。


 ゴールドモスだった。


 甘い匂いが、ほんの少しだけ鼻に届く。


 指を伸ばしかけて、止めた。


 未記載素材。


 食べない。


 撮らない。


 採らない。


 画面に出せばまた切り取られる。


 食べなくても、そこだけを抜かれる。


 俺は手帳に、ゴールドモス未記載、位置詳細なし、採取せず、とだけ書いた。


 このメモは動画にはならない。


 でも、次に説明するときの足場にはなる。


 何を使わなかったかを残すことも、今は記録だった。


 採取Sは、甘い熱を返していた。


 でも、それは食べていいという意味ではない。


 素材の状態が分かることと、人に出していいことは違う。


 その違いを、今は間違えない。


* * *


 B2の奥へは行かなかった。


 入口側の岩棚を一周して、戻る。


 それだけなのに、足は少し重かった。


 カメラがないだけで、B2の見え方が違う。


 いつもなら、ここで一度立ち止まる。


 画角を確認して、苔の光が潰れないように角度を変える。


 今日は何も構えない。


 手ぶらの目で見るB2は、少し広すぎた。


 採取Sだけが、いつも通りだった。


 良い個体。


 今日は採らない個体。


 水気が多い岩。


 熱が薄い根元。


 そういう細かな感覚だけが、変わらず返ってくる。


 俺の気持ちが荒れていても、素材は素材だった。


 そこに少し救われた。


 変わらないものがある。


 それは、俺を励ます言葉ではない。


 ただ、指先に返ってくる事実だった。


 だから信じられた。


 帰り際、もう一度だけスマホの通知を見た。


 お知らせ動画の再生数は、いつもの料理動画より少ない。


 でも、コメントは増えていた。


「戻ってくるまで待つ」


「最浅層なんで、急がなくていい」


 その言葉を見て、足が止まった。


 急がない。


 でも、止まるのとは違う。


 そう思った瞬間、胸の奥に小さな痛みが来た。


 俺は、急がないふりをして止まっていたのかもしれない。


* * *


 帰宅した。


 ピコが玄関で待っていた。


「ぴこぴこ」


 二声。


 いつもの高さより、少し低い。


「ただいま」


 台所に立った。


 今日採ったグリーンモスを出す。


 袋のラベルをもう一度見る。


 B2グリーンモス。


 JAGL食用登録済み。


 加熱用。


 フライパンにバターを落とした。


 じゅっと音がして、白い泡が広がる。


 刻んだグリーンモスを入れる。


 青い匂いが立った。


 バターの丸い香りと混ざり、苦味の手前で柔らかくなる。


 ピコがカウンターに乗った。


「ぴこ」


 一声、少しだけ上がった。


 塩を振る。


 葉の端がしんなりして、濃い緑に変わる。


 火を止め、皿に盛った。


 ピコに小さく分ける。


「ぴこぴこぴこ」


 三声。


 俺も食べた。


 バターの甘さの後に、苔の青みが来た。


 噛むと、最後に薄い苦味が残る。


 うまかった。


 カメラはない。


 この味は、俺とピコしか知らない。


 それでいいと思いたかった。


 でも、今日の俺は、それでいいとは言い切れなかった。


 待っている人がいる。


 焦らず待つと言ってくれる人がいる。


 だったら、止まっているだけでは駄目だった。


 怖い。


 それは、たぶん本当だった。


 黒葉に接触され、カメラが壊れた。


 東和の名前が文書の端に見えた。


 カナメには言いすぎた。


 父も、もしかしたら似た場所に立っていたのかもしれない。


 戦闘Fの手で、何を守れるのか。


 その問いが腹の底にあった。


 怖くないふりをするのは違う。


 怖いから全部閉じるのも違う。


 ピコが俺の隣に来た。


「ぴこ」


 一声。


 低かった。


 でも近かった。


 その近さだけで、呼吸が少し戻った。


* * *


 夜遅く、ゲン爺から電話が来た。


「坊主。来い」


「……今日はもう遅いです」


「明日でいい。来い」


「何かありましたか」


「お前に話したいことがある」


 ゲン爺は少し黙った。


「急がなくていい。でも、来い」


 電話が切れた。


 俺はスマホをテーブルに置いた。


 胸の奥に、重いものが落ちた。


 また来い、ではない。


 来い。


 ゲン爺がそう言うのは初めてだった。


 ピコが隣で光っている。


 青緑の静かな光。


「……明日、行く」


 言葉にすると、少しだけ決まった。


 急がない。


 でも、止まらない。


 その違いを、今夜は間違えたくなかった。


 登録者:三万七千八百九十三人。

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