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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第4章 対立編

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第70話 三十年前の文書

 翌日の午後、源田屋へ行った。


 有希さんのメッセージには「祖父の遺品」とあった。


 槇原家に関係するかもしれない古い文書。


 それだけで、足が少し重かった。


 源田屋の引き戸を開けると、ゲン爺と有希さんが奥の卓に座っていた。


 二人の間に、薄い茶封筒が置かれていた。


「来たか、坊主」


 ゲン爺が言った。


 有希さんは封筒に手を置いたまま、俺を見た。


「ユウトさん、先に確認させてください」


「はい」


「これは祖父の遺品の中にあった私的な保管コピーです。原本ではありません。今の葉山食品の資料でもありません」


 有希さんの声は、いつもより慎重だった。


「写真は撮らないでください。持ち帰りもなしです。ここで見るだけ。内容を公開する場合は、改めて確認が必要です」


「分かりました」


「個人名が含まれています。すでに亡くなっている方もいますが、扱いは慎重にしたいです」


 俺は頷いた。


 紙を見る前に、その重さだけが先に来た。


* * *


 封筒から出てきたのは、古いコピーの束だった。


 紙の端が少し黄ばんでいる。


 コピーの黒がところどころ薄い。


 表紙には「採取データ管理方針に関する意見書」とあった。


 日付は一九九七年。


 大発現の翌年だ。


 有希さんが、一枚目を指で押さえた。


「祖父の名前があります」


 中ほどに「方針案に反対する探索者・関係者」と書かれていた。


 一覧の一番上に、山田善三。


 その下に、源田正夫。


 ゲン爺の本名だった。


 知らない名前も並んでいる。


 俺はその中に、父の名前を探してしまった。


 佐々木健次郎。


 その名前はなかった。


 胸の奥で、何かが一度空振りした。


「父の名前は……ありませんね」


「当たり前だ」


 ゲン爺が低く言った。


「一九九七年、健次郎はまだ登録冒険者じゃない。あいつが登録したのはもっと後だ」


「二〇〇四年頃、でしたよね」


「そうだ」


 父の名前がないことが、逆に事実を支えていた。


 古い文書は、父の前の時代のものだった。


 父が追っていたものの、さらに前にあった火種。


 俺は紙の端を見た。


 そこに父の名前はない。


 でも、父が後からこの紙を読んだ可能性はある。


 もし父の名前が一覧にあったら、俺はもっと楽だったのかもしれない。


 三十年前から父が中心にいたのだと、乱暴に結べるからだ。


 けれど紙は、そうは言っていなかった。


 空白のまま残った名前が、かえって父と文書の距離を正確に示していた。


 父は後からこれに触れた。


 そこを間違えると、俺は父の話まで勝手に作ってしまう。


 そう思った瞬間、ページの余白に小さな付箋があるのに気づいた。


 有希さんが次の紙をめくった。


「ここです」


 付箋には、山田善三のものらしい丸い字で短く書かれていた。


「二〇〇四年、佐々木健次郎に写しを見せる。『同じことが始まっている』と言う」


 息が止まった。


 父の名前は、反対者リストではなく、後から付けられたメモの中にあった。


 父はこの文書を読んでいた。


 少なくとも、山田善三はそう記録していた。


* * *


 有希さんは最後のページをめくった。


 そこに、担当部署名と担当者名があった。


「対応担当:槇原太郎」


 槇原。


 ゲン爺が言っていた、先代側の名前。


 今の槇原総一の父親。


 指先が冷えた。


 採取Sは何も言わない。


 紙は素材ではない。


 人の名前は採取物ではない。


 それでも、俺の手は止まった。


「槇原太郎……」


「ワシが昔見た名前だ」


 ゲン爺が言った。


「採取記録を会社の棚にしまいたがった側の人間だ」


「対応担当というのは、何をした人なんですか」


「それは分からん」


 ゲン爺は即答した。


「文書にあるのは担当者名だけだ。誰に何をしたかまでは書いてない」


 有希さんも頷いた。


「祖父のメモにも、対応の内容はありません。ただ、この文書を大事に残していたことと、後年、佐々木健次郎さんに見せたことだけが分かります」


 俺はもう一度、付箋を見た。


 二〇〇四年。


 佐々木健次郎に写しを見せる。


 同じことが始まっている。


 父は何を見て、同じことだと言ったのか。


 今の東和の動きと似た何かを、当時も見ていたのか。


 まだ分からない。


 分からないのに、胸の中だけが先に冷えていく。


「ユウトさん」


 有希さんが言った。


「この文書は、今すぐ外に出せるものではありません。祖父の私物として残っていただけで、公開の許可が取れているわけではないので」


「分かっています」


「でも、ユウトさんが知る必要はあると思いました」


「見せてくれて、ありがとうございます」


 声が少し掠れた。


 ゲン爺が湯呑みを置いた。


「坊主。これで何かが分かった気になるな」


「……はい」


「分かったのは、三十年前に採取記録を押さえようとした動きがあったこと。槇原太郎という名前がそこにあったこと。健次郎が二〇〇四年にその写しを見たらしいこと。それだけだ」


「それだけ、ですね」


「そうだ。それだけを間違えずに持って帰れ」


 持ち帰るのは紙ではない。


 記録された事実だけだ。


 俺は封筒を閉じる有希さんの手を見ていた。


 指先が少し震えていた。


 有希さんにとっても、祖父の遺品を開くことは簡単ではないのだと分かった。


 俺が父の名前に引きずられるように、有希さんも祖父の名前に引きずられている。


 それでも、ここで見せると決めてくれた。


 その事実だけは、文書とは別に覚えておきたかった。


* * *


 源田屋を出た。


 B2には寄らなかった。


 今日はまっすぐ帰る。


 紙の匂いが、まだ指に残っているような気がした。


 帰宅して、台所に立った。


 冷蔵庫からB1のスライムゼリーを取り出した。


 透明な部分だけを使う。


 JAGL食用安全リスト確認済みの通常部位だ。


 ソースには、昨日残しておいたグリーンモスを使った。


 食用登録済みで、加熱用に分けておいた株。


 フライパンにバターを落とした。


 弱火で溶かす。


 白い泡が端から立った。


 刻んだグリーンモスを入れると、じゅっと小さな音がした。


 青い香りが立ち上がる。


 今日は、いつもより細かく刻んだ。


 ゼリーにかけた時、冷たい表面に絡むようにしたかった。


 塩を少し。


 火を止める。


 透明なゼリーの上に、緑の温かいソースをかけた。


 冷たいものと温かいものが、器の中で並んだ。


 ピコがカウンターに乗った。


『ぴこ……』


 いつもの三声ではなかった。


 紙の匂いが残っている俺の手を見ているようだった。


「大丈夫だ。これは食べていいやつだ」


『ぴこ』


 一声。


 少し冷ましてから、ピコに分けた。


『ぴこぴこぴこ』


 三声。


 俺も食べた。


 ……うまい。


 冷たいゼリーの淡い甘みと、温かいグリーンモスソースの青さが混ざった。


 舌の上で温度がずれた。


 古い紙の黄ばみと、透明なゼリーと、緑のソース。


 全部が別々の時間にあるのに、同じ器の上に乗っているような気がした。


 父はこの文書を見た。


 そう書かれたメモがあった。


 でも、父が何をしたのかはまだ分からない。


 それでいい。


 今日分かったことだけを、間違えずに置いておく。


* * *


 夜、動画を投稿した。


 動画タイトルは「B1スライムゼリーに、温かいグリーンモスソースをかけた」にした。


 概要欄には、B1スライムゼリーは食用安全リスト確認済みの通常部位だけを使い、グリーンモスはJAGL食用登録済みで加熱調理していることを書いた。


 今日見た文書のことは入れない。


 コメントが来た。


「冷たいゼリーに温かいソース、絶対うまいやつ」


「ピコの一声がちょっと静かで好き」


「tanuki_yamaより:これ、下処理済み素材でやってみます」


「今日の動画、いつもより静かだけど好きです」


「透明なゼリーに緑のソース、見た目がきれい」


 俺はコメントを読んだ。


 机の上には、何も置いていない。


 文書は源田屋に戻った。


 でも、頭の中には残っている。


 一九九七年の文書。


 二〇〇四年の付箋。


 槇原太郎という名前。


 父が「同じことが始まっている」と言った記録。


 何かが見えた気がする。


 でも、まだ見えきってはいない。


 登録者:三万八千九百四十三人。

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