表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第3章 深化編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/71

第51話 北条さんに見せた東和資料

 水曜日。葉山食品の研究棟で最浅層食材の監修作業を終えた後、北条さんに東和プロモーションの提案資料を見せた。


 中村さんから、NDA前の提案資料で、契約判断のために信頼できる専門家や関係者へ相談してよいと確認している。


 SNS公開と複製配布は不可。


 だから、見せるのは紙の原本だけにした。


 写真は撮らない。


 机の上に置くのは、東和の資料と、俺の自分用メモだけ。


 相談する相手を間違えたら、資料そのものが信用できない扱いになる。


 それは、東和に対しても、葉山食品に対しても、俺自身に対してもよくない。


 研究棟へ向かう電車の中で、俺は何度も鞄の中を確認した。


 光沢のある紙の端が、指先に少しだけ冷たかった。


* * *


 監修作業は、B1ゼリーの粘度計測だった。


 通常個体、良品、濃縮核持ち個体。


 三種類の数値が、順番に画面へ出ていく。


 採取Sで感じていた「重さの違い」が、今日も数字になった。


 画面の横には、採取時刻、保管温度、持ち帰り時間が並んでいる。


 数字は、勝手に正しくなるわけじゃない。


 どこで採って、どう運んで、誰が測ったのか。


 そこまで残して、ようやく他の人が読める記録になる。


 北条さんは結果を記録してから、眼鏡の位置を直した。


「では、東和さんの資料ですね」


「お願いします」


「先に確認します。私は葉山食品の研究担当としてこの場にいますが、今からお話しするのは契約判断の最終助言ではありません」


「はい」


「競合する可能性のある会社の資料です。弊社として利用したり、内容を社内共有したりはしません。佐々木さん個人が判断するための、文言確認に留めます」


 北条さんはそこで、一度、俺を見た。


「それでよければ、拝見します」


「それでお願いします」


 俺は鞄から資料を取り出した。


 光沢のある紙が、研究棟の白い机に置かれる。


 ゼリーの計測表とは、紙の匂いまで違う気がした。


* * *


 北条さんは最初から最後まで、黙って読んだ。


 十五分ほど、かかった。


 途中で一度だけ、十四ページの角を指で押さえた。


 その後、十五ページへ進んで、また戻った。


 ペンは持っているのに、資料には何も書かない。


 自分のメモ帳にだけ、短く言葉を残していく。


 資料の紙がめくられる音だけが、白い部屋に小さく響いた。


 俺は何も言わずに待った。


 待っている間、さっきの粘度計測の画面が頭に残っていた。


 通常個体と良品の差は、見た目だけなら小さい。


 でも、数字にすると別物だった。


 契約の言葉も、たぶん同じだ。


 似ているから同じ、とは限らない。


「読み終わりました」


「どう思いますか」


「まず、内容は魅力的です」


 北条さんはそう言った。


「財務的には、弊社との現在の関わりより、はるかに有利です。月額保証、機材、スタッフ、素材サンプルの提供。どれも大きい」


「はい」


「その上で、私は法務担当ではありません。契約判断そのものを断定する立場ではないです」


 北条さんはページをめくった。


「ただ、弊社の現行契約との差分として、気になる箇所があります」


「どこですか」


「十四ページです」


 俺は言われたページを開いた。


「チャンネル名と配信スタイルは原則、変更なし」。


 東和の資料にあった一文。


 昨日、俺も小さく印を付けた場所だった。


「弊社との契約では、配信スタイル・演出方針について、弊社の指示を受けないと明記しています」


「はい」


「弊社がお願いできるのは、食材の安全確認、表示、監修範囲の確認です。動画の言葉や構成を、弊社の販売方針に合わせて変えてくださいとは言えません」


 北条さんの声は、いつも通り静かだった。


 でも、そこだけ少し硬かった。


「東和さんの資料は、変更なしではありません。原則、変更なしです」


「原則というのが」


「そうです。原則は、例外を置ける言葉です」


 胸の中で、何かが静かに冷えた。


 北条さんは続けた。


「さらに次のページに、当社運営方針に基づき協議のうえ調整、とあります。協議と書かれていますが、力関係が強い側の協議は、実質的な指示になることがあります」


「例えば、今週だけこの構成でお願いします、今月だけこの素材を先に出してください、という形です」


「一回ごとなら、協議に見える」


「はい。でも、それが続くと、佐々木さんの配信の手順そのものが変わります」


 俺は資料を見た。


 十四ページ。


 十五ページ。


 同じ紙なのに、さっきより少し重く見えた。


「変更なし」と「原則、変更なし」は別物だ。


 その差を、俺は昨日うまく言葉にできなかった。


 北条さんは、そこを静かに言葉にした。


 怖いのは、強い命令じゃないのかもしれない。


 お願いします、相談しましょう、今回は特別に。


 そういう柔らかい言葉の方が、断る理由を薄くする。


 俺は鉛筆を持ち直した。


 十四ページの丸が、少し濃くなった。


* * *


「北条さん、ありがとうございます」


「いえ。あくまで、契約文言上の見方です」


 北条さんは資料を閉じた。


「佐々木さんがどう選ぶかは、佐々木さんが決めることです。財務的な優位性は事実です。ただ、言葉の細部には気をつけてください」


「はい」


「それと、資料共有についてですが」


 北条さんは少しだけ声を低くした。


「有希さんに相談するなら、この資料をそのまま渡すのではなく、原本を見せる形がいいと思います」


「複製配布不可と説明されているなら、印刷やコピーは避けた方が安全です」


「わかりました。原本を持って行きます」


「その方がいいです」


「見せる前に、誰に、何の目的で見せるのかを一言添えてください」


「有希さんにですか」


「はい。業界評判と槇原さんの件を確認したい、と。相手にも資料の扱い方を選ぶ余地が生まれます」


「わかりました」


 北条さんはそこで、いつもの研究者の顔に戻った。


「あと、採取データと同じです。数字や言葉は、少しの差で意味が変わります」


 採取データ。


 ゼリーの粘度。


 資料の原則。


 どちらも、見落とせば別物になる。


* * *


 帰り道、ピコがバッグから顔を出した。


『ぴこ』


 短い声。


 俺の手元を見ていた。


 資料の十四ページには、小さな丸が付いている。


 北条さんが見つけたのは、たった二文字だった。


 でも、その二文字は大きかった。


 怒った声でも、警告の声でもない。


 ただ、事実として置かれた言葉。


 それが一番、怖かった。


 B1ゼリーなら、白い筋を避ければいい。


 濃縮核なら、少量試作だと明示すればいい。


 でも、契約の言葉は、避ける部分が見えにくい。


 口に入れる前に分かる匂いもない。


 だから、誰かに読んでもらう必要がある。


「北条さんって、ちゃんとした人だな」


『ぴこ』


 ピコの声が、少しだけ低かった。


 俺の緊張が伝わったのかもしれない。


* * *


 帰宅して、東和の資料とB1ゼリーの採取データを机に並べた。


 どちらも俺の仕事だった。


 片方は、俺が選んで始めた仕事。


 もう片方は、俺が選ばれて差し出された仕事。


 選ばれるのは、嬉しい。


 でも、自分で選ぶこととは違う。


 俺が選んだ仕事は、失敗しても自分で手順を直せる。


 やめる時も、続ける時も、自分で理由を持てる。


 東和の仕事は、俺を選んでくれている。


 そのこと自体はありがたい。


 でも、選んだ側がどこまで俺の手順を尊重してくれるのか。


 そこはまだ見えていない。


 資料の写真を見ると、まだ胸が動く。


 B15以深の素材サンプル。


 見たことのない色。


 触ったことのない形。


 料理したら何が起きるのか、知りたい。


 その気持ちは消えない。


 だからこそ、危ないのだと思った。


 欲しいものがある時ほど、言葉の小さな差を見落とす。


 俺は十四ページの横にメモを書いた。


「原則は例外を置ける」


 その下に、もう一つ書く。


「明日、有希さんに原本を見せる。業界評判と槇原の件を聞く」


* * *


 夜、B1ゼリーを冷やしたまま食べた。


 冷たくて、甘い。


 舌の上でゆっくり溶ける。


 今日は料理というより、確認だった。


 俺が選んだ仕事の味を、もう一度確かめたかった。


 東和の資料は机の上にある。


 光沢のある紙。


 きれいな写真。


 月三十万円。


 機材。


 スタッフ。


 B15以深の素材サンプル。


 全部、魅力的だった。


 それでも、ゼリーの冷たさは変わらない。


 最浅層で採って、手順を確認して、食べる。


 その地味な流れが、俺の仕事だった。


 ピコが皿の端に寄ってきた。


『ぴこ』


 いつもの声。


 俺は小さく切った通常部位のゼリーを小皿に出した。


 ピコが一口食べる。


 少し高い声で鳴いた。


『ぴーこ』


 冷たいゼリーの時の、明るい声だった。


 俺は笑って、資料を閉じた。


 明日、有希さんに聞く。


 北条さんの目で見えたもの。


 有希さんの目で見えるもの。


 両方を聞いてから、決める。


 登録者:三万一千七百四十九人。


ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ