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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第4章 対立編

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第68話 ゲン爺の話

 源田屋の引き戸を開けると、古い木の匂いがした。


 最浅層用の道具が、いつもの棚に並んでいる。


 採取袋、平たい箆、B2の岩の隙間を掃除する細い刷毛、スライム用の小さな刃。


 派手な装備は一つもない。


 それでも、どれも手入れされていた。


 最浅層を本当に歩く人間の道具だった。


「来たか、坊主」


 奥の椅子で、ゲン爺が顎をしゃくった。


「座れ」


 俺は向かいに座った。


 椅子の座面が少し沈んだ。


 源田屋に来るたび、この椅子は同じ音を立てる。


「電話で言ってた話って、何ですか」


「急くな」


 ゲン爺は湯呑みに手を伸ばした。


「お前、槇原という姓を聞いたんだろう」


 指先が止まった。


「有希さんから聞いたんですか」


「山田の孫娘、有希という娘からは、槇原という姓が出た、とだけ聞いた。細かい話は聞いとらん」


「……そうですか」


「あとは、お前の動画を見れば分かる。コメント欄の風が変わっとる」


 ゲン爺はそう言って、湯呑みを置いた。


「年寄りでも、そのくらいは見える」


 俺は黙った。


 葉山食品のことも、黒葉のことも、ゲン爺は断定しなかった。


 ただ、風が変わっていると言った。


 それなら分かる。


 俺自身も、その風を感じていた。


* * *


「槇原という姓を、ワシは昔の資料で見たことがある」


 ゲン爺が言った。


「今の専務本人じゃない。先代側の名前としてだ」


「三十年前の話だ。大発現の後、最浅層にいろんな会社が入ってきた。石、薬草、魔物素材。何でも金になると思われていた時期だ」


「今は見向きされていないのに」


「最初は違った。何が価値を持つか、誰にも分からなかったからな」


 ゲン爺の声は低かった。


「その中に、採取記録をまとめて押さえようとする動きがあった。どこで、誰が、何を採ったか。そういう記録を会社の棚にしまいたがる連中がいた」


「採取記録を、ですか」


「ああ。素材そのものより、記録を欲しがる奴らがいた」


 採取袋を持つ手が少し重くなった。


 俺は自分の動画を思い出した。


 どこで採ったか。


 どう処理したか。


 何を作ったか。


 ずっと記録してきた。


 それを誰かが欲しがるという感覚が、少しだけ分かった。


「お前の親父は、その手の話を嫌っていた」


 息が細くなった。


「父が」


「健次郎は、最浅層の記録は一社のものじゃないと言っていた。食えるものを見つけたなら、食える形で残せばいい。誰かが後から確かめられるようにしておけ、と」


 ゲン爺は、棚に並んだ古い箆を見た。


「あいつはな、採るのが丁寧だった。根を傷つけない。岩の湿り具合を手で見る。採ったあとに、必ず少し残す」


「……」


「食べる前も同じだ。いきなり口に入れない。洗って、火を入れて、少しだけ味を見る。うまいと思ったら、すぐメモした」


 俺は、父の姿を知らない。


 でも、ゲン爺の声の中には、父の手つきがあった。


 平たい箆を持つ手。


 苔の根元を見る目。


 鍋の前で、味を確かめる沈黙。


 俺はその光景を、知らないのに想像できた。


「お前と似とる」


 ゲン爺が言った。


「急がないところもな」


 胸の奥が、一拍、詰まった。


「父も、そう言ってたんですか」


「言っていた。何度もな」


 ゲン爺は鼻で笑った。


「急がないんで。食えるものは逃げませんから、と。若いくせに、年寄りみたいなことを言う男だった」


 返事ができなかった。


 俺が勝手に自分の言葉だと思っていたものが、父の声にもあった。


 それが嬉しいのか、怖いのか、すぐには分からなかった。


* * *


「ただし、坊主」


 ゲン爺の声が変わった。


「同じ言葉を使っても、同じ道を歩く必要はない」


 俺は顔を上げた。


「父の続きじゃなくてもいい、ということですか」


「続きではある。だが、代わりではない」


 ゲン爺はゆっくり言った。


「健次郎は、分からないものを一人で抱え込みすぎた。ワシにも言わなかったことがある。山田の爺さんにも言わなかったことがあるはずだ」


「……父は、何を知っていたんですか」


「全部は知らん」


 即答だった。


 そこが、かえって信用できた。


「分かっているのは、健次郎が槇原という姓を気にしていたこと。最浅層の記録を外へ出す時、必ず写しを残せと言っていたこと。それから」


 ゲン爺は一度、言葉を切った。


「古い文書が、どこかにまだ残っているかもしれんということだ」


「文書」


「ワシが持っているわけじゃない。山田の孫が祖父の遺品を調べている。何か出るなら、そっちだ」


 有希さんの祖父。


 山田善三。


 最浅層探索者だった人。


 そこに何かが残っているかもしれない。


 答えではなく、場所だけが示された。


 指先の奥に、細い熱だけが残った。


 それはすぐに消えた。


 答えではない。


 ただの身体の反応だった。


「坊主」


「はい」


「急がないのはいい。だが、一人で抱えるな」


 ゲン爺の目は静かだった。


「記録は残せ。誰かに見せろ。父親と同じところに立っても、父親と同じ失敗はするな」


 喉の奥が細くなった。


「……分かりました」


「本当に分かった顔じゃないな」


「まだ、分かってる途中です」


 ゲン爺は少しだけ笑った。


「それでいい」


* * *


 源田屋を出たあと、B2に寄った。


 JAGLアプリには通常採取の入場ログを残した。


 父の地図は持っていない。


 源田屋で聞いた話を写したメモも持っていない。


 動画には、今日のB2の記録だけを入れる。


 冬の空気からダンジョンの空気に変わると、肺が少し楽になった。


 B2の苔の間はいつも通りだった。


 岩盤は湿っていて、グリーンモスの青い匂いがする。


 ピコが肩の上で羽を開いた。


「ぴこ」


 一声。


 俺は奥三番目の岩盤の前に立った。


 指先を当てた。


 細い通電感があった。


 今日もある。


 それだけだった。


 この下に何があるのかは分からない。


 父がこの感覚を知っていたのかも分からない。


 槇原という姓とこの岩盤がどこで繋がるのかも、まだ分からない。


 でも、分からないまま、記録はできる。


 俺はスマホに日付と場所だけを入れた。


 B2、奥三番目の岩盤。


 通電感あり。


 ピコ反応、一声。


 それ以上は書かなかった。


 分からないことを、分かったようには書かない。


 父がどうしていたかは知らない。


 でも、今の俺はそうすることにした。


* * *


 帰りにパープルモスを少し採った。


 色のいい株だった。


 岩の割れ目に、青みがかった紫がまとまっている。


 指先で根元を押すと、弾力が返ってきた。


 指先で、いい株だと分かった。


 それ以上の意味は載せない。


 それでいい。


 帰宅して、フライパンを出した。


 JAGL資料では加熱推奨の素材だ。


 生では試さない。


 バターを落とす。


 弱火でゆっくり溶かす。


 白い泡が端から立って、甘い匂いが広がった。


 パープルモスを入れると、パチッと小さな音がした。


 紫の苔が熱を受けて、端から濃い青紫へ変わっていく。


 木べらで返すたび、バターの膜が薄く絡んだ。


 塩をひとつまみ。


 それだけ。


 器に盛ると、白い陶器の上で青紫が少し光った。


 ピコがカウンターに乗った。


「ぴこぴこ」


 二声。半音、上がった。


「熱いから待て」


「ぴこ」


 一声。低い。


 不満そうだった。


 少し冷まして、先に分けた。


「ぴこぴこぴこ」


 三声。高かった。


 俺も食べた。


 うまかった。


 バターの丸みのあとに、パープルモスの甘みが来る。


 塩が舌の上で短く立って、そのあと苔の香りが残った。


 父も、こういうものを食べていたのかもしれない。


 そう思った。


 でも、父が食べたかどうかは分からない。


 分からないままでいい。


 俺は今、これを食べている。


 それだけは確かだった。


* * *


 夜、動画を投稿した。


 動画タイトルは「B2のパープルモスをバターと塩だけで食べた」にした。


 概要欄には、JAGL資料で加熱推奨を確認し、火を通してから食べていることを書いた。


 生食せず、確認できる素材だけで試してほしい、とも添えた。


 コメントが来た。


「バターと塩だけのやつ、絶対うまい」


「ピコが待てなくなってるのかわいい」


「tanuki_yamaより:シンプルなのが一番ですね。下処理済みで作ってみます!」


「今日の動画、静かだけど好き」


「毎回来てます。応援しています」


 批判コメントは来なかった。


 来なかったことが、かえって静かだった。


 スマホが震えた。


 カナメからだった。


「明日、時間ある? 見せたいものがある」


 源田屋で聞いた言葉が、胸の奥に残っていた。


 記録は残せ。


 誰かに見せろ。


 俺はスマホを握ったまま、しばらく画面を見ていた。


 登録者:三万八千四百七十七人。

ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!

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