第44話 二万人と取材の話
水曜日の朝。DungeonTubeの管理画面を開いたら、登録者の数が二万人を超えていた。
有希さんとの話は、まだ日程調整中だった。
未知の化合物のことは、ノートに摂取量と体調を書き足してある。
今朝は、それとは別の数字が目の前にあった。
二万三百十四人。
スマホの画面をしばらく見た。
「すごい」より先に「でかい数字だ」という感覚が来た。
一万人の時は驚いた。
翌朝起きたら、四千人増えていた。
あの時は数字の動きが見えた。
二万人は——違う。
気づいたらもう、そこにあった。
一万人を超えた日、モリヤさんとコラボして、登録者が一夜で跳ね上がった。
あれは外からの力だった。
二万人はじわじわと続けてきた先にある数字だった。
誰かが来た、じゃなく——誰かが留まってくれたということだ。
その重さが胸の中でじわりと広がった。
チャンネルを始めてから、まだ数ヶ月。
最初の一週間は再生数がゼロだった。
今、その人たちが二万人、留まっている。
そういう数字だと思った。
* * *
通知の中にDMが一件、あった。
送り主:「食とダンジョン月刊誌・ライターの宮下」
DMには、こう書かれていた。
「突然のご連絡失礼します。ダンジョン食材の専門誌『月刊ダンジョングルメ』の宮下と申します」
「佐々木ユウトさんのチャンネルを開設当初から拝見してきた者として、ぜひインタビューをお願いしたく。最浅層食材への視点が現在の業界に与えている影響について、詳しく伺いたいのですが」
俺はDMを三度読んだ。
「月刊ダンジョングルメ」は業界最大手の専門誌だ。
モリヤさんのバックナンバーも一度見たことがある。
その雑誌に、自分の名前が載るかもしれない。
スマホを持つ手が少し止まった。
「急がない」と思った。
でも——今回は少し違う感触があった。
有希さんにDMを転送した。
「この取材、どう思いますか」
十分後。
「宮下さんは信頼できる人です。私も何度かお会いしたことがあります。ユウトさんのことをちゃんと理解して書いてくれると思います」
「ただ、未知成分や濃縮核の分析結果はまだ伏せてください。私との話も、直接お会いして整理してからで」
カナメにも聞いた。
「受けていいと思う。ただ、三つ聞いてから決めて」
「何を」
「記事の最終確認があるか。録音の扱いはどうなるか。研究中の話をどこまで伏せられるか。サインする前に必ず確認して」
* * *
宮下さんに返信した。
「ありがとうございます。インタビューはお受けしたいと思います。ただ、三点確認させてください」
「掲載前の最終確認の機会はありますか。録音は原稿作成と事実確認以外に使われませんか。未知成分や濃縮核の分析など、未公開の研究情報は記事対象外にできますか」
返信はその日の昼過ぎに来た。
「もちろんです。録音は原稿作成と事実確認のみに使用します。未公開の研究情報は扱いません。掲載前に必ずご確認いただきます」
俺は承諾を送った。
* * *
その日の午後。
宮下さんからインタビューの概要が届いた。
テーマは三つ。
「最浅層という場所を選んだ理由」。
「採取Sという能力を料理にどう活かしているか」。
「今後、最浅層食材をどう広げていきたいか」。
俺は三つをメモ帳に書いた。
一番目と二番目は言葉が出てきた。
あの頃の最浅層の空気。
初めてゼリーに指を触れた感覚。
採取Sで手のひらが熱くなった時のこと。
それをそのまま話せばいいと思った。
でも——三番目はすぐに言葉が出なかった。
「今後、最浅層食材をどう広げていきたいか」。
「今後」という言葉が少し引っかかった。
俺は今まで「今後」を考えたことがほとんどなかった。
次の動画を考える。次の採取を考える。それだけだった。
宮下さんに「今後は急がずに」と答えるのは逃げなのか。
それともそれが本当のことなのか。
しばらくメモ帳を眺めた。
答えは出なかった。
* * *
夕方、B2でパープルモスを採りながら、考えた。
今日はJAGL資料で加熱推奨を確認済みの分だけにする。
昼間は「今後をどう答えるか」が気になって、テキストを書いては消していた。
台所で考えるより素材を探す方が頭が動く。
取材を受けるということ。
チャンネルを始めた頃、こんな日が来るとは思っていなかった。
視聴者ゼロの動画を一人で撮っていた頃。
指先はいつものように素材を探している。
パープルモスの甘い香りが岩の奥からかすかに届く。
岩の割れ目に手を入れた瞬間、指先がぴりっと鳴った。
素材の質が指先にじわりと伝わる。
良品か。平均か。今日採れる最良のものか。
判断が体の中に勝手に生まれてくる。
これが採取Sの感覚、だ。
言葉にするのは難しい。
でも——俺はこの感覚で料理を作っている。
「最浅層、急がずに」という自分のルール。
それは変わっていない。
何かが大きくなっても俺の手が素材を探す動きは変わっていない。
「……あ、これでいい、かも」
声に出ていた。
胸が少しだけ軽くなった。
ピコが首を傾げた。
『ぴ?』
「三番目の答え、出た」
「今後」を計画する必要はない。
今ここにある素材がまだ知らない顔をしている。
宮下さんへの答えは——それだけで充分だ。
「急いで通り過ぎる人が多い。だから知らないものがたくさん残っている」。
あの言葉が三番目の問いへの答えにもなっていた。
* * *
夜、帰宅して、台所でパープルモスを炒めた。
オリーブオイルで熱したフライパンに刻んだパープルモスを入れる。
じゅわという音が立った。
独特の甘い香りが台所全体に広がった。
油の熱が苔の細胞を開く感じがした。
ひとつひとつが舌を想像させる、丸い甘みの匂い。
塩を少し。
ふわっと甘みが立つ。
箸でひと口分を皿の端に移した。
焦げ目の手前、香りが丸くなるタイミング。
口に入れると——甘みとコクがじわりと広がった。
グリーンモスの炒め物とも、ゼリー素材の甘みとも違う。
この素材だけが持つ、底にある甘さだった。
今日はカメラを回さなかった。
ただ、食べた。
ピコが炒め物の香りに反応して、半音高く鳴いた。
『ぴーこ』
高く、明るい音だった。
俺もうれしかった。
* * *
食べながら、DungeonTubeを開いた。
コメント欄に新しい書き込みが来ていた。
「最浅層の食材って、普通のスーパーで売ってないから料理してみる人がいないんだよなあ」
「JAGL資料を見てパープルモスを加熱したら、本当に甘みが出てびっくりした」
「採取Sって何なんだろう。料理人の直感みたいなもの?」
最後のコメントを少し考えた。
「料理人の直感」か。
違うと思った。
料理人の直感はたくさんの料理の経験から来るものだ。
俺の採取Sは——経験じゃなく、最初からそこにあった。
返信した。
「採取Sは経験で育てたものじゃないんですよね。最初から素材の場所や状態に手が反応する感覚です。料理人の直感とは出どころが違う気がします」
しばらくして、返信が来た。
「じゃあ、天性のものってこと?」
「……たぶんそれもちょっと違うんですが、素材の場所や状態を、先に手が拾う感じです。うまく説明できないんですけど」
返信を書いてから、指が少し止まった。
採取Sの感覚を説明する言葉も、まだ足りていない。
宮下さんにあの感覚を伝えられるのか、まだわからなかった。
炒め物のフライパンを軽く揺する。
残ったパープルモスがじわりと動く。
色は焦げ目の手前。
香りが一番丸くなる、その少し前。
一番うまい、そのタイミング。
これが俺の料理だった。
* * *
夜、宮下さんからスケジュール確定の返信が届いた。
「来週月曜日、午後二時から三時間、お願いできますか。場所はご都合に合わせます」
俺は「合わせます」と返した。
来週月曜日、三時間、話す。
そこで三番目の問いに向き合う。
「まだ知らない顔の素材がある」。
その答えだけを、急がずに言葉にする。
ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。
楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!




