第35話 最浅層フルコース
土曜日。
台所に最浅層の食材が並んだ。
ホタルトンボ天ぷら用の油。二色苔のドレッシング。スライムゼリーの濃縮核。
「食べに来ないか」とカナメにメッセージを送ったのは昨日のことだ。
返信は短かった。
「わかった。六時ごろ」
それだけだった。
* * *
準備を朝から始めた。
グリーンモスをざるに並べて、乾燥させる。
パープルモスを蒸す。
ゴールドモスはまだ食用判断が出ていないので、今日は使わない。
濃縮核はB1の大きめ個体から昨日、丁寧に取り出しておいた。
分析用は先にJAGL窓口へ預けた。
料理用は別容器に分けた半透明の小さなかたまりを、冷蔵庫で保存している。
ピコが通気ケースの中でしきりに鳴いていた。
『ぴ……ぴ……』
冷蔵庫を開けてほしいという時のリズム。
「だめだ。これは料理用」
『ぴ——!』
抗議の声。
でも、いつものB1ゼリーを一欠片、別に出してやるとおとなしくなった。
昼過ぎに天ぷら衣を準備した。
薄力粉に氷水を加えて、さっくりと混ぜる。
混ぜすぎると軽さが出ない。
ホタルトンボの発光器官は繊細だ。衣が厚くなりすぎると揚げた後の光が弱くなる。
一番の見せ場は電気を消した時の青緑の光だ。
衣は薄く、揚げ時間は短く。
ポイントをメモに書きながら、手を動かした。
小さな三皿の順番も決めた。
最初は苔。次に光。最後に濃縮核。
ただ珍しいものを並べるだけでは、たぶん伝わらない。
B2、B4、B1。
最浅層の別々の場所で採れたものが、一つの台所で食卓になる。
それをカナメに食べてもらいたかった。
動画用なら、皿の向きと照明を先に決める。
でも今日は、カナメが箸を伸ばしやすい位置を先に決めた。
撮るためのコースじゃない。
最初に見てくれた人へ、今の俺が作れるものを一度全部並べるためのコースだ。
* * *
十八時。
玄関のチャイムが鳴った。
「遅れた。B3の採取で手こずって」
カナメはダンジョン帰りの格好のまま、入ってきた。
黒い冒険者ジャケット。ポニーテールに苔の欠片が一つ、ついている。
「……苔、ついてるぞ」
「え」
カナメは鏡も見ずにぱっと手で払った。
「ユウが料理してる間に着替える」
「どうぞ」
ピコの通気ケースをカナメの足元に置いた。
『ぴこ』
「ピコ、久しぶり。大きくなった?」
『ぴ……ぴーこ』
ピコはケースの壁越しに、カナメの指先へ鼻先を寄せた。
カナメは視線をそこに落としたまま、少し笑った。
* * *
一品目。
二色苔サラダ。
緑と紫が皿の上で色を反射させていた。
カナメは一口食べて、少し間を置いた。
かすかにシャキという音が静かな台所に漂った。
グリーンモスの清涼感と、加熱したパープルモスの丸い甘みが重なっている。
「……ちゃんと味がする。苔なのに」
「パープルモスが甘みを足してる。加熱すると変わる」
「どこで採れるの」
「B2の岩壁。JAGL資料だと加熱推奨」
「……ちゃんと確認してるなら、まあ」
「ゴールドモスはまだ出してない。分析結果が出るまでは使わない」
カナメはもう一口食べた。
「……まあ、美味しい」
クールを保っている顔だった。
でも、手が止まっていない。
皿の端に残ったドレッシングを、カナメが箸の先で少しだけすくった。
紫の甘みが緑の清涼感を引っ張って、あとからほろ苦さが戻ってくる。
「二色でも、混ぜるとちゃんと一皿になるんだね」
「たぶん、同じB2の苔だからだと思う」
「場所の味?」
「うん。場所の味」
言ってから、自分で少し驚いた。
素材の味だけじゃない。
B2の岩の匂い、苔の湿り気、指先に来る採取Sの感覚。
そういうものまで、一皿の中に入っている気がした。
カナメは「場所の味」と小さく繰り返して、もう一口食べた。
* * *
二品目。
ホタルトンボ天ぷら。
揚げ立てを皿に並べた。
「電気を消す」と言ってからスイッチを切った。
「え」
カナメの声が暗がりで上がった。
「見て」
皿の上の青緑色の光。
三個の光点。
通気ケースの中のピコの羽の光がそれに混じって、台所が静かに光る部屋になった。
カナメが息を呑んだ。
「……ユウ」
「食べる?」
「……まあ、食べる」
明かりをつけた。
カナメは一個、口に入れた。衣が割れる乾いた音が静かな台所にほんの一拍、響いた。
「……サクサクして、甘みがある。苦みもある。B4の味がする」
「B4の味って、どんな味だよ」
「わかるでしょ、ダンジョンの深さの匂い」
俺は少し笑った。
確かにわかった。
B4の少し湿った、石と苔が混じる、あの層の空気。
揚げたことで、それが衣の香ばしさと混ざっている。
衣の表面はきつね色で軽い。
中から発光成分の苦みと後味の余韻が遅れて来る。
食材が自分のいた場所をまだ覚えている——そんな感じがした。
* * *
メインに濃縮核を使った、小さな一皿。
白い器に半透明の濃縮ゼリーが爪の先ほど。
添えてあるのはグリーンモスのソースとパープルモスの細切り。
「これは……」
カナメが器をのぞき込んだ。
「B1のスライムゼリーの底に残る部分。今まで混ぜて使ってた」
「捨ててたの?」
「気づかなかった」
「JAGL未記載部位だから、食用評価はまだ出てない。昨日、自分で少量確認はしてる」
「北条さんから、毒性と刺激性の一次確認だけは問題なしって返ってきた。でも、食用評価じゃない」
「分析結果待ちだから、本当に少量だけ。無理はしないで」
「見るだけでもいい」
カナメは器を見たまま、少しだけ息を吐いた。
「一口だけなら、試す」
カナメは小さじの先で口に入れた。
口の中で何かがとろと溶ける気配があった。
甘みの密度が一段深い。
しばらく黙っていた。
箸を置いた。
「……ユウ」
「うん」
「これ、普通じゃない」
「……そうだろ?」
「何が入ってるの」
「まだ分からない。B1の食材だけなのは確かだけど、北条さんの分析待ち」
カナメはそれ以上、口にしなかった。
口の中で何かを確かめるように、ゆっくり息をした。
「……なんか、懐かしい感じがする。なんで」
俺の指先が一度止まった。
俺はわからなかった。
ただ、濃縮核の器を持った時と同じ重さが、指先に少しだけ戻った。
* * *
食事が終わった。
皿が空になった。
ピコの通気ケースが二人の間にあった。
「ユウ、すごく上手くなったね」
カナメが言った。
感情が抑えてある、声。
でも、言葉の奥が滲んでいた。
「……ちゃんと見てたか?」
「DungeonTubeで全部」
「mi_kanaか」
「……ばれてた?」
「最初からわかってた」
カナメは少し視線を落とした。
「登録者もうすぐ一万なんでしょ。最浅層で一万人」
「うん」
「……すごいじゃん」
声が小さかった。
ピコがケース越しに、カナメの指先へまた鼻先を寄せた。
カナメが目を細める。
子供みたいな表情だった。
A級の冒険者が手のひらサイズの光る生き物にケース越しに鼻先を寄せられて——そのことに少し照れているような。
「——ユウの料理は特別だから」
喉の奥がかすかに細くなった。
返事がすぐに出なかった。
胸の奥で、今まで作った皿が一つずつ音を立てた気がした。
カナメはそう言って、立ち上がった。
「ご馳走様でした」
* * *
玄関の扉が閉まって、台所が静かになった。
換気扇が低く、鳴っている。
鍋を洗いながら、考えた。
懐かしい感じがするとカナメが言った。
何が懐かしいのか、カナメ自身も答えられなかった。
でも——指先に、濃縮核の器を持った時と同じ重さが残っていた。
それは何かに反応している。
カナメが「懐かしい」と言う、その感覚の源がどこかにある。
俺にはまだわからない。
七変化の動画は、まだ伸びている。
土曜の夜から日曜にかけて、通知は途切れなかった。
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