第69話 嫌がらせの形が見えた
昨夜のカナメのメッセージに、朝になって返信した。
「午後なら大丈夫」
カナメからはすぐに返ってきた。
「じゃあ行く。スクショは送らない。直接見せる」
その一文で、ただの相談ではないと分かった。
俺はスマホを伏せた。
午前中はB2に行く。
先に、いつものことを終わらせる。
* * *
JAGLアプリに通常採取の入場ログを残した。
父の地図は持っていない。
源田屋で聞いた話を写したメモも持っていない。
今日は、採取とスープ用の素材だけだ。
B2の苔の間を歩いた。
グリーンモスの張りを指先で確かめる。
水気が多すぎない場所。
根元の繊維が締まっている場所。
四か所から採れた。
B2の奥三番目の岩盤の前にも来た。
ピコが羽を静かに開いた。
『ぴこ』
指先を当てると、細い通電感があった。
今日もある。
それ以上は書かない。
槇原という姓とも、黒葉の動きとも、まだ結びつけない。
俺は日付と場所だけをメモして、岩盤から手を離した。
* * *
午後、カナメが来た。
コートを脱ぐ前に、スマホを俺の方へ向けた。
「先に言う。これは正式な証拠として使えない」
「分かった」
「私に見せてくれた人も、公開するつもりじゃない。名前は伏せる。スクショも送らない。ユウのスマホにも残さない」
カナメの声は硬かった。
俺は頷いた。
「見るだけにする」
画面にはDungeonLinkのグループチャットの一部が映っていた。
グループ名は途中まで黒塗りされていた。
見えるのは「最浅層配信対応」という文字だけ。
投稿者名も多くは伏せられている。
ただ、一つだけ、伏せられていない名前があった。
black_blade_r。
黒葉レンの公開アカウント名だ。
その下に短い指示文があった。
「今週は安全性への懸念を中心に。担当日は表の通り。本人名の連呼は避ける」
その下に、日付とアカウント名が並んでいた。
俺のコメント欄に批判が増えた日と、いくつか重なっている。
文面も似ていた。
「F判定で最浅層を配信する危険性」
「初心者が真似する恐れ」
「安全性への懸念」
見覚えのある言葉だった。
胸の奥が、静かに冷えた。
指先が少しだけ熱くなった。
採取Sではない。
怒りで、手が止まっただけだ。
「……これ、どこまで確かなんだ」
「少なくとも、そういうやり取りがあった画面を私は見た。だけど、改ざんの可能性をゼロにはできないし、正式に出せるものでもない」
「東和プロモが組織としてやった、と断定はできない」
「うん。断定はできない」
カナメはそこで、俺を見る。
「でも、形は見えた」
その言葉だけは、はっきりしていた。
カナメは画面を閉じた。
俺がもう一度見たいと言う前に、スマホを胸元へ戻した。
「これ以上は見せない。見せてくれた人を守りたい」
「うん」
「ユウが知る必要がある範囲だけ。そう言われている」
そこで初めて、カナメも危ない橋を渡っているのだと分かった。
俺は、画面の中の名前より先に、目の前の幼馴染の手を見た。
スマホを握る指が、少し白くなっていた。
* * *
俺は自分のスマホで、自分のコメント欄を開いた。
スクショは撮らない。
カナメの画面も保存しない。
ただ、自分のチャンネルに残っているコメントの時刻と文面だけを見た。
同じ日の夜。
似た言葉。
今月作成のアカウント。
安全性への懸念。
初心者が真似する恐れ。
最浅層という言葉の使い方まで似ている。
偶然で片付けるには、形が揃いすぎていた。
でも、まだ証拠ではない。
俺はメモ帳に、自分のコメント欄で確認できる範囲だけを書いた。
時刻。
アカウント名。
文面。
それだけだ。
カナメが見せてくれた画面の内容は書かない。
黒塗りされていた名前も、俺の手元には残さない。
今の俺にできるのは、自分の場所に残っている事実を並べることだけだった。
「怒ってる?」
カナメが聞いた。
俺は少し黙った。
「怒ってる」
声に出すと、胸の中の冷たさが少し形を持った。
「ずっと見てくれていた人が不安になった。tanuki_yamaさんも、大丈夫ですかって書いてくれた。そこに腹が立ってる」
「うん」
言いながら、喉の奥が熱くなった。
声は大きくならなかった。
でも、指先が机の端を押していた。
爪の先が少し白くなっていた。
「でも、晒し返すつもりはない。今あるのは正式な証拠じゃない」
カナメは小さく息を吐いた。
「それでいい。向こうのやり方に乗らない方がいい」
「黒葉にも、すぐには触れない」
画面の中にblack_blade_rの名前はあった。
それでも、黒葉がどこまで自分の意思で動いたのかは分からない。
指示に従ったのか。
利用されたのか。
それとも、最初から分かって乗ったのか。
今はどれも断定しない。
ただ、嫌がらせの形が見えた。
その事実だけを、俺は胸の中に置いた。
「ユウ」
「うん」
「気をつけて」
三日続けて、同じ言葉を言われた。
でも、今日のそれは少し違った。
ただの心配ではない。
見えたものを前にした警告だった。
「分かった」
俺はそう答えた。
* * *
カナメが帰った後、台所に立った。
午前に採ったグリーンモスを出した。
鍋に水を入れた。
昆布を入れた。
グリーンモスを後から入れた。
ことことと鍋が鳴った。
苔の青い香りがゆっくり立ち上がった。
今日のグリーンモスは、いつもより香りが硬かった。
葉の端を刻んだ時、包丁に少し抵抗があった。
水に入れてもすぐにはほどけない。
だから火を弱めた。
急いで煮ると、苦みが前に出る。
今日はそれをしたくなかった。
黒葉の名前。
安全性への懸念という文面。
担当日という言葉。
全部、頭の中に残っている。
でも、鍋の前では火加減を見る。
出汁の色を見る。
塩を入れるタイミングを見る。
グリーンモスの繊維がほぐれて、昆布の旨みと混ざっていく。
ピコが鍋の匂いに鼻を近づけた。
『ぴこぴこ』
半音、上がった声だった。
「もうすぐだ」
木べらでゆっくり回した。
味見をする。
青みが強い。
今日はいつもより少しだけ塩を減らした。
喉に残る冷たさを、無理に消したくなかった。
薄くした塩の向こうで、昆布の甘みが遅れて来た。
グリーンモスの青さは残っている。
でも、刺さらない。
怒りを消す味ではなく、怒りの横に置ける味だった。
スープができた。
ピコに一口分けた。
『ぴこぴこぴこ』
三声。
俺も飲んだ。
……美味い。
怒っていても、美味いものは美味い。
それが腹立たしいくらい、確かだった。
* * *
夜、動画を投稿した。
動画タイトルは「朝のB2採取と、帰ってから作ったグリーンモスのスープ」にした。
概要欄には、JAGL食用登録済みのグリーンモスを使い、加熱調理していることを書いた。
B2に入るならランクと入場条件を確認し、異変を感じたら引き返すことも添えた。
コメントが来た。
「今日のユウトさん、なんか考え事してる顔に見えた」
「ピコが鍋の近く離れないのかわいい」
「tanuki_yamaより:今夜この動画見ながら、下処理済み素材でスープ作りました」
「毎回応援しています」
「スープの湯気、見てるだけで落ち着く」
俺はコメントを読んだ。
「考え事してる顔に見えた」。
見える人には見える。
それでも、今日は返事をしなかった。
* * *
深夜。
有希さんからメッセージが来た。
「祖父の遺品の中から、槇原家に関係するかもしれない古い文書が出てきました。明日、源田屋で見てもらえますか」
俺はスマホを見た。
槇原家に関係するかもしれない古い文書。
ゲン爺が言っていた、どこかに残っているかもしれない文書。
その言葉が、同じ場所を指しているのかはまだ分からない。
でも、明日見に行く理由にはなった。
俺は返信した。
「明日、行きます」
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