第31話 ホタルトンボの天ぷら
月曜日。カナメとB4でホタルトンボを捕まえる。
発光器官の強い個体を三匹。
動画タイトルはまだ決まっていなかった。
保存容器の動画を上げた翌日。
登録者はじわじわと増えて、八千四百を超えた。
コメント欄からはtanuki_yamaさんが自分で苔を採取したという報告が来た。
続けてきたことが誰かの手を動かしている。
俺の手も今日、動かす。
ただし、B4は俺一人で入れる階層じゃない。
朝のうちにJAGLアプリで臨時同行許可を確認した。同行者は御崎カナメ。活動範囲はB4入口側の「蛍火の間」まで。採取対象は通常個体のホタルトンボ、発光器官のみ。
画面のスクショを保存して、スマホの電池残量も確認した。
今日の目的は、冒険じゃない。
条件を守って、食べられる範囲だけを持ち帰ることだ。
* * *
B4、「蛍火の間」。
「ここから先は、私が前」
カナメが短く言って、俺の一歩前に立った。
「ユウは足元と網。ピコは肩掛けの通気ケース。出さない」
「分かってる」
カナメは返事を待たずに、通路の左右をライトでなぞった。壁の割れ目、足元の水たまり、天井の影。危ないものがないかを先に見ている。
それから、俺の肩掛けケースの留め具にも目を落とした。
「ケース、二重ロック」
「してる」
「よし」
天井から点々と光るホタルトンボが飛んでいる。
カナメが周囲を確認して、小さく頷いた。
ヘッドライトを数秒だけ落とすと洞窟全体が青白い光点の海になった。
ピコが肩掛けの通気ケースの中で羽を広げた。
ピコの光とホタルトンボの光が重なって、混じる。
採取Sが発動する。
光のパターンを読む。
左の群れは発光器官が小さい。飛び方が不規則だ。
右の群れの外縁。
三匹、光がひときわ、強い。
光が同じリズムで点滅している。
「通電」とは少し違う感覚。
指先に温かみが来た。
熱量の違い。
これが一番いい個体だ。
* * *
捕獲用の網を構える。
一匹目。
二匹目。
三匹目。
網の中で青緑の光が三つ、淡く震えた。
捕まえた瞬間、羽音が指先へ細かく伝わる。虫の軽さなのに、発光器官のある腹の奥だけが微かに温かい。
採取Sが読むのは、光の強さだけじゃなかった。
揺れの少なさ。光の戻り方。逃げようとする方向。
三匹とも、光が乱れていない。
「入口側の通常個体。三匹で止める」
「うん。欲張らない」
カナメの返事は短い。けれど、その短さがここでは一番安心できた。
ピコが通気ケースの中でわずかに身を乗り出した。
『ぴぴ……』
興奮している時の鳴き方だった。
「そんなに気になるか」
俺が言うとピコは小さな前足でケースの壁をつつき始めた。
「食べないぞ」
『ぴ——!』
抗議の声だった。
B4の石の冷たい空気にピコの声が小さく、響いた。
ホタルトンボの光がその声に反応するようにわずかに点滅した。気のせいかもしれない。けれど指先に、細い熱が一瞬だけ残った。
* * *
帰宅後、台所。
JAGLの食用安全リストをもう一度確認した。
ホタルトンボの発光器官は加熱処理後、食用可の記載。
生食不可。小型の発光器官は衣で包み、一分半以上加熱すること。B4入口付近の通常個体に限る。
発光成分が残るかどうかは試してみないと分からない。
まず、発光器官を丁寧に取り出す。
三ミリほどの小さな袋状の器官。
中に液体が入っている。
ピンセットで静かに引き抜く。
指先の通電感が微かに鳴った。
発光器官は小さい。小さいのに、部屋の灯りを落とすと指先の間で薄く光った。
ここを乱暴に潰したら、たぶん光は逃げる。
料理というより、細い糸をほどく作業に近かった。
鑑定Bを使う。
「……発光成分、か。加熱耐性あり、か?」
高温では弱るが、衣で包んで条件内で加熱すれば光が残る可能性がある。食用条件は満たす。光が残るかどうかは、そこから先の話だ。
やってみるしかない。
* * *
天ぷら衣を作る。
薄力粉と冷水と卵。
冷水は冷蔵庫でしっかり冷やした飲用水を使った。
温度が低いほど衣が軽くなる。油の中で薄く広がるように、粉は混ぜすぎない。
通気ケースをカウンターの端に置いた。ピコが透明な壁越しに、俺の手元を凝視している。
衣が混ざるたびに小さく、鳴き声が上がった。
『ぴ……ぴぴ……』
料理の工程が進むたびに半音ずつ、上がっていく声。
胡麻油を鍋に入れる。
温度が上がる。
ちりちりと衣の欠片を入れると音が変わった。
一六五度。
ちょうどいい。
* * *
カメラは下ごしらえから回している。JAGLの食用確認、カナメ同行、B4単独不可の注意も概要欄用にメモした。
動画の冒頭にも、同じ注意を入れる。
B4素材。同行者あり。食用リスト確認済み。加熱後のみ。真似する場合はJAGL条件を先に確認。
派手な光を見せる前に、先に見せるべき文字がある。
発光器官を衣にくぐらせた。
油に落とす。
ざっ——。
じゅわ、じゅわじゅわ。
揚げる音が台所に広がった。
録画ランプを確認した。
一分半後。
トングで引き上げる。
衣が薄く、きつね色。
そのまま、皿に置いた。
電気を消した。
* * *
台所が暗くなった。
皿の上の天ぷら三個が——光っていた。
淡い青緑色の光。
揚げた後も発光成分が残っていた。
指先が一度止まった。胸の奥が一拍、詰まった。
こんなものがB4にいたのか。最浅層のありふれた素材が暗がりの中で宝石みたいに光っている。
「……あ」
思わず、声が出た。
「……これ、意外と本当に光る」
カメラが映している。
暗がりの台所で皿の上の三個の青緑色の光点。
通気ケースを皿の横にそっと寄せた。
ピコがケースの中で羽を広げた。
透明な壁越しに、ピコ自身の青緑と天ぷらの青緑が重なった。
『ぴーこ……ぴーこ……』
今まで聞いたことのない、長い音。
料理が完成した時より一段深い声。
俺はカメラを切らなかった。
電気をつけた。
箸で一個、割る。
断面からかすかな、湯気が立つ。
中心にわずかに残る、微光。
口に入れる。
衣の香ばしさが先に来た。サクッと軽く砕ける。
それが砕けると——中からかすかな、甘みと苦み。油の熱で青臭さが丸くなって、ほのかな旨みだけが残る。
後味が長い。舌の奥に、光の余韻みたいな清涼感が残った。
海老天より軽い。でも、旨みの広がりはこちらの方が遠くまで届く。
「……最浅層なんで急がずにきたけど」
俺はカメラに向かって、呟いた。
「……こういうの待ってたかもしれない」
* * *
動画を上げた夜。
タイトルを最終的に「【闇で光る】B4ホタルトンボを天ぷらにしたら、皿が光った【最浅層ごはん】」にした。
概要欄の最初に、B4単独不可、同行者必須、JAGL食用リスト確認、加熱処理後のみ食用可、と書いた。
一時間後。
再生数が跳ねた。
コメントが流れていく。
皿が光ってる……これ本当に光ってるの??
ピコと料理の光が重なるシーン、反則すぎる
「こういうの待ってたかもしれない」の一言でブックマーク
* * *
ピコが通気ケース越しに画面をのぞき込んで鳴いた。
『ぴこ』
短い、一声。
登録者:八千九百。
昨日より五百人増えた。
tanuki_yamaさんからコメントが来ていた。
光るの本当にびっくりしました。次、私もB4行ってみます。採取Fでも捕れますかね?
俺は返した。
「単独では行かないでください。JAGLの入場条件を確認して、同行者と一緒に入口付近だけ。通常個体に限って、それでも危ないと思ったら採らずに戻ってください。捕れるかどうかより撤退優先です」
ありがとうございます。急がずにですね。
返信にこの言葉が返ってきた。
最浅層なんで急がずに——という俺の言葉が知らないうちに視聴者の言葉になっていた。
最浅層なんで急がずに。
それは俺だけの言葉じゃなくなっていた。
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