第99話 新しい配信スタイル
JAGL晴海支部からの協力相談は、翌日の午前に正式なメールになって届いた。
件名は、最浅層食材の初心者向け啓発動画について。
内容は、思っていたより地味だった。
B1、B2の食用登録済み素材を扱う。
入場区分、装備、採取量、食用部位、体調記録、撤退基準を動画内で説明する。
B4以深、B5保全対象、未確認物は採取対象にせず、詳細にも踏み込まない。
JAGLは監修ではなく、公開前に安全表現だけを確認する。
動画の主体は、あくまで俺のチャンネル。
その最後の一文を読んで、少しだけ息が抜けた。
JAGLの広報動画になるわけではない。
俺の台所で、俺が食べる。
その前に、手順を少し丁寧にする。
新しい配信スタイルは、たぶん、それだけだった。
ゲン爺にも、メールの要点を送った。
返事は電話で来た。
「説明動画にするなら、まず食わせろ」
「啓発動画ですよ」
「だからだ。腹が減らん説明は、誰も覚えん」
乱暴な言い方だった。
でも、たぶん正しい。
危ないからやめろ、とだけ言っても届かない。
うまそうだから見て、見たから手順を覚える。
最浅層ごはんでやるなら、その順番を崩してはいけない。
「分かりました。食わせます」
「食わせてから止めろ。順番を間違えるな」
電話はそこで切れた。
新しいスタイルの一行目が、そこで決まった気がした。
* * *
有希さんからも連絡が来た。
「研究機関の暫定報告書で、協力者としてお名前を記載してよいか確認が来ています」
「論文ですか」
「まだ論文ではありません。暫定報告書です。B1スライムゼリー、B2グリーンモス、第一世代記録、JAGL確認済みB5保全記録の照合過程に、ユウトさんの記録が使われています」
「俺の感覚もですか」
「はい。ただし、採取Sの感覚は主観記録として扱い、証明の中心にはしないそうです」
その言い方に安心した。
採取Sが答えを出した、ではない。
俺が見て、匂って、触って、料理した記録が、他の資料と並ぶ。
それなら分かる。
「名前、出して大丈夫です」
「ありがとうございます。公開時期や範囲は、また確認します」
有希さんは、いつも通り一歩引いていた。
その距離が、今はありがたかった。
大きな話を、大きな声で扱わない人がいる。
それだけで、こちらの足元が少し固くなる。
* * *
最初の啓発協力動画は、B1スライムゼリーにした。
いちばん最初に扱った素材。
いちばん真似されやすい素材。
いちばん油断されやすい素材。
机の上に、JAGL資料、採取袋、体調記録用のメモ、調理用の小鍋を並べた。
カメラを回す前に、カナメが来た。
「見に来ただけだ」
「監督じゃなくて」
「監督した方がいいならする」
「怖い」
カナメは鼻で笑った。
ピコはカウンターの端で、採取袋を覗き込んでいる。
「ぴこ」
一声。
低くない。
「今日は説明が多い」
「ぴこぴこ」
二声。
半音、上がった。
分かっているのか、分かっていないのか。
どちらでも、ピコはいつもの顔だった。
録画ボタンを押した。
「今日は、B1スライムゼリーの湯通しです。まず、これはJAGL食用登録済みの通常部位だけを使います。白い筋、未確認変色、由来の分からないものは使いません」
言いながら、ゼリーを指で示す。
透明な青。
冷たい表面。
ぷるりとした弾力。
昔なら、すぐ料理へ入っていた。
今日は、先に手順を言う。
「採取は、入場区分を確認してから。体調に違和感がある日は食べない。初めてなら少量。異常が出たら記録して、JAGLか医療機関へ」
自分で言いながら、ずいぶん変わったと思った。
でも、料理が遠ざかった感じはしない。
むしろ、食べるところまで安全に届く道を、先に置いているだけだった。
小鍋の湯が沸いた。
ゼリーを落とす。
ころん、と音がした。
表面が白く曇り、すぐ澄む。
その瞬間、台所にほんの少し甘い匂いが立った。
カナメが、横から小さく言った。
「今の音、いい」
「入れる?」
「入れろ」
俺は少し笑って、撮影を続けた。
* * *
動画は、いつもより長くなった。
冒頭の安全手順だけで一分半。
概要欄にも、JAGL資料、入場区分、食用部位、体調記録、撤退基準、B4以深とB5保全対象への注意を書いた。
投稿して十分で、コメントが流れ始めた。
「初心者向け、めちゃくちゃ助かる」
「スライムゼリー食べたかったけど、まず資料見ます」
「説明多いのにちゃんと美味そうなのすごい」
「B5行くなって毎回書いてるの大事」
「湯通しの音、好き」
「最初の動画と同じ素材なのに、今見ると全然違う」
その最後のコメントで、手が止まった。
同じ素材。
同じ台所。
同じ、うまい、という言葉。
でも、届く先が変わっている。
俺が変わったのか、コメント欄が変わったのか。
たぶん、両方だった。
* * *
夜、黒葉からメッセージが来た。
「最浅層動画、一本上げた。返事はいらない」
見た。
黒葉はB1にいた。
派手な効果音は少ない。
カメラの前で、スライムゼリーを持っている。
「これ、食えるらしい。俺はまだ料理できない。だから今日は、資料を読む」
そこで画面が、JAGL資料の表紙へ切り替わった。
少し笑った。
黒葉が、資料を読む。
昔の黒葉なら、たぶん、すぐ食っていた。
あるいは、こんな地味な動画を撮らなかった。
「最浅層は地味だと思ってた。でも、少し違ったかもしれない」
黒葉はそう言った。
コメント欄には、「黒葉が資料読んでる」「これはこれで好き」「最浅層ごはん見たな」「安全確認えらい」と流れていた。
俺は返信しなかった。
でも、動画を最後まで見た。
ピコがスマホを覗き込んだ。
「ぴこぴこ」
二声。
半音、上がった。
「お前も分かるのか」
「ぴこ」
一声。
低くない。
分かっているような顔だった。
* * *
週末、カナメとB2へ降りた。
JAGL啓発協力の二本目用に、入口側のグリーンモスを撮るためだ。
申請はいらない範囲。
それでも、入場区分と帰還予定時刻は記録した。
ピコの同行は、前に確認した体調安定時の範囲内で、撮影の主役にはしない。
異常があれば、素材より先に撤退する。
カナメは俺の横を歩きながら言った。
「説明が増えても、料理を削るな」
「分かってる」
「そこが削れたら、ユウの動画じゃない」
「厳しい」
「当然だ」
B2の岩棚に、グリーンモスが広がっていた。
濃い緑。
端に水滴。
指で触れると、ひんやりして、その奥に細い熱があった。
採取Sは、状態の良さだけを教えてくる。
社会の正しさも、未来の安全も、言わない。
それでいい。
そこから先は、資料と同行者と自分の手順で決める。
少量だけ採取し、袋にラベルを貼った。
ピコが肩の上で鼻をひくつかせる。
「ぴこぴこぴこ」
三声。
高い。
「帰ったら炒める」
「ぴこ」
一声。
満足そうだった。
* * *
帰宅して、グリーンモスを塩バターで炒めた。
フライパンにバターを落とす。
じゅわ、と溶ける。
刻んだモスを入れると、青い匂いが立ち、少しずつ丸くなる。
端が黄金色に変わった。
この色が好きだ。
何度見ても、好きだと思う。
器に盛り、ピコに先に分ける。
「ぴこぴこぴこ」
三声。
高い。
俺も食べる。
青さ。
バターの甘さ。
塩。
いつもの味だった。
カナメがカウンターに座ったまま、スマホを見ていた。
「全部数えた」
「何を」
「動画。今日で二百四十本」
「数えてたのか」
「数えていた」
カナメは当たり前みたいに言った。
「最初の一桁の動画も、炎上していた日の動画も、ピコが帰ってきた動画も、今日の啓発動画も。全部見てる」
返事が、すぐに出なかった。
胸の奥が、静かに詰まった。
二百四十本。
俺が撮ったものを、誰かが数えていた。
再生数でも登録者でもない数え方で。
「ありがとう」
やっと、それだけ言えた。
カナメはスマホを伏せた。
「四百本になっても見る」
「そんなに続くか」
「続く」
即答だった。
俺は少し笑った。
続く。
そう言われると、続く気がした。
最浅層は、今日も静かだった。
台所の皿の上で、グリーンモスが湯気を上げていた。
登録者:七十三万四千人。
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