第92話 古代遺物を公開する作戦
源田屋の奥の部屋に、四人が集まった。
ゲン爺が茶を出した。
有希さんがノートを開いた。
カナメは入口側の椅子に座り、腕を組んでいる。
俺はスマホをテーブルに置いた。
画面には、槇原総一からのDMのスクリーンショットが表示されている。
認証済みの企業アカウント。
東和グループ ダンジョン事業本部。
最浅層素材の今後の扱い。
貴殿の記録は今後の事業整理において重要な参考となる。
その一文を、全員が見た。
ここで扱う情報は、昨日のうちにJAGLへ確認してある。
保全申請の準備として、四者で共有してよい範囲は限定された。
B5に保全対象があること。
JAGL保管中の未確認物があること。
白い石板の概要が、JAGL管理下の記録として存在すること。
画像、座標、入口手順、反応の詳細は出さない。
「来たな」
ゲン爺が短く言った。
「来ました」
「返してないな」
「返してません」
「それでいい」
有希さんがノートを一枚めくった。
「公開相談窓口と業界団体の照会で確認できる範囲だけ話します。東和関連会社は、最浅層食材の抽出・加工・流通に関する包括的な利用整理を進めています」
「特許ですか」
「正式な公開出願はまだです。ただ、事前相談の文面では、スライムゼリーやグリーンモスの加工法、栄養成分の利用、データ提供契約がまとめて扱われています」
カナメが眉を寄せた。
「まとめて押さえる気か」
「可能性があります。だから、こちらが先にできることは三つです」
有希さんは、ノートに三本の線を引いた。
「一つ目。JAGLに、B5で確認された遺物関連情報と、JAGL保管中の未確認物を保全対象として扱う申請を出すこと」
「二つ目。葉山食品が持つ分析要約と、ゲン爺さんの第一世代記録を、共有許可のある範囲で研究機関へ日時つきで提出すること」
「三つ目。一般公開用の動画は、JAGL確認後に編集したものだけにすること。座標、入口手順、欠片の画像、未確認仮説は出さない」
公開。
その言葉が、思っていたより重かった。
全部を世界に投げることではない。
出す順番を決めることだ。
先に、守る場所へ渡す。
次に、出していい範囲だけを人に見せる。
俺が勝手に盛り上げる話ではなかった。
これは、特許をその場で止める魔法ではない。
東和が独自発見や独占データとして形を固める前に、公的保全と先行記録を作るための手順だ。
* * *
ゲン爺が古いファイルを一冊、棚から出した。
机の上には置いたが、開かなかった。
「この中身を全部出すわけじゃない」
「はい」
「三十年前、記録が遅れたせいで、企業の紙の方が先に形になったことがある。ワシらが何を見たか、何を食えると思ったか、後から説明しても遅い場面があった」
ゲン爺の声は低かった。
父の名前は出なかった。
槇原太郎の名前も出なかった。
でも、そこに繋がる何かがあることだけは分かった。
「だから、今回は順番を間違えるな」
「順番」
「JAGLへ出す。研究機関へ出す。公開するのは、そのあとだ。配信は武器になるが、先に抜けば人を切る」
胸の奥が、少し重くなった。
カメラを回せば何でも守れるわけじゃない。
カメラを回す前に、守る手順がある。
有希さんが頷いた。
「葉山食品の分析要約は、共有許可済みの範囲に限定します。北条にも確認を取ります。ゲン爺さんの記録は、原本ではなく、JAGL照会済みの抜粋だけにします」
「JAGL保管中の未確認物は」
カナメが短く聞いた。
「JAGL保管室から出しません」
俺が答えた。
「画像も出さない。反応も出さない。今の段階で出すのは、B5に保全対象があることと、JAGL管理で確認が進んでいることまで」
「よし」
カナメはそれだけ言った。
短いが、その一言で背中が少し固くなった。
固くなったのは、怖いからではない。
線が引けたからだ。
* * *
問題は、映像だった。
東和の紙より先に、公共の記録を残す。
そのためには、B5の隠し通路と白い石板の現状を、JAGL立ち会いで再確認する必要がある。
俺一人で行く話ではない。
行くとしても、条件が要る。
有希さんが読み上げた。
「申請案です。JAGL調査員立ち会い。巡回員同行。御崎カナメさんを戦闘安全担当として同行申請。佐々木ユウトさんは感覚記録と撮影補助。採取なし、持ち帰りなし、活動時間はJAGL指定内、異常時は即撤退。個人カメラの使用はJAGL確認用原本として提出し、一般公開前に必ず編集確認」
カナメが頷いた。
「私は行く」
「ありがとう」
「当然」
その短さが、いつものカナメだった。
有希さんは続けた。
「撮らないものも決めます。座標、入口までの詳細ルート、隠し通路の開閉手順、JAGL保管中の未確認物、白い石板の接写、反応実験、保管ラベル、未確認の文字の接写、ピコに関する仮説」
「ピコは」
俺は言いかけて、止めた。
ピコは今、自宅にいる。
体調は安定している。
でも、B5に連れて行くかどうかは、俺がここで決めることではない。
「ピコの同行はJAGL判断に従います。無理には連れて行きません」
「それでいい」
ゲン爺が言った。
「坊主、相棒だから連れて行く、ではない。必要なら連れて行く。危ないなら置いていく」
「はい」
その言葉は、少し痛かった。
でも、痛い方が正しい。
* * *
作戦は、思っていたより地味だった。
派手なライブ配信ではない。
明日、JAGLへ正式申請を出す。
受理されれば、B5へ降りる。
記録する。
原本をJAGLに渡す。
研究機関に日時つきで提出する。
一般公開は、その後。
俺のチャンネルで出すのは、JAGLが確認した編集版だけ。
その編集版も、座標や手順を抜いたものにする。
でも、それでいいと思った。
戦うのではない。
先に記録する。
奪われる前に、誰のものでもない形で残す。
それが、俺のやれることだった。
ゲン爺が茶を飲んだ。
「佐々木の息子」
「はい」
「急ぐな」
いつもの言葉だった。
そこで一度、間が空いた。
「ただし、記録は遅らせるな」
喉の奥が、細くなった。
急ぐな。
記録は遅らせるな。
似ているようで、全然違う。
焦って公開するな。
でも、守るための記録は今日から始めろ。
その意味だと分かった。
「分かりました」
声は少しだけ低くなった。
カナメが俺を見た。
「ユウ、顔が固い」
「固くもなる」
「固くなるのはいい。勝手に先走らなければ」
「先走らない」
「ならいい」
それだけで、部屋の空気が少し戻った。
* * *
帰宅した。
台所に立つ。
冷蔵庫には、JAGL食用登録済みのグリーンモスがあった。
源田屋で昨日買ったものだ。
今日はこれでいい。
フライパンに油を薄く引き、刻んだグリーンモスを入れる。
ジュッと小さな音がした。
青い匂いが立ち上がり、火を通すにつれて苦味の角が丸くなる。
塩を少し。
バターを少し。
派手な料理ではない。
でも、こういうものを食べてから考える方が、俺には合っている。
ピコがカウンターの端で鼻をひくつかせた。
「ぴこぴこ」
二声。
半音、上がった。
「今日はグリーンモス」
「ぴこ」
一声。
不満そうだった。
「スライムゼリーは明日の朝」
「ぴこぴこ」
二声。
少しだけ許された気がした。
小皿に少し分けた。
ピコが食べる。
「ぴこぴこぴこ」
三声。
高かった。
俺も食べた。
うまかった。
青さが残っている。
でも、嫌な青さではない。
口の中で、最浅層の湿った空気が少しだけほどけた。
会議の言葉が、腹の中へ沈んでいく。
保全申請。
日時つき提出。
編集確認。
どれも料理の言葉ではない。
でも、食べる場所を守るための言葉だった。
* * *
食後、カメラを机に出した。
バッテリーは満充電。
予備バッテリーも二本。
メモリーカードは空にした。
ファイル名の先頭に、日付と「JAGL確認用」と入れる。
手持ち撮影になる。
B5の通路に三脚を立てる余裕はない。
だから、手首にストラップを通し、落下防止の短い紐をつけた。
ライトは使わない。
JAGLの調査灯に合わせる。
自分の光で文字や石の色を変えないためだ。
撮るもの。
撮らないもの。
公開する前に確認するもの。
手帳に分けて書いた。
採取Sは、静かだった。
何も告げない。
それでよかった。
明日の正しさは、スキルに決めさせるものではない。
申請書と、同行者と、記録で決める。
ピコはカウンターの上で丸くなっていた。
連れて行くかどうかは、まだ分からない。
JAGLが明日判断する。
俺はそれを守る。
カメラの電源を切った。
スマホには、槇原のDMがまだ残っている。
返信欄は空のままだ。
明日、まず源田屋ではなくJAGLに申請を出す。
それから、必要なら源田屋で待つ。
順番を間違えない。
急がない。
でも、記録は遅らせない。
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