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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第2章 拡張編

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第28話 試食会の依頼

 配信を始めて一か月足らず。最浅層のゼリーがはじめて「仕事の言葉」になる夜が来た。


 今日持ち帰ったいつものスライムゼリーが机の端に置かれたままだ。採取から六時間。透明な白が書斎の電灯を受けてまだ澄んでいる。


 蓋を少し開けてみた。甘い香りがほんの一瞬だけ漂った。


 指先でひとすくい、口に含む。——採れたてに近い澄んだ甘さ。


 舌の上で弾力が崩れ、後味に青みがかった清涼感が静かに広がる。


 大きく崩れてはいない。けれど採れたての輪郭より、少しだけ後味が薄い気がした。


 水曜日、夜二十一時。父の書斎。デスクの上のノートPC。俺はその小さなカメラと向き合っていた。


 画面が分割されたウィンドウ。一方はy_yamada——山田有希さん。もう一方は眼鏡の落ち着いた男。


「初めまして。佐々木ユウト様。葉山食品、研究開発部の北条誠と申します」


 北条さんは画面越しに深く礼をした。三十代半ば。清潔なワイシャツ。知識を積み上げてきた人間の静かな落ち着きが姿勢と声に滲んでいた。


「……佐々木です。よろしくお願いします」


 俺の声が少し上擦った。最大手食品メーカーの研究員。戦闘F、最浅層冒険者。俺。書斎の空気がWi-Fi越しでも、重力が歪んだように感じた。


「ユウトさん、そんなに緊張しないでください」


 山田さんが画面の向こうで小さく笑った。今日はスーツ姿。コメント欄のあのフランクなリズムとは違うが眼差しは俺の料理を最初から見ていたあの温かさだった。


「北条さんはユウトさんの動画のファンでもあるんです。特に九本目」


「……スライムゼリーのパフェ動画?」


「そうです。あの濾過工程の指先の使い方。北条さん、それを見て『これはガチの採取者がいる』って」


「……そうですか」


 北条さんは少し照れくさそうに咳払いをした。


「山田より共有を受けた適性結果も確認しました。採取Sと料理S、さらに鑑定B。最浅層のスライムというありふれた素材を、ここまで安定して処理している例は、少なくとも弊社の研究記録にはありません。——ただ、まずいくつか確認させてください。現状の採取プロセスについて、教えていただけますか」


* * *


 北条さんは慎重だった。


 どんなタイミングで採取しているか。容器は何を使っているか。採取後どのくらいで調理するか。それぞれに「なるほど」と相槌を打ちながら、手元のメモに何かを書いている。


「保存条件で品質が落ちている可能性があります。高純度のゼリーを一般的な袋で持ち帰っているということは——現状の動画で見えているクオリティは、まだ上限ではないかもしれない」


「……上限ではない?」


「ええ。あなたの採取Sの感覚が引き出しているものを、より適切な保存環境で保てたとしたら——そのゼリーがどんな品質になるか、現段階では仮説を立てきれません。良い意味で」


 北条さんはスライドを一枚共有した。グラフ。棒の高さが段違いに違う二本。


「こちらが一般的な採取者が処理したスライムゼリーのゲル保持指数。こちらがユウトさんの動画から推測した暫定試算値です」


 ゲル保持指数。一般:三十五。試算:九十二。


「……倍以上、違いますね」


「倍では済みません。この差を生み出しているのが何なのか——それが私たちにはまだ言語化できていない。でも、あなたなら言葉にできると思っています」


 手が一度止まった。——採取Sが感じている「あの通電の感覚」。素材の輪郭が手のひらに届く感じ。ゼリー層が「落ち着く」瞬間の静寂。それが数値になっているとは正直思っていなかった。胸の奥が一拍、温かくなった。


* * *


 北条さんはスライドをもう一枚共有した。


「単刀直入に申し上げます。ユウトさんの監修とデータの提供をいただきたいのです」


「……監修ですか」


「理論化ですね。研究所で再現しきれない感覚的なコツ。それを我々の開発に貸していただきたい。採取Sが感じているものを言葉にする作業です」


 北条さんはスライドを一つ進めた。条件の欄に、細かい文字が並んでいる。


「採取ログの提出は月二回。レシピ監修会は月一回、年間十二回。監修料の目安は月額五万円です」


「……五万円」


「ただし正式契約は、サンプル評価と法務・広報確認の後になります」


「条件があります」


「何でしょうか」


「配信のスタイルは変えません。企業の宣伝のために料理をしたり、ピコを見世物にしたりするのはやりたくないです」


 沈黙。ネットの海を一瞬だけ無音の塊が漂った。山田さんが小さく息を呑むのが見えた。


 北条さんは眼鏡のブリッジを押し上げた。そして、ふっと口角を上げた。


「……大事な条件です。ユウトさんがスタイルを崩した瞬間にデータの価値は失われます。むしろ、今のままの配信を続けていただくことこそ、契約の前提です。スタイル不干渉は弊社の側からも条件として明文化します。ただし、表記や素材の受け渡しについては、弊社の法務と広報に確認させてください」


「……本当ですか」


「ええ。欲しいのは現場の『採取S』の感覚です。——まずは今週末、研究用サンプル評価として、ユウトさんのゼリーを少量分けていただけますか」


「試食会、ですか」


「はい。山田と私が、研究部の管理下で試食します。素材はJAGLの食用可リストに登録済みのブルースライムゼリーに限定。受領書と簡易同意書はこちらで用意します。正式な契約は、その評価の後に。無理なら、相談だけで構いません」


 北条さんは少し間を置いた。


「ユウトさん、一つだけ確認させてください」


「何でしょうか」


「配信は続けていただけますか。契約後も」


「……当然、続けます」


「それが何より重要なんです。現場の採取者が今どう感じているかを配信という形でリアルタイムに記録していくことも——私は研究の一環だと思っています」


 北条さんの言い方は「配信を使って宣伝する」ではなかった。「配信を記録として残す」という言葉。研究者の現地報告と同じ扱いだった。


* * *


 ピコが机の端の通気ケースの中で鳴いた。ゼリーの小瓶へ鼻先を向けるような、短い声だった。羽が小さく振動して、ケースの壁を叩いた。


「……わかりました。週末までに一番いいやつを仕込みます」


 言葉が口から出た後、喉の奥が細くなった。そのあとゆっくり広がった。——採取S、料理Sの俺の感覚が初めて、誰かの仕事の言葉になった、瞬間。


「期待しております」


 オンライン会議を終えた。書斎に再び静寂が戻る。


 デスクの上の父のレシピ帳。窓の外の夜の街の明かりがいつもより少しだけ近い場所に感じた。


* * *


「……五万、か」


 月額五万円という数字を改めて見た。今のアルバイトの日給が七千円だから——月に七回シフトを入れた金額と同じだ。体を動かさなくても感覚を言葉にするだけで同じ額になる。


 でも、そういうことじゃない。


 俺が嬉しいのは金額じゃなくて——北条さんが俺のゼリーの処理に「再現できない価値がある」と判断した、その事実だ。


 監修という言葉を俺はまだ受け取り慣れていない。研究者のスライドに自分の作業が「理論化」と書かれるたびに、少しだけくすぐったい。でも——それも少しずつ、自分のものになっていくのかもしれない。


 俺は父のレシピ帳の余白に一行書き足した。


『自分の価値を他人の言葉で初めて測った夜。——急がない。でも、逃げない』


 明日はJAGLへ行く。保存容器を探して、今よりいい一本を作る。


 試食会に持っていくゼリーは二晩かけて状態を見る。採取のタイミング、容器の種類、保存の温度。全部今夜から計算する。


 ピコが通気ケースの中で、嬉しそうに羽を鳴らした。


 俺は試しにゼリーの小瓶を机の上に出した。試食会用の一番いいやつを仕込む前の下見として。蓋を開けた瞬間、甘い香りが立った。青みがかった透明な塊の縁が、書斎の灯りを受けてほんのりと光る。


『ぴこぉ』


 少し伸びた音。料理が完成した時の声に近い。でも、まだ仕込みは始まっていない。——素材の香りだけで鳴いた。ピコは工程の始まりを、俺より早く感じているように見えた。


* * *


 時計の針が二十三時を過ぎた。


 机の端にあるゼリーを見た。採取から八時間。透明な白がまだ保たれている。でも明日の朝には少し黄みがかってくる。昼にJAGL売店アプリも見たが、出てくるのは汎用の密封容器ばかりで、ゼリーに合う確信は持てなかった。今夜から保存の方法を見直す——指先は、この保存が最善ではないとかすかに感じていた。


 ピコが通気ケースの中から、ゼリーの小瓶をじっと見ていた。


「わかるのか、これ」


『ぴ……』


 低い声で一度だけ鳴いた。


 週末まで、もう少ししかない。手は止めない。


 机の端に父のレシピ帳が置いてある。古い表紙。ぼろぼろになった角。今夜、ほんの少しだけ手が伸びそうになった——やめた。でも、いつもより遠く感じなかった。


 明日採る一本が週末の試食会でどんな状態で届くか——その答えを今夜から作り始める。


ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!

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