表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第3章 深化編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

67/74

第59話 地図の記号

 月曜日の午後。最浅層探索者だった父の古地図を源田屋のゲン爺に見せた。


 ゲン爺は地図を受け取り、両手で広げた。


* * *


 しばらく黙って見ていた。


「……健次郎の字だ」


 ゲン爺の声が低かった。


「分かるんですか」


「字の癖が同じだ。昔から変わっていなかったから」


 ゲン爺は地図の端から端までゆっくり目を動かした。


 老いた指が紙の端を軽く押さえていた。


 紙がぱりぱりと音を立てた。


 乾いた紙の音。


 十二年前から残り、いまは書斎と俺の手を行き来している紙の音。


 昨日、自分一人で見た時よりも重く聞こえた。


 ゲン爺の前で広げると、父の地図が家の中だけのものではなくなる。


 それでも、動画や写真にする気にはならなかった。


 ここで分かることは、まずこの場で受け止める。


「この記号、読めますか」


「……一部は読める。一部は読めない」


「読める部分は何ですか」


 ゲン爺はB2の印を指さした。


「△の記号はワシらが使っていた符牒だ。意味は『採取的に特異な場所』。B2のここに△がついている」


 ピコが光った場所に、近い。


 俺は地図のその一点から目を離せなかった。


 紙の上では、ただの小さな三角形だ。


 でも、実際のB2では、ピコが白く光った岩盤がある。


 地図の記号と現実の岩盤が、頭の中で重なりそうになった。


 紙が急に薄いものではなくなった。


 父が歩いた足音まで、そこに折り込まれている気がした。


 でも、同じ場所だと決めるには早い。


 地図の線と、現実の岩盤は違う。


 現地で照らすまで、ここでは「近い」で止める。


「◎は——」


 ゲン爺は別の場所を指した。


 B5の奥の方。


「ワシらの符牒では『入ってはいけない場所』だ。でも——お前の父親が◎を重ね書きしている」


「重ね書きというのは」


「◎の上にもう一つ◎を書くのはワシらの符牒にはない。健次郎が自分で作った記号だろう。意味は——わからん」


* * *


 ゲン爺は地図の中央付近を見た。


 ▽の記号がB3-B4の境界付近に書かれていた。


「これは読めますか」


「……わからん。ワシが知っている符牒の中に▽はない」


 昨日は、そこで採取Sを使わなかった。


 紙に答えを言わせるのが怖かったからだ。


 でも、今はゲン爺が目の前にいる。


 父の古い符牒を知る人が、同じ地図を見ている。


 俺は採取Sを使った。


 ▽の部分に指を近づける。


 通電の感覚——あった。


「……採取Sが反応しています」


 ゲン爺は俺の指を見た。


「採取Sが地図に反応するか」


「……初めてです。素材じゃないのに反応したのは」


 ゲン爺は長い間、黙っていた。


「……それが答えかもしれない」


「何のですか」


「健次郎が▽を作った理由の」


 俺はゲン爺の目を見た。


「父は採取Sを持った人間だけが反応できる記号を書いたということですか」


「かもしれない。健次郎が後から来る誰かを——想定していたとも考えられる」


「ただし、決めつけるな」


 ゲン爺はすぐに付け足した。


「反応があることと、意味が分かることは違う」


 俺は地図を見た。


 父が書いた記号。


 採取Sを持つ人間でなければ、反応を拾えないかもしれない記号。


 父が採取Sを持った「誰か」のために残したのかもしれない地図。


 それが——俺に届いたように思えた。


 十二年越しで届いたように、思えた。


 胸の奥が一拍、詰まった。


 指先がかすかに温かくなった。


 ゲン爺が続けた。


「健次郎は計算した上で書いていたのかもしれん。誰にでも読めるものにしなかった。採取Sを持つ者だけが、別の反応を拾えるようにした」


「なぜ」


「……見せたい相手を、想定していたからだろう」


 俺は地図をもう一度見た。


 父が書いた、▽。


 指先が静かにうずいている。


 紙の下から、かすかな温度だけが返ってきた。


 しばらく沈黙が続いた。


 ゲン爺がお茶を一口飲んだ。


「坊主。一つ、聞いていいか」


「はい」


「父親のことを小さい頃から知っていたか」


「……あまり、知らなかったです。仕事のことはほとんど話さなかったと母から聞いています」


「そうか」


「でも——ゲン爺から話を聞いて、初めて、父のことが少し分かった気がします」


 ゲン爺は目を細めた。


「健次郎は息子に話すつもりだったとワシは思っている。タイミングを待っていたんだろう。その前に——逝ってしまったが」


 俺は頷いた。


 喉の奥が少し詰まった。


 泣く気にはならなかった。


 ただ——その言葉が重かった。


「地図は持っておけ。B2の△の場所は——準備ができたら、現地で照らそう。ワシも久しぶりに降りてみたい場所がある」


「はい」


「急ぐな。B2でも、知らん場所を確かめる時は準備がいる」


「分かっています」


 ゲン爺が、現地で照らそうと言った。


 それが今日一番重要なことかもしれなかった。


* * *


 地図を持って帰った。


 ゲン爺の言葉が頭の中を回っていた。


「採取Sが地図に反応する」。


 俺の能力が、素材そのものではない地図の記号にも反応した。


 父が最浅層で探していた「層の下」。


 ピコが立ち止まるB2の岩盤。


 地図に書かれた△の場所。


 全部が近い場所を指している気がする。


 でも、まだ「気がする」だ。


 現地で照らして、ゲン爺と見て、それから考える。


 ピコがバッグの中で鳴いた。


『ぴ……ぴこ……ぴこ……』


 三声。


 いつもより長い声だった。


* * *


 夜、カナメに連絡した。


「父のザックに古地図があった。ゲン爺に見てもらった。B2にある印が、ピコが光った場所と近いかもしれない」


 しばらく既読がつかなかった。


 五分後。


「……本当に、そこに何かあるのかもしれないね」


「たぶん」


「……ユウ」


「何?」


「気をつけて」


 俺は地図をテーブルに置いた。


 指先がかすかにうずいていた。


 地図の紙は何も言わない。


 でも、俺の手だけが、まだ少し温かかった。


 夜、グリーンモスのスープを作った。


 昆布と合わせて、弱火でゆっくり。


 ぽこぽこと鍋が鳴った。


 苔の青みがだんだん深くなって、出汁に緑が溶け込んだ。


 冷蔵庫に残していた素材だった。


 昨日までのB2の匂いが、鍋の中で香りを出している。


 土の奥から来るような、岩盤の匂いがする。


 ピコがカウンターで正座するような姿勢で待っていた。


『ぴこ……』


 一声。待っていたことだけは分かる声。


 俺は笑って、先にピコの分を取り分けた。


『ぴこぴこ』


 満足の二声。


 俺も飲んだ。


 温かかった。


 苔の繊維がほぐれて出汁に溶け込んだ、深みのある味だった。


 飲むたびにB2の岩盤の前に立っているような気分になった。


 父の地図がテーブルの上にあった。


 ▽の記号が薄い光の下でただそこにあった。


 父が書いた記号。


 採取Sでなければ反応しない記号かもしれない。


 俺のために残してくれていたのか——まだ確かめようがない。


 でも——その地図が今、俺の手の中にある。


 それだけで十分な気がした。


 スープをもう一口飲んだ。


 深い、土の匂い。


 B2の奥の香りがした。


 指先の奥が低く、うずいた。


* * *


 スープを飲み終えた後、鍋を洗いながら、今日ゲン爺に言われた一言を考えた。


「健次郎は息子に話すつもりだった。タイミングを待っていたんだろう。その前に——逝ってしまったが」


 タイミングを待っていた。


 でも、間に合わなかった。


 だから、地図を残したのかもしれない。


 採取Sを持つ者にだけ反応する記号で。


「話すつもりだった話」が十二年後にこの地図の形で届いたように感じた。


 俺は鍋を棚に戻した。


 父が話したかったことの続きを——俺がB2の岩盤の下で自分で見つけるしかない。


 東和の件をまず片付ける。


 それが次へ向かう準備だった。


 企業の話を曖昧にしたまま、父の地図へ逃げるのは違う。


 急がない。


 でも、止まらない。


 地図を畳む前に、もう一度だけ△に触れた。


 指先がかすかに温かくなる。


 採取Sの反応は小さい。


 でも、消えない。


 父が残した印は、まだ黙ったまま、そこにある。


 そう思うと、眠るのが少しだけ惜しかった。


 登録者:三万六千二百十三人。


ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ