第46話 取材と有希の話
月曜日。月刊ダンジョングルメの取材を受けた。
六ページの記事のために三時間、話した。
* * *
宮下さんは三十代後半の物静かな人だった。
メモを取る手つきが丁寧だった。
俺が一言話すたびにペンが走る。
急かさない。
「それでその後は?」と先を急かすこともない。
次の言葉が出てくるまでただ、待っている。
そういう人だった。
「最浅層という場所を選んだ理由」。
「採取Sの感覚を料理にどう活かしているか」。
「今後、最浅層食材をどう広げていきたいか」。
三つのテーマを丁寧に聞いてきた。
途中で、宮下さんは黒葉レンの記事の発言にも触れた。
「配信者として悔しかった、という言葉はどう受け止めましたか」
俺は少し考えてから、答えた。
「見下されたことは消えません。でも、見てくれていたことも事実だと思います」
宮下さんはそれを大きく広げず、三つのテーマに戻した。
採取Sの感覚については、掲載前に俺と葉山食品側で確認することになった。
未知化合物や濃縮核の話は出さない。
記事に使うのは、公開してもいい保存性や粘度の数値だけ。
そこは北条さんにも確認してもらう。
俺は準備していた言葉をいくつか、使った。
でも——三番目の質問になった時。
「今後は急がずにやっていきます」
と答えた。
「……それだけですか」
宮下さんはペンを止めて、俺を見た。
「それだけです」
「ではなぜ、急がないんですか」
「急いで何かを逃したくないからです。最浅層は急いで通り過ぎる人が多い。だから、知らないものがたくさん残っている」
宮下さんはまた、メモをした。
それから少し間を置いて、言った。
「……それは業界への主張ですか」
「いえ。俺のやり方です」
「自分のやり方」
「はい」
宮下さんはまた、書いた。
俺は手元のコーヒーを一口飲んだ。
温かかった。
* * *
記事は次号に掲載される。
掲載前に、原稿確認が来る。
帰り道、有希さんからメッセージが来た。
「今日、時間ありますか? 先日、『以前から思っていた』と言った話を直接、お伝えしたくて」
近くのカフェを指定した。
* * *
有希さんはスーツ姿で来た。
有希さん本人と葉山食品の社員の中間みたいな雰囲気。
カフェは夕方の混み合う時間帯に差しかかっていた。
奥の静かな席を選んだ。
テーブルに向かい合って、座った。
「以前お話しした、祖父のノートの件です」
「はい」
「あの後、別のページを確認しました」
俺はコーヒーカップを置いた。
「有希さんのお祖父さんの記録ですか」
「はい。ここからは会社ではなく、私個人の話です」
俺は黙って、聞いた。
「祖父は晩年、私に言っていました。『最浅層にはまだ誰も気づいていない何かがある』と」
有希さんはそこで一度、言葉を切った。
「その言葉がずっと頭に残っていて——ユウトさんの動画を最初に見た時、ああ、これだと思いました」
「それが以前から思っていたということですか」
「はい。祖父のノートに、B1ゼリーの粘度が日ごとに変わる、加熱で数値が揺れる、通常の糖だけでは説明しにくい、と書いたページがありました」
有希さんはバッグから、薄いファイルを出した。
コピーではなく、メモを取った紙だった。
「原本は家から出せません。会社の資料にもしていません。でも、濃縮核に未知の成分が出たと聞いた時、驚きより先に、祖父のこのページを思い出したんです」
「すぐに話さなかったのは?」
「仕事の話と個人の話を混ぜたくなかったというのが正直なところです。信頼できると確信してから話したかった、というのもあります」
俺は有希さんの顔を見た。
落ち着いた表情だった。
「葉山食品の研究員」という仕事上の言葉だけではなく、もう少し個人的な何かを話してくれていた。
* * *
有希さんと一時間、話した。
祖父のこと。
大発現前後のダンジョン史のこと。
最浅層探索者の記録がほとんど残っていないこと。
「なぜ記録が残っていないんですか」
「……さあ。残そうとした人はたくさんいたんですけど」
有希さんは少し視線を落とした。
俺の指先がかすかに冷えた。
喉の奥が細くなった。
「なくなってしまったものが多いんです。理由はわかっていませんが」
「なくなったというのは——」
「資料がです。当時の探索メモや記録が散逸したり、一部は廃棄されたりして。祖父が持ち帰っていたものだけが今も家にあります。それ以外はどこにもない」
「廃棄というのは——誰かが捨てたということですか」
「わかりません。当時の管理体制が整っていなかったという話もあります。でも——祖父は晩年、少し違うことを言っていました」
「違うこと?」
「……『残らないようにされたかもしれない』と。根拠はなかったと思います。でも、祖父はそう言っていました」
喉の奥が細くなった。
胸の奥が、静かに冷えた。
記録が残っていない。
理由はわかっていない。
でも——「なくなった」のは偶然ではないかもしれない。
そういえば——と思った。
父のノートにも、途中で読めなくなる記号があった。
書かれているのに、意味が残っていないページがあった。
有希さんの祖父の記録が「残らないようにされたかもしれない」。
三十年前に何があったのか。
俺にはまだわからない。
でも——それは聞き流していい話ではないと思った。
* * *
帰り道、俺は有希さんの祖父のノートのことを何度も考えていた。
源田屋の店主の顔が浮かんだ。
ピコを見て何かを言いかけて止まった、あの顔。
——繋がっているかもしれない。
ピコがバッグの中で鳴いた。
『ぴ……ぴこ』
バッグの中で、羽の光が一度弱くなった。
俺も今日、うまく言えないものを感じていた。
取材で話した「急がない」という言葉が頭の中にまだ残っていた。
急がない。
でも——こういう話はちゃんと聞き続けなければいけないと思った。
* * *
夜、帰宅して、B2で採ったパープルモスとB1のゼリーでシンプルな料理を作った。
パープルモスはJAGL資料通り、しっかり加熱する。
ゼリーを鍋で軽く溶かして、パープルモスのソースと合わせる。
どろりとまとまりが出てくる。
パープルモス特有の甘い草の香りがゼリーの蒸気と混ざって、台所にふんわりと漂った。
型に流して、少し冷やす。
固まったものを小皿に盛る。
スプーンで崩すとパープルモスの色とゼリーの透明が混ざり合う。
断面からほのかな甘みと苔の青みが立ち上がった。
口に入れる。
甘みとほろ苦みが同時に来た。
後から舌の奥に深みが残った。
「……あ、これ」
新しい組み合わせだった。
記録しておきたかった。
メモ帳を取り出して、「ゼリー+パープルモスソース 要リトライ」と書いた。
有希さんの話が頭に残っていた。
「最浅層にはまだ誰も気づいていない何かがある」。
祖父の言葉。
でも——その「何か」は、今夜の皿の上にも少しだけ残っている気がした。
ピコが皿の匂いを嗅いで低い声で鳴いた。
『ぴ……ぴこぴこ』
ピコは小皿の縁に両手をかけて、匂いをもう一度嗅いだ。
俺はピコに少し分けた。
ピコが食べて、少し間を置いた後、高い声で鳴いた。
『ぴーこ』
高く、明るい音だった。
* * *
深夜、有希さんの話を整理した。
「記録が残らないようにされたかもしれない」という有希さんの祖父の言葉。
父のノートに残っている、読めない記号。
この二つが関係しているとしたら——最浅層の記録は、ただ古くなって消えたわけではないのかもしれない。
「誰か」が誰なのかは、まだわからない。
でも、何が残っていないのかは確かめられる。
次に源田屋へ行った時、古い容器や記録についてもう少し聞いてみよう。
急がない。
でも、聞き流さない。
パープルモスとゼリーの料理の残りを少し食べた。
甘みとほろ苦みが来た。
舌の奥に残る、深みのある甘み。
祖父の言葉は、大げさな謎としてではなく、今夜の台所に小さく残っていた。
ピコが外を向いていた。
羽の光が今夜は少し暗かった。
「最浅層の食材は普通じゃない」と有希さんの祖父は言っていた。
今夜の新しい組み合わせも——その「普通じゃない」の一部なのかもしれない。
——この動画を記事の原稿確認が来る前に一本上げておこう。
新しい組み合わせだ。
記録しておく価値がある。
取材で話した言葉だけではなく、今夜の皿も残したかった。
それを映像で伝えられるか。
指先に、皿の甘みがまだ残っていた。
ピコが俺の方を振り向いた。
羽の光が一度だけ、強くなった。
登録者:二万三千百六十七人。
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