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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第3章 深化編

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第52話 有希の懸念

 木曜日。有希さんとカフェで会った。


 東和プロモーションの提案資料は、昨日と同じ紙の原本を持ってきた。


 中村さんから、契約判断のために信頼できる関係者へ相談してよいことは確認している。


 ただし、SNS公開と複製配布は不可。


 だから、有希さんには原本をその場で読んでもらい、俺は十四ページの自分用メモだけを手元に置いた。


* * *


 有希さんは資料を受け取り、最初のページから黙って読んだ。


 表情はほとんど変わらなかった。


 北条さんと少し似ていた。


 急かさず、慌てず、ただ、読んでいる。


 ページが一枚、また一枚、めくれる音だけが、カフェのざわめきの中に混じった。


 俺はコーヒーを一口飲んだ。


 有希さんが最後のページを閉じるまで、何も言わなかった。


「……正直に言っていいですか」


「はい」


「私は東和プロモーションを信頼していません」


 はっきり、言った。


「理由を聞いてもいいですか」


「二つあります」


 有希さんはカップを置いた。


「一つ目は、業界での評判です。東和グループのダンジョン事業本部はここ数年、最浅層まわりの出口を押さえようとしています」


「出口、ですか」


「採取そのものは自由です。でも、加工特許、販売網、研究助成、動画権利、独占契約。そういう部分を押さえれば、素材の流れはかなり絞れます」


 自由に採れる。


 でも、売る場所、調べる場所、見せる場所を押さえられる。


 それは、採取場に鍵をかけるのとは違う。


 けれど、手元に残るものは似ている。


「それはビジネスとして、普通じゃないですか」


「普通です。だからこそ、怖いんです」


 有希さんは少しだけ声を落とした。


「祖父が、最浅層について残していた遺品のノートがあります。晩年の書き付けです」


「その中に、こういう言葉がありました」


 有希さんは自分のノートを開いた。


 東和の資料ではない。


 有希さんが祖父の言葉を書き写した、細い字のメモだった。


「『最浅層の本当の価値に気づいた者が、それを独占しようとする時が来るかもしれない。そうなったら、この場所は終わる』」


 俺はコーヒーを置いた。


「……それが東和のことだと思っているんですか」


「確信はありません」


 有希さんは首を横に振った。


「でも、二つ目の理由があります」


「何ですか」


「槇原専務です」


 胸の奥が、一拍、詰まった。


「槇原総一さんは、大発現の翌年の1997年、まだ若い頃に最浅層の共同調査へ関わっていた可能性があります」


「可能性、ですか」


「祖父のノートに挟まっていた共同調査メモと、当時の業界紙の切り抜きに名前が出てきます」


「ただ、今ある資料だけでは、どの立場で関わっていたのかまでは断定できません」


 断定できない。


 有希さんは、そこをはっきり分けた。


 だから余計に、言葉が重かった。


* * *


「その共同調査メモには、祖父の名前もあります」


「有希さんのお祖父さん、ですよね」


「山田善三です」


 有希さんの指が、ノートの端を押さえた。


「それから、源田正夫さんという名前もあります」


 手が、一度止まった。


「……ゲン爺」


「ご存じなんですか」


「源田屋の店主です。ダンジョン入口の近くで道具屋をやっています」


 有希さんは目を見開いた。


「今も、そこに」


「はい」


 薄い紙の上の名前が、急に今の街へつながった。


 山田善三。


 源田正夫。


 槇原総一。


 三十年近く前の最浅層に関わった名前が、同じ資料束の中にある。


 そのうち一人は、今も俺が容器を買いに行く店にいる。


「もし可能なら、源田さんに話を聞けないでしょうか」


 有希さんは慎重に言った。


「祖父のノートを持って、私が直接確かめたいんです。もちろん、先方が嫌がるなら無理にとは言いません」


「次に行った時、聞いてみます」


「お願いします」


* * *


 カフェを出た後、しばらく二人で同じ方向に歩いた。


 秋の風が、ビルの間を薄く抜けていく。


 有希さんは歩きながら言った。


「ユウトさん。一つだけ、お願いがあります」


「何ですか」


「東和のことを、すぐに決めないでください」


 有希さんは言葉を選ぶように、一度息を吸った。


「仕事相手としても、研究者としても、それから一視聴者としても、私はあなたの配信が続いてほしいと思っています」


 俺は少し黙った。


「急がないのは、俺のやり方です」


「知っています」


 有希さんは小さくうなずいた。


「だから、今も相談してくれているんだと思っています」


 そこで有希さんは足を止めた。


「では、また連絡します」


 丁寧に頭を下げた。


 俺も頭を下げた。


* * *


 帰り道。


 左手が、前髪に触れた。


 すぐに下ろした。


 東和の資料の十四ページ。


「原則、変更なし」。


 その二文字が頭から離れなかった。


 断れば楽になる話ではない。


 月三十万円。


 機材。


 スタッフ。


 B15以深の素材サンプル。


 どれも魅力的だった。


 でも、北条さんは言葉の細部を見た。


 有希さんは業界の出口を見た。


 カナメは、入り口が綺麗でも中が違うことがあると言った。


 俺はスマホを取り出した。


 東和への契約可否の正式回答は、まだしていない。


 説明を聞いた。


 資料を持ち帰った。


 今は、確かめている途中だ。


 カナメにメッセージを送った。


「東和の件、北条さんと有希さんに聞いてきた」


「どうだった」


「北条さんは原則が危ないって」


「有希さんは東和を信頼してない」


「槇原専務が三十年近く前の最浅層に関わってた可能性があるらしい」


「重いな」


「ゲン爺の名前も有希さんの祖父の資料に出てた」


 少し間が空いた。


「ゲン爺に確認しろ。ユウ一人で抱える話じゃない」


「そうする」


「あと、ちゃんと食べてから考えな」


「そこもいつも通りだな」


「そこが一番大事」


 カナメらしい返事だった。


 俺はスマホをポケットに入れた。


* * *


 夜、帰宅して、B1ゼリーを加熱した。


 使うのはJAGLの食用登録と自分の記録で確認済みの通常部位だけ。


 白い筋や濃縮核は入れない。


 鍋にゼリーと少量の水を入れて、弱火にかける。


 ぷるりと保っていた形が、縁からほどけた。


 竹べらを入れると、青みがかった透明がゆっくり崩れていく。


 ぽこ、ぽこと小さな泡が立った。


 湯気に、雨上がりの石みたいな匂いが混じる。


 そこへ塩をひとつまみ。


 薄い青が白くにごり、甘い香りがふわっと開いた。


 冷たいゼリーの甘さとは違う。


 舌に乗せる前から、喉の奥が少し温かくなる。


 スプーンでひと口すくう。


 とろりとしているのに、重くない。


 温かい蜜のような甘さが舌に広がり、後から、最浅層の水の冷たさだけがすっと残った。


「……あ、これ、全然違う」


 同じゼリーなのに、別の料理だ。


 冷やせば張りが出る。


 焼けば縮んで香りが立つ。


 温めれば、甘い湯になる。


 同じ素材の中に、まだ知らない表情がある。


 最浅層の食材は、やっぱり普通じゃない。


 ピコが鍋をのぞいた。


『ぴ……ぴこ』


 泡の音に合わせて、声が少し高くなった。


「冷ましてからな」


 小皿に少しだけ取り、息を吹きかける。


 ぬるくなったところで、ピコが一口飲んだ。


 それから、しばらく黙っていた。


『ぴこ』


 低い、一声。


 驚きと、認めるような響きが混じっていた。


 俺は鍋の火を止めた。


 祖父が書いた「本当の価値」が、これのことだとは思わない。


 きっと、もっと深い何かがある。


 でも、俺に今わかる価値は、こういう小さな変化だ。


 温める。


 味が変わる。


 記録する。


 誰かに伝える。


 それを他人の「原則」に預けていいのか。


 まだ、答えは出ていない。


* * *


 鍋を洗いながら、今日分かったことを一つずつ並べた。


 北条さんは、契約文言の「原則」を見た。


 有希さんは、東和の出口支配と、祖父のノートを見た。


 カナメは、ゲン爺に確認しろと言った。


 三つの言葉が、同じ資料の端を押さえているようだった。


 明日、B2に行く。


 それから源田屋に寄る。


 山田善三という名前を、ゲン爺がどう受け止めるのか確かめる。


 決断するのは、その後だ。


 ピコがテーブルの上で丸くなった。


 登録者:三万二千八百四十一人。


ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!

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