第71話 安全性動画で燃えた
朝、スマホの通知で目が覚めた。
数が、いつもと違った。
昨夜投稿した動画だけではない。
過去のグリーンモス料理、パープルモスの加熱添え、三色モス採取回にまでコメントが増えていた。
「これ、JAGLが監修したレシピじゃないの?」
「ゴールドモスって未記載素材だよね。食べてたの?」
「黒葉レンが安全性の動画出してる。見た方がいい」
胸の奥が、ゆっくり冷えた。
俺はベッドから起き上がり、動画を開いた。
通知欄には、見慣れた名前と初めて見る名前が混ざっていた。
「前から見てたけど、監修済みだと思ってた」
「弟が真似しようとしてたから止めた」
「概要欄に書いてあっても、動画だけ見る人はいるよ」
責める言葉だけではなかった。
困惑している人もいた。
それが余計に重かった。
* * *
黒葉レンの最新動画は、検索の上位に出ていた。
タイトルは「最浅層料理動画の安全性について、冒険者として言いたいこと」。
昨夜の投稿で、再生数はもう十四万を超えている。
サムネイルには、俺の三色モス採取回の一場面が使われていた。
金色の苔をピンセットで持ち上げている瞬間だ。
俺はその回で、ゴールドモスを食べていない。
未記載だから分析用に分け、料理用の皿から離した。
でも、切り抜かれた静止画だけを見ると、そうは見えなかった。
黒葉は落ち着いた声で話していた。
「最浅層の採取物を料理する動画が伸びています」
「ここで混同してはいけないのは、食用登録と、個別動画の調理手順がJAGL監修済みであることは別だという点です」
画面にJAGL公開リストが映る。
グリーンモスは食用登録あり。
パープルモスは加熱推奨。
ゴールドモスは項目なし。
そこまでは事実だった。
問題は次の言い方だった。
「視聴者は細かな区分を見分けられません」
「未記載素材が画面に映り、苔類を料理として扱う動画が続けば、真似する人が出ます。体調を崩した時、配信者はどこまで責任を取れるのでしょうか」
名指しはしていない。
けれど、俺のサムネイルは映っていた。
俺の動画タイトルの一部も、ぼかしが薄く入っていた。
言っていることの中に、正しい部分がある。
だから厄介だった。
全部が嘘なら、否定すればいい。
でもこれは、事実の並べ方だった。
* * *
採取Sは、画面の言葉には反応しない。
黒葉の意図も、視聴者の不安も、企業の動きも分からない。
分かるのは、素材に触れた時の匂いと熱と、指先に残るわずかな違和感だけだ。
俺は冷蔵庫を開けた。
昨日のグリーンモスが残っている。
指先で袋越しに触れると、青い熱が細く返ってきた。
鮮度は落ちていない。
食べられる。
でも、それは俺の体の中にある答えでしかない。
コメント欄にいる人には見えない。
俺は動画管理画面を開いた。
三色モス採取回の概要欄には、ゴールドモスは未記載のため食べない、と書いてある。
ただ、動画の途中で一度だけ、金色の苔を画面中央に置いた。
綺麗だったからだ。
それが今、別の意味で切り取られている。
自分が嘘をついたとは思わない。
でも、誤解される隙間はあった。
そこを突かれた。
過去動画を一本ずつ開いた。
グリーンモス炒めの回。
パープルモスを添えた回。
B2の苔を見せた回。
どれも、当時の自分なりに安全線は書いていた。
JAGL資料確認済み。
加熱推奨。
未記載素材は食べない。
でも、そこに「JAGL監修レシピではありません」という言葉はなかった。
俺にとっては当たり前だった。
けれど、初めて来た人には当たり前ではない。
動画は、撮った日の俺だけのものではなくなっていた。
後から来た人にも読める形で置き直さないといけなかった。
俺は最新動画と関連する過去動画の概要欄を編集した。
グリーンモスはJAGL食用登録済み。
パープルモスは加熱推奨。
ゴールドモスはJAGL未記載のため食べていない。
このチャンネルの調理手順はJAGL監修レシピではない。
真似する場合は、自分のランク、入場階層、JAGL公開資料、処理済み素材、体調異常時の中止を必ず確認すること。
それを固定コメントにも入れた。
投稿ボタンを押した後で、手が少し止まった。
これは反論ではない。
逃げでもない。
今できる、線引きだった。
* * *
昼前、カナメからメッセージが来た。
「黒葉の動画、見た。今から行ける」
ありがたかった。
でも、すぐには頷けなかった。
「先に概要欄を直した。今日は情報を整理したい」
少し間があった。
「わかった。でも一人で抱えすぎないで」
「うん」
有希さんからも連絡が来た。
「状況は把握しています。葉山食品の名前で発信できる段階ではありませんが、JAGL公開資料の表現と、一般向けに言える範囲を確認します」
「お願いします」
「ゴールドモスについては、未記載素材として食べない扱いを続けてください。そこは崩さないでください」
「崩しません」
続けて、有希さんからもう一通来た。
「ユウトさん個人のチャンネルとして、事実関係を整理して追記するのは問題ありません。ただ、葉山食品が安全性を保証したように読める表現は避けてください」
「葉山食品の名前は出しません」
「お願いします。こちらも公表できる範囲が固まり次第、連絡します」
その返信を打って、少しだけ息が戻った。
味が正しいことと、外へ出せる説明が正しいことは別だ。
その別を、今まで自分は少し甘く見ていたのかもしれない。
黒葉の動画が正しいわけではない。
でも、そこを突かれたことは、見ないふりをできなかった。
* * *
台所に立った。
今日は撮らない。
カメラも立てない。
自分の昼飯として、グリーンモスを焼く。
袋から出す前に、もう一度ラベルを見た。
B2グリーンモス。
JAGL食用登録済み。
加熱用。
未記載素材なし。
フライパンにバターを落とした。
白い泡が端から立つ。
刻んだグリーンモスを入れると、じゅっと音がした。
草の青みと、乳脂肪の甘さが混ざる。
いつもの匂いだった。
なのに、箸を持つ手が少し遅れた。
コメント欄の声が頭に残っている。
「信頼してたのに」
その一文が、味の前に来た。
俺は一口食べた。
うまい。
青臭さはバターで丸くなり、奥に甘みが残る。
変わっていない。
変わっていないことに、少し救われた。
ピコがカウンターに上がった。
『ぴこ?』
「今日は撮らない」
『ぴこ』
「でも食べる。食べることは、やめない」
少し冷まして分ける。
『ぴこぴこぴこ』
三声。
俺は笑えなかった。
それでも、皿は空になった。
* * *
夕方、固定コメントに返信がつき始めた。
「説明追記ありがとう。ゴールドモス食べてないのは分かった」
「JAGL監修じゃないって明記したのは大事」
「でも怖くなった人がいるのは分かってほしい」
「黒葉レンの動画から来たけど、切り抜き方ちょっと雑じゃない?」
「tanuki_yamaより:追記読みました。無理せず、手順を守って続けてください」
全部が戻ったわけではない。
むしろ通知は増え続けている。
黒葉の動画は二十万再生に近づいていた。
夜、動画は投稿しなかった。
代わりに、過去動画の概要欄をもう一度見直した。
食用登録。
加熱推奨。
未記載素材。
監修ではないこと。
書けることと、まだ書けないこと。
その線を一本ずつ引いた。
最後に、新しい告知動画の下書きを作った。
タイトルだけ入れて、保存した。
「最浅層食材の安全表示について、現在確認中です」
すぐには出さない。
有希さんの確認を待つ。
でも、何もしていないわけではないと、自分に言い聞かせるためにも、下書きだけは置いた。
日付が変わる少し前、通知欄に見慣れない記事タイトルが出た。
「最浅層料理動画、食品安全に懸念の声」
ニュースサイトの記事だった。
登録者:三万九千二百十七人。
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