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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第3章 深化編

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第49話 三万人と東和のメール

 月曜日の朝。DungeonTubeを開いたら、登録者が三万人を超えていた。


 三万。


 数字だけ見れば、ただの区切りだ。


 でも、画面の下ではコメント通知が止まらなかった。


「三万人おめでとうございます!」


「最初のゼリー動画から見てるので感慨深い」


「B5動画から来ました。固定コメントまで丁寧で安心した」


「戦闘Fでも手順を守れば記録は作れるんだな」


「東和あたりがそろそろ声かけてきそう」


「事務所入ったら雰囲気変わるのだけは嫌だな」


 俺はしばらく、指を動かせなかった。


 祝福の中に、もう次の心配が混じっている。


 見ている人たちは、数字が増えた後に何が起こるかを俺より先に知っているみたいだった。


 一万人の時は、来てくれたことに驚いた。


 二万人の時は、留まってくれていることを実感した。


 三万人は少し違った。


 見られている、というより、信じられている。


 俺が急がず、手順を守り、食べられるかどうかを記録する。


 そのやり方を三万人が見ている。


 嬉しかった。


 でも、軽くはなかった。


 先週のB5の冷たい空気が、胸の奥にまだ残っていた。


 画面の数字は増えているのに、B5の入口で感じた冷たさだけは薄くならない。


 あの動画を見て来た人がいるなら、俺はあの冷たさも一緒に伝えなければいけない。


* * *


 午前中、B1でゼリーを採取した。


 六ヶ月前は一時間で三容器が限界だった。


 今日は四十分で四容器、採れた。


 B1「浅瀬の間」の奥、湿度が少し高くなる区画。


 苔の青い匂いが薄くなって、ゼリーの表面に光が一枚のる場所だ。


 以前はJAGL資料を見ながら探していた。


 今は指先が先に冷たさを拾う。


 採取Sが強く反応する前に、足元の水音と指の感覚で、ここだと分かる時がある。


 成長なのか、慣れなのかはわからない。


 ただ、速くなった手ほど、確認を雑にしやすい。


 動画に残すなら、採れた数より、蓋を閉める手元を映すべきだと思った。


 容器の蓋を一つずつ確認して、俺はB1を出た。


 ラベルには採取時刻を書いた。


 採取場所は詳しく書かない。


 代わりに、温度、色、表面の傷、持ち帰るまでの時間を書く。


 三万人への返事は、派手な新作料理だけじゃない。


 見せない情報を、きちんと見せないままにしておくことも、その一つだった。


* * *


 午後、源田屋に容器を補充しに行った。


「来たか」


 ゲン爺は棚の奥で、いつもの帳簿を見ていた。


「Mサイズ、またお願いします」


「B1か」


「はい。あと、この前、B5入口まで行ってきました」


 ゲン爺の手が、そこで止まった。


「B5か。一人でか」


「JAGLの入口限定の特例許可です。ピコは制度上の同行者じゃなくて、異常時の知らせ役でした」


「……そうか」


 ゲン爺は帳簿を閉じた。


「奥には行くな」


「奥?」


「B5の奥には気をつけろ。あそこは——」


 言いかけて、止まった。


 棚の奥から差し込む光の中で、ゲン爺の指だけが少し強く帳簿を押さえていた。


「……昔話だ。忘れろ」


「何ですか」


「気にするな。入口で戻ったなら、それでいい」


 それ以上、ゲン爺は言わなかった。


 俺も聞き返せなかった。


 ゲン爺はMサイズ容器を二つ、カウンターに置いた。


「二千円だ」


「はい」


 代金を渡す時、ゲン爺の手を見た。


 大きな手だった。


 昔、最浅層を歩いていた人の手だ。


 B5の奥。


 その言葉だけが、容器の袋より重く残った。


 忘れろと言われて忘れるには、ゲン爺の手が強くなりすぎていた。


 でも、今日ここで掘り返す話でもない。


 見えない場所の名前だけが、先に近づいてきた。


* * *


 夕方、カナメから電話が来た。


「ユウ、今、時間ある?」


「ある」


「一個、聞いていい? 東和プロモーションから、何か連絡来てない?」


「来てない。なんで」


「事務所所属の知り合いから、同じ話を二人に聞いた」


「東和が最近、ソロ配信者をかなり拾ってるって」


「業界でそういう動きが出てる。特に登録者が伸びて、まだ事務所に入ってない人」


「……三万人になったからか」


「たぶん。ユウは今、目立ってる」


 カナメの声は落ち着いていた。


 でも、軽い話ではないことはわかった。


「来たら、急がなくていい。条件が良い時ほど、契約書と、誰が動かしてる話かを見て」


「わかった」


「あと、ちゃんと食べてから考えな。空腹で大きい話を見ると、だいたい判断が雑になる」


「そこまで?」


「そこまで」


 少し笑ってしまった。


 カナメはそこで声を柔らかくした。


「自分のスタイル、守ってね」


「うん」


 電話が切れた後、スマホをしばらく見ていた。


 東和プロモーション。


 前に一度、スカウト担当から定型文みたいなDMが来たことがある。


 その時は即座にアーカイブした。


 でも、今は三万人だ。


 同じ名前でも、同じ重さとは限らない。


 カナメが言った「誰が動かしてる話か」という言葉が引っかかっていた。


 昼には、ゲン爺がB5の奥と言った。


 夕方には、カナメが東和と言った。


 どちらも名前だけが先に来て、中身はまだ見えない。


 会社の名前だけなら、大きい。


 でも、誰が何を欲しがっているのかが見えない話は、素材の正体が分からないまま火にかけるのと似ている。


 見た目が良くても、すぐ口には入れない。


 カナメの知り合い二人が同じ話をしているなら、単なる噂ではない。


 でも、噂は契約書ではない。


 怖がるだけでも、飛びつくだけでも、たぶん違う。


 俺にできるのは、来たものを一度、台所の明るいところに置いて見ることだった。


* * *


 夜、グリーンモスのスープを温めた。


 小鍋に移して、弱火にする。


 ぽこ、ぽこと小さな泡が立つ。


 苔の青みがかった色が、湯の中でゆっくり揺れた。


 甘い香りが台所に広がる。


 ひとすくい、口に入れる。


 甘みがじんわり広がった。


 B5の冷たい空気で少しこわばっていた体が、内側からほどけていく。


 うまかった。


 いつもの味だった。


 俺はスープを飲みながら、今日のコメント欄を開いた。


「B5って戦闘Fでも特例許可なら入口限定で入れるのか」


「概要欄の三十分以内って大事だな」


「未検証素材は真似しないって書いてあるの助かる」


 三十分以内。


 三百メートル以内。


 真似しない。


 派手ではない行が、ちゃんと読まれている。


 ピコがいたから助かったのは確かだった。


 でも、ピコがいるから入れるわけではない。


 その線は、数字が増えた時ほど濃く引き直さなければいけない。


 概要欄と固定コメントを開いて、もう一度読み返した。


 JAGL特例許可済み。


 B5入口から三百メートル以内、滞在三十分以内。


 戦闘禁止。


 採取・試食の真似禁止。


 ピコは入場条件ではなく、異常時の知らせ役。


 書いた時は、読者への念押しのつもりだった。


 でも今は、その一行ずつが自分と動画を守る柵にも見えた。


* * *


 皿を洗って、メールの受信箱を確認した。


 一件、未読があった。


 送信元:「東和プロモーション・ダンジョン配信事業部 企画担当・中村」


 件名:「ご提案につきまして——佐々木ユウト様へ」


 指先が止まった。


 カナメの声が、頭の奥で残っていた。


 条件が良い時ほど、契約書と、誰が動かしてる話かを見て。


 件名だけで、胸の奥が少し冷えた。


 東和プロモーション。


 黒葉レンの所属する会社。


 雑誌で見たスポンサー名や装備メーカーのロゴが頭をよぎる。


 昼に残った「B5の奥」という言葉と、画面の東和の名前が、台所の明かりの下で並んだ。


 どちらも入口だけ見えている。


 大きい場所へ行けば、できることは増える。


 でも、持っていかれるものも増えるかもしれない。


 俺はメールを開かないまま、スマホを伏せた。


 今夜は開かない。


 明日の朝、内容だけ確認する。


 話を聞いたら、契約を判断する前に、カナメに報告する。


 必要なら、北条さんと有希さんにも話を聞く。


 葉山食品の契約書を読んだ時と同じだ。


 分からない言葉には付箋を貼る。


 分からない相手には、一人で返事をしない。


 メールを開く前に決めることがある。


 返事はその場でしない。


 金額が書いてあっても、すぐに頷かない。


 相手の名前と役職をメモする。


 条件はスクリーンショットではなく、文章として読み直す。


 ピコが俺の手の甲に頭を乗せた。


『ぴこ……』


 静かな、一声だった。


「急がない」


 声に出すと、少しだけ胸が落ち着いた。


 登録者:三万四百七十八人。


ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!

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