第15話 謎のファン
金曜日、夜七時。
十本目の動画を公開した。
『B3の地熱石でゴブリン肉を燻した。家のコンロより美味かった』——断言型タイトル、B3現地と家の比較、ナレーション一発録り、十二分。
公開ボタンを押した。
アップロードのプログレスバーがゆっくり右に進んでいく。完了。視聴者:ゼロ。——今週の一本目。金日火のリズムの最初の日だ。
* * *
十分後、再生:三。
三人はたぶん俺とカナメと昨日から気になっている、あの人。——『地熱石の温度、六十五度から七十度の間ですね』と書いた、末尾が半角『_』のアカウント。
コメント欄を開いた。
まだ一件も書き込まれていない。
俺はスマホを閉じて、台所で夕食の支度を始めた。今日は母が早く帰る日。B3のゴブリン肉の残りとグリーンモス味噌汁。
グリーンモスを白味噌で煮ると青い香りがだしに溶ける。鍋から土と海藻と白味噌の匂いが台所に広がった。燻製の肉の赤みが器の中で茶色に変わっていく。
父のレシピ帳のどこかにきっと似た献立があった気がする。——探さない。俺の献立として、作る。
* * *
二十一時、母の帰宅。
「ユウ、十本目、上がってるよ」
「うん」
「観た」
母が玄関で靴を脱ぎながら、そう言った。——母は新しい動画を毎回、帰宅前に通勤電車で観ている。先週からたぶんそういう習慣になっている。
「いい動画だった。B3の石の方が焼き目が薄く、綺麗」
「そっち、ね。ありがとう」
「父さんね、焼き魚のとき、弱火、好きだったよ」
母はそう、付け足した。靴を揃え終わって、立ち上がる前の半拍の間。
「強火で表面、一気に焦がすの嫌ってた。——ユウの地熱石、それと似てた」
俺は何も言わなかった。父さんの弱火の記憶を十二年ぶりに母が口にした。言葉に返さない方が正しい気がした。
夕食の席で母はグリーンモスの味噌汁を二杯、飲んだ。——味噌汁は昨日の朝、試作した分の温め直し。ゴブリン肉は昨日の燻製の残り。父の図の続きとしては書きたい量があった。でも今日は書かない。金日火のリズムをまず、守る。
* * *
食後、スマホを開いた。
十本目の再生数:二十八。公開から二時間。
九本目の公開二時間時点は再生三だった。十本目はその九倍以上で回っている。——カナメの「地味じゃない肉を地味に調理して」がタイトル回収として、効いているのかもしれない。
コメント欄にはじめての一件が付いていた。
> y_yamada —— `地熱石、六十五度から七十度の範囲、正解です。桜チップはブナより香りが繊細でゴブリン肉のような脂質の軽い素材に合います。コンロとの比較は専門誌に出したくなるレベルで丁寧でした`
俺はスマホを持ったまま、しばらく動けなかった。
喉の奥が細くなった。手が一拍、止まった。画面を読んでそれからもう一度読んだ。
* * *
ハンドル名が違う。
昨日まで末尾に『_』だけの匿名アカウントだった。今日、同じ人が名前を『y_yamada』に変えている。プロフィール画像は無地のグレー。フォロー・フォロワーはまだゼロ。
専門誌に出したくなるレベル——この一語がいちばん、重たかった。
専門誌という言葉をダンジョン料理に対して使う人間はたぶん業界の人間しかいない。カナメのglow_mossはA級の先輩で『現地光?』の一言。あの人とは別の系統の専門性だ。
『y_yamada』。——日本の苗字として、山田が真っ先に浮かぶ。でも、そんな平凡な名字の人が地熱石の温度を即答して、桜チップの樹種比較をしてくる、わけがない。——偽名、たぶん。あるいは本名の下の名前を『y』で伏せている。
答えを知りたいのに、知らない方がいい気がした。今は。次の動画で返す。それだけの癖をまた、繰り返す。
* * *
俺は返信を書かなかった。代わりにコメントの下に一回だけ、ハートマークのリアクションを押した。——それだけは返した。
ハートを押した後もう一度そのコメントを読み直した。『桜チップはブナより香りが繊細でゴブリン肉のような脂質の軽い素材に合います』。——俺は桜チップを家にあったから使った。選んだ根拠は「前にどこかで桜の燻製を食った時、美味かった記憶」だけ。脂質の軽い素材に合うという理論的な言葉を俺は持っていなかった。
y_yamada は俺が偶然、正解を選んだ後ろ側でなぜ正解なのかを知っている。知っている人が俺を見始めている。
怖いにも嬉しいにもまだ決まらない感情だった。
同じ夜、さらに四件、新規コメントが増えていた。
> `B3行ったんだ! ゴブリン肉、スーパーで見るけど、気になってた`
> `地熱石、絵面が神秘的。サムネで掴まれた`
> `mi_kana さん、また観てる。Aランクのカナメさんじゃないですよね? 気のせい?`
> `誰か、y_yamada さんの正体、知ってる人いますか`
最後の一件に指が止まった。
——視聴者が視聴者の正体を聞き始めている。俺のチャンネルが誰かの「調べたくなる場所」になりかけている。じわじわが別の方向にもじわじわ、染み始めた。
* * *
二十三時もう一度動画を開いた。
再生数:百四十八。二時間で百二十増。九本目パフェの二時間後(十)と比べて、一桁、違う。
——バズというほどではない。でも、火がついたあとの燃え上がり方に近い。
ゲン_zero のコメント欄は今夜も増えていない。七年前の一行は光ったまま、静かに待っている。
カナメからLINEが来た。
『十本目、伸びてるね』
『うん』
『y_yamada、知ってる人じゃないよ』
——カナメに先に聞くまでもなかった。カナメが『知ってる人じゃない』と断言するということはA級の寮にもJAGLの業界経由でも、辿れないということだ。glow_moss のような、カナメ経由の人脈ルートではない。別のどこかから来ている人。
『調べた?』
『調べた。葉山食品、って、言葉、どこかで目にした気がするけど、確証はない』
葉山食品。——名前だけは知っている。ダンジョン食材を一般スーパーに卸している、大手の食品メーカー。カップ麺のCMで『ダンジョン素材、入ってます』と子供の頃、よく見た気がする。
『でも、断定はしない』
カナメはそう付け足した。
『業界の人、ってだけ覚えておいて』
『うん』
* * *
書斎に上がった。
父のレシピ帳を開いた。——最後のページの二色のグラスの図の下、俺の鉛筆の書き込みが五行、重なっている。
九十二(火曜朝)。三百十七(水曜夜)。四百十二(金曜朝)。
俺は鉛筆を手に取ってもう一行、書き足した。
『百四十八(十本目、公開二時間、金曜夜二十三時)』
父の字と俺の字が同じページの上で重なって、増えていく。——父のレシピ帳は俺にとって、いつの間にか、記録簿になっていた。
* * *
ページの縁を指で一度なぞった。
冷蔵庫の白い筋のゼリーは今夜、二十本。二桁の大台に乗った。来週の日曜にこの熟成動画を出す。十一本目。その時、数字がもう一段動くかもしれない。
y_yamada。——たぶん次のコメントで少し顔が見える。次の次のコメントでもう少し見える。俺は答えを急がない。急ぐとたぶん声が嘘になる。カメラの前で嘘はつけない。
俺の周りでいくつもの別々のものが同時に動いている。その一つ一つが俺の次の動画を待っている。
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