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【最浅層×料理配信】戦闘F判定を喰らった俺、誰も採らないスライムゼリーで配信はじめたら、気づけば最浅層の億り人になってました  作者: いなばの青兎
第5章 決戦編

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第100話 それでも、最浅層から

 あれから一年が経った。


 三月の終わりの、いつものB2だった。


 入口に近い苔地帯に見慣れない人がいた。


 二十歳くらいの背の低い女性だった。


 グリーンモスの前でしゃがんで首を傾げていた。


 採取袋を開きかけたまま、止まっていた。


 どう採ったらいいか、分からないのだろうと思った。


 少し離れた通路口に、JAGLの同行スタッフが立っていた。


 端末の青いランプが点いている。


 初心者同行枠。滞在場所はB2入口の苔地帯まで。


 胸元の小型カメラは録画中だった。


 JAGL確認済みの啓発協力動画として、スタッフにも確認を取ってある。


 女性の顔は映さない約束だった。


 ピコの同行も、体調安定時の確認範囲内だ。


「触っても大丈夫ですか」


 声をかけたのは俺だった。


「え、あ、はい、たぶん……あのでも、食べられますか、これ」


「JAGL食用登録済みの範囲なら食べられる。栄養もある」


「本当に?」


「本当に」


 女性がようやく俺の顔を見た。


 目が丸くなった。


「…………佐々木ユウトさんですか」


「そうだ」


「わ、あの動画、全部見ました。それで最浅層に来てみようと思って……採取適性がFで、初回講習後の単独許可はB1までなんです。でも今日はJAGLの初心者同行枠で、スタッフさんと一緒ならB2入口までは滞在していいって言われて……」


 採取適性Fで、初回許可B1の新人だった。


 俺は採取袋を確認した。


「採取適性Fでも、今日の同行枠ならB2入口までは来ていい。ただ、一人で奥へ行くな。時間内にスタッフのところへ戻ることと、JAGL端末のチェックアウトを忘れないこと。それだけ守れ」


「あはい。スタッフさんのところに戻って、友達にも場所を送ります」


「それでいい」


 女性がグリーンモスを見た。


「採取はどうやってやればいいですか」


「急がないことだ」


 女性が首を傾げた。


「急がないと、採れますか」


「採れる。採取SでもFでも、ここにある食材は同じだ。ただ、採る場所と手順は守れ」


* * *


 採取の仕方を少しだけ教えた。


 無理に深く採らないこと。


 岩の割れ目にある苔が質がいいこと。


 色が均一なものを選ぶこと。


 持ち帰ったら洗って、必ず加熱すること。


 迷ったらJAGL資料に載っているものだけにすること。


 女性はメモアプリに全部記録していた。


 指が速かった。


 俺が最初の頃、メモを取っていた頃と似ていた。


 あの頃はJAGL資料を見ながら、一つ一つ確認していた。


「ここって、動画で見た場所ですよね」


「そうだ」


「ずっと同じ場所に来てるんですか」


「大体ここだ」


「……いいですね」


 女性が採取袋を開けた。


「何がいいんですか」


 俺が聞いた。


 女性が少し考えた。


「ずっと同じ場所に来られる理由があるって、いいと思って」


 俺はその答えを聞いた。


 ずっと同じ場所に来られる理由。


 うまいからだ。


 最浅層の食材がうまいから。


 それだけが続いている理由だった。


「持って帰って、炒めてみます」


「バターがあれば、バターで炒めろ。いい香りがする」


「バターで」


「ちょっと塩を振ればいい。それだけで美味い」


 女性がうなずいた。


「やってみます」


 ピコが俺の肩口で鼻をひくつかせた。


「ぴこぴこ」


 二声。半音、上がった。


 女性がピコを見た。


「わ……ピコ。本物だ」


「本物だ」


「動画でもすごくかわいかったです」


「ぴこぴこぴこ」


 三声。高かった。


 女性が笑った。


 俺も少し笑った。


 B2で誰かに笑ってもらうのがいつから当たり前になったのか。


 最初の頃はB2に来るのは俺一人だった。


 誰も来ない場所で誰も見ない動画を撮っていた。


* * *


 少し経って、カナメが来た。


「遅い」


「B3で足を止めた。新しいスポットを見つけた」


「後で見せろ」


「うん」


 カナメが女性を見た。


「知り合いか」


「今日会った」


 カナメが女性にうなずいた。


「採取適性Fか」


「そうです、あの御崎カナメさんですよね……」


「そう。同行枠のB2入口なら、手順を守れば安全だ。ゆっくりやればいい」


 カナメはそれだけ言って、俺の隣に並んだ。


 女性が嬉しそうな顔をした。


「あの一つだけ聞いていいですか。採取適性Fでも、続けていいですか」


 俺は採取袋を持ち直した。


「美味いと思ったなら、手順を守って続ければいい。その気持ちに、判定は関係ない」


「……はい」


「最浅層なんで」


「最浅層なんで?」


「急がないんで」


 女性がまた笑った。


「分かりました」


 女性は採取袋にグリーンモスを一つ入れた。


 大事そうに袋を閉じた。


「ありがとうございました」と言って、帰っていった。


 その背中がB2の通路の向こうに消えた。


 通路口のスタッフが端末を確認し、青いランプが消えた。


 ピコが女性の去った方向を見ていた。


「ぴこ」


 一声。低かった。


 でも、何か確認したという声だった。


* * *


 B2の通路をカナメと歩いた。


 ピコが先を飛んでいた。


「あの子、続けるかな」


 カナメが言った。


「分からない。でも、今日は美味いと思う」


「そうか」


 カナメが壁の苔を指で触れた。


「今で何本になった、動画」


「数えてない」


「私は数えた。今日で四百三本だ」


「……数えてたのか」


「数えていた」


 俺はカナメを見た。


 カナメは前を向いたまま言った。


「ユウが撮るたびに更新した。全部見ている」


 返事ができなかった。


 今の声も、カメラには入っていた。


 カナメは消すなとも、消せとも言わなかった。


 カナメの肩が、少しだけ俺の腕に触れた。


 離れなかった。


 B2の苔が青緑の光を帯びていた。


 ピコの光と同じ色だった。


* * *


 地上に出た。


 風が来た。


 春の風だった。


 スマホに有希さんからメッセージが来ていた。


「先月確認いただいた論文が掲載されました。JAGLと共同研究機関の発表で、D粒子文明、公式名称が今日から使われます。最浅層の食材は古代文明の主食だったという記録も、公開範囲を確認したうえで学術的に認められました」


 俺はメッセージを読んだ。


「それと、祖父の記録が正式な一次資料として引用されました。ゲン爺さんが公開を許可した記録も。お二人に報告できてよかったです」


 ゲン爺に転送した。


 三分後、返信が来た。


「健次郎が辿り着けなかった場所まで来た。よくやった」


 それだけだった。


 左手は前髪に届かなかった。


 代わりに、背負っていたザックの肩紐を握っていた。


 肩紐には父の鍵が下がっている。


 かつては、開けるための鍵だった。


 今は、一緒に歩くための鍵だった。


 カナメがスマホを覗いた。


「よかったな」


「よかった」


「次は何をする」


 俺は採取袋を見た。


 グリーンモスが入っていた。


「帰って、これを炒める」


「それだけか」


「それだけだ」


 カナメが隣を歩いた。


 ピコが二人の間を飛んだ。


「ぴこぴこぴこ」


 三声。高かった。


 晴海の空が夕方の色に変わり始めていた。


 ダンジョンの入口が遠ざかっていった。


 明日もあの入口から降りる。


 B1の空気を吸って、B2の苔を採る。


 帰ってきて、台所で料理する。


 カメラを回す。


 それだけが続く。


 それだけでいい。


* * *


 帰宅した。


 台所に立った。


 グリーンモスをフライパンに入れた。


 バターが溶けた。


 ジュッと音がした。


 甘い匂いが立ち上がった。


 ピコがカウンターで鼻をひくつかせた。


「ぴこぴこ」


 二声。半音、上がった。


「もうすぐだ」


 フライパンを揺らした。


 苔が黄金色に変わった。


 器に盛った。


 ピコに先に渡した。


「ぴこぴこぴこ」


 三声。高かった。


 俺も食べた。


 うまかった。


 B2の苔だった。


 最浅層の苔だった。


 変わらない味だった。


 スマホの通知が来た。


 DungeonTubeからだった。


 登録者が百万人を超えたという通知だった。


 画面には、登録者:百万一千、と表示されていた。


 しばらくスマホを見た。


 百万。


 胸の奥がじわりと熱くなった。


 息が一瞬うまく出なかった。


 B1のスライムゼリーを誰も見ていなかった頃からここまで来た。


 視聴者ゼロの一週間があった。


 炎上でコメント欄が荒れた夜があった。


 カメラが壊れた日があった。


 ピコがいなかった間があった。


 それが全部今この通知の一行に繋がっている。


 左手で前髪を掻き上げた。最後にもう一度。


 長く止まっていた手が、今は自分で動かせる手になっていた。


 父の手だと思っていた左手も、今は俺の手だった。


 ピコが俺を見た。


「ぴこ」


 一声。


 低かった。


 でも、嬉しそうだった。


「分かってる」


 俺はカメラを取り出した。


 三脚を立てた。


 録画ボタンを押した。


 ピコがカメラを見た。


「ぴこぴこぴこ」


 三声。高かった。


 最初から最後まで高かった。


 俺はカメラに向かって、言った。


「今日も、飯が美味い」

ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!

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