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7/11

第7話 はじめての料理動画

 冷蔵庫の白い筋のゼリー、今朝、六本。夜中にまた一本、増えた。


 数えないと決めたのに、目が、勝手に数えていた。


 俺は、五時半に目が覚めた。今日、はじめての本気の料理動画を、世に出す。


 夜のうちに編集を進めて、グリーンモス炒めの動画は、ほぼ形になっていた。まだ投稿していない。切り株の上で、もう一度、素材のカットだけ撮り直す。今日の動画は、料理動画にする。採取報告でも、実験ログでもない、『不味いを上書きした』一皿を見せるための、本気の一本。


 台所の隅、ざるの上の乾燥しかけた苔を、もう一度、香りだけ嗅いだ。青さはまだ残っているが、昨日より、一段だけ奥に引っ込んでいる。乾燥で、苦味はこれ以上抜けない。炒めの火加減で、もう一歩引き下げる。


 ジップ袋のもう一つ、光柱の粉も、ガラス瓶に移し替えてある。今日は使わない。でも、机の上に置いておく。採取Sが、忘れるな、と言った気がした。


 今日、もう一度、B2に行く。撮り直しと、追加採取のために。


 * * *


 七時二十分。母が起きてきた。


 昨日のB2苔炒めは、冷蔵庫に保存分を一つ残してあった。小皿に載せ直す。


「おはよう」


「おはよう。——また、試食?」


「うん。B2の苔」


「昨日と違うね」


「違う、素材」


 母はゼリーの時と同じように、一秒だけ躊躇って、それから、爪楊枝で一口、口に入れた。咀嚼、四回。昨日より、一回、多い。


 母の眉が、少しだけ動いた。


「……あ、これ、ちょっと、懐かしいかも」


 俺は、爪楊枝を止めた。


「懐かしい?」


「昔、父さんが一度だけ、似たの、作ったことある。名前は、忘れた。ニンニクと、緑のなにか。私が『こんなの食べられるの?』って、笑った」


 母の目が、新聞を取りに行く手前で、止まった。


「父さんは、『お前が食べられるなら、誰でも食える』って、言ってた」


 それから、母はもう一口、苔を食べた。眉の動きは、昨日の『美味しい』より、少しだけ、奥の筋肉が動いていた。


「美味しいよ。昨日のより、好き」


 俺は、カメラを立てていなかった。でも、この一言は、今日、編集しない動画の中に、そのまま残った。


 * * *


 父のザックの前を通った。


 今日は、視線が止まった先で、俺の右手が、一度だけ、動きかけた。伸ばすか、伸ばさないか、迷って、結局、止めた。——でも、手が動きかけた、というのは、はじめてのことだった。


 左手で前髪を掻き上げた。気のせいかもしれない。でも、ザックと俺の距離は、目盛りで計れる範囲に入ってきている。


 玄関を出る前、カナメにLINEを一行打った。


 『続けてます』


 既読はすぐに付いた。返信は、五分後。


 『知ってる。動画、上がるのを待ってる』


 * * *


 B2「苔の森」、二回目。八時半、出発。一時間半の往復で、十時前には戻る予定。


 昨日と同じ階段を降りる。二日目、というだけで、体の動きが一段スムーズになる。採取Sが、身体のどこかで、前日の動きを覚えている感じがする。


 古い切り株の前に、折り畳みミニ三脚を立てた。家を出る前、ロビーの売店で買った。千円。配信用の入門装備、三十万円には、まだ程遠い。


 切り株の上に、皿を置く想定の位置を、白のペンで印をつけた。光柱の一本が、切り株の脇に落ちている。地面の苔は、昨日と同じく、その光の下だけ、ゆっくり、息をするように揺れていた。時間帯を選べば、皿に光が当たる角度が作れる。


 撮影位置を決めてから、苔の追加採取。さっきよりは、慎重に、多めに。今回は、四百グラム。これで母の試食分と、編集の予備カットと、保存実験用が揃う。


 * * *


 十一時、帰宅。すぐに撮影本番に入る。


 手元カメラを固定。グリーンモスを水で軽く洗う。土の匂いと、青さの匂い。絞ると、湿った海苔の匂いが立ち上がる。それから、ざるに並べて、十五分、扇風機の弱風で乾燥。葉が、緊張するように、ゆっくり縮んで、指先くらいの大きさになる。


 ニンニクをスライス。オリーブオイルを薄く引いた弱火のフライパンに、薄い金色の輪を並べる。じわ、と、油の表面が音を立てて広がる。香りが、台所いっぱいに、ゆっくり昇る。


 乾いた苔を投入。じゃっ、と、昨日と同じ乾いた音。塩をひとつまみ、胡椒を一振り。三十秒で、火を止める。


 最後の皿盛り。切り株の上で撮影する構図を、台所のまな板の上で再現する。まな板の下に、切り株の画像を出力して敷く。原物は無い。でも、絵の配色としては、緑と、茶と、塩の白、のコントラストになる。光柱の粉のガラス瓶を、画角の隅にちらりと置いてみた——いや、まだ早い。下げた。


 カメラを切って、ナレーションを別録りした。


「B2の苔、『グリーンモス』を、乾燥させてから、ニンニクと炒めました。二年前、バトル配信のランカーが『不味い』と放送で言った素材です。俺は料理Sです。素材に罪はないと思って、料理してみました。——結果、美味いです」


 原稿は書かなかった。一発で、そのまま入れた。四回撮り直したが、四回目で「今のがいちばん、嘘がない」と、自分で思った。


 編集で、音声をかぶせる。無音の調理映像に、ナレーションと、フライパンの音だけ。BGMは、入れなかった。まだ、入れる技術がない。でも、無音の方が、素材の音が立つ。


 タイトル、考える。


 候補:

 『B2の苔、料理してみた』——普通。

 『不味いと言われた苔、料理で上書き』——長い。でも、内容が一目で分かる。

 『B2苔炒め/料理Sが作る』——固い。

 『不味い素材、調理の問題でした』——断言が、強すぎる気もする。でも、本編で言ったことを、タイトルでもう一度、言い切る。


 一度、打ち込んで、止めた。打ち直して、また、止めた。


 決めた。


 『不味い素材、調理の問題でした。B2苔炒め』


 断言の方が、観る理由が生まれる。バトル配信ランカーの二年前の一言を、タイトルで真正面から受け返す。


 タグ:『最浅層』『B2』『グリーンモス』『料理』『最浅層ごはん』。サムネは、仕上がりの皿の、光柱の下の角度。


 公開ボタンを押した。十二時四十分、四本目、世に出る。


 視聴者は、まだ、ゼロ。昨日アップした三本目ピンクゼリーは、今朝の時点で再生十一、コメントはmi_kanaの一件のみ。今、四本目が、その並びに加わる。


 * * *


 午後の四時。再生数を確認する。四本目、再生五。三本目、十二。一日で、合計、わずかに十七。


 ゲン_zeroへのコメント欄返信は、書かなかった。動画で返した、つもりだった。伝わるかは、分からない。コメント欄は、まだ静かだ。


 晩ごはんの支度をしながら、二日分の出来事を、メモに整理した。


 『三本目:ピンクゼリーの桜色——再生12、コメント1、新規登録0』

 『四本目:B2の苔炒め——公開4時間、再生5、コメント0』

 『白い筋ゼリー:朝6本(夜は確認しない、と決めた)』

 『B2苔の呼応:2回目、3m先で確認』

 『光柱の粉:未使用、用途不明』

 『母:昨日「美味しい」、今日「好き」。父さんの似た料理の記憶』


 最後の一行は、少し長く、手が止まった。父さんの料理。母が、少しだけ、十二年前に戻る声で、話した。十二年、俺は父の料理を食べた記憶がない。たぶん、一度は食べているはずだ。六歳までに、何度も。でも、記憶に無い。味の方が、俺より先に、身体のどこかに残っているのかもしれない。


 * * *


 夜の九時。母が帰宅した。


 いつもより、さらに遅い。繁忙期のピーク、というやつだ。


 母は、冷蔵庫を開けて、昨日の苔炒めの残りを、自分で温め直した。俺が台所に居るのに、頼まなかった。


「ユウ、動画、今日は、上げた?」


「上げた。四本目」


「タイトル、教えて」


「『不味い素材、調理の問題でした。B2苔炒め』」


 母は、温めた苔を一口、口に運んで、それから、珍しく笑った。繁忙期のクマが、少しだけ、薄くなった気がした。気のせい、かもしれない。


「父さんも、似たタイトル、付けそう」


「え、父さんも、動画、撮ってたの?」


「撮ってない。でも、帰ってきたあとに、いつも言ってた。『これ、誰もやってないから、俺が書いとく』って」


 母は、ノートの話を、一度もしたことがなかった。


 俺は、ザックの方を、ちらっと見た。——でも、今日はもう、手は動かなかった。明日か、来週か、いつか。ザックを開ける日は、俺の中で、一センチずつ、近づいてきている。


 * * *


 十一時、就寝前に、もう一度、DungeonTubeを開いた。


 四本目の再生数:十二。三本目の再生数:十五。十二時間で、計、九増。新規登録者、ゼロ。コメントは、ゼロから一増えていた。


  mi_kana —— B2、行ったんだ。乾燥させてから炒めるの、誰が教えた? ああ、誰も教えてないのか


 返事は、動画で返す。まだ、言葉では書かない。


 ゲン_zeroのコメントは、増えていない。でも、七年前の一行は、画面の下の方で、まだ光っている。『続けてみなさい』。


 続けます、と、俺は、コメント欄にではなく、スマホのメモに打ち込んだ。


 冷蔵庫の白い筋のゼリー、見ない、と決めたのに、見た。今夜は、八本。一日で二本、増えている。今までの倍のペースだ。袋の青色も、心持ち、深くなった気がする。


 数字が、二つ、別の方向に動いている。再生は、じわじわ、上に。冷蔵庫の中は、じわじわ、何か別の方向に。どちらも、気のせい、では、もう、ない。


 ザックの棚の角、今日は、手が動きかけた。


 父の料理、母が昔笑った緑の皿。


 これから一週間、たぶん、再生数はあまり動かない。それでも、毎日一本、撮る。撮って、上書きする。冷蔵庫の白い筋が、その間に、何本まで増えるか——それも、たぶん、誰も知らない。


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