第91話 槇原専務からのDM
配信再開から三日が経った。
スライムゼリーの動画は、まだ伸びていた。
怖いほどの爆発ではない。
でも、止まらない伸び方だった。
再生数の線が、夜になっても寝なかった。
登録者は五万四千台から、朝には十二万を越えていた。
昼前には十三万台に入った。
コメント欄には、見慣れない名前が増えていた。
「昔の最浅層記録って何だろう」
「食品分析と繋がってるなら、ただのネタ食材じゃないのか」
「スライムゼリー買えないのか。採りに行くしかないのか」
「概要欄の安全確認、ちゃんとしてる」
俺は三つ目のコメントで手を止めた。
返信欄に、短く書いた。
「B1でもJAGL資料確認、食用登録済み部位のみ、体調記録、異常時撤退でお願いします。動画は挑戦状ではなく料理記録です」
送信して、固定した。
手が、少しだけ冷たかった。
広まることは嬉しい。
でも、広まるほど、真似する人が出る。
俺が気をつけていたつもりの線も、画面の向こうでは簡単に薄くなる。
JAGL晴海支部の公式アカウントも、昼に注意喚起を出していた。
B1ブルースライムゼリーは食用登録済みだが、採取・処理・保管は資料に従うこと。
未確認部位を食べないこと。
体調異常があればすぐ相談すること。
俺の動画名は出ていなかった。
でも、タイミングは明らかだった。
俺の小皿は、もう俺の部屋だけで完結していなかった。
* * *
午後、B1へ降りた。
申請は通常のB1採取。
ピコはJAGLの体調確認を済ませていて、今日は自宅待機にした。
配信はしない。
素材確認と、動画の次に何を撮るか考えるための短い採取だった。
浅瀬の間の空気は、三日前と同じ甘さだった。
ブルースライムが水際で揺れている。
折り畳みナイフで処理し、透明な食用部位だけを採った。
採取Sを向けると、指先にひやりとした膜の感覚が返ってきた。
質は良い。
水分が均一で、弾力もある。
そこまでだ。
昔の記録の意味や、誰が何を狙っているかは、採取Sの仕事ではない。
俺は手帳に、質、透明度、匂いだけを書いた。
欠片はJAGLに預けてある。
白いもののことを、ここで考えすぎない。
B1でやることは、B1の素材を見ることだ。
採取袋の中で、ゼリーが静かに揺れた。
最初に見たときと同じ透明だった。
でも、今はその透明の向こうに、たくさんの人の手元が見える。
コメント欄。
JAGLの注意喚起。
誰かの台所。
そして、まだ名前のない企業の影。
俺は採取袋を閉じた。
今日はここまで。
急がない。
でも、目は逸らさない。
* * *
帰宅すると、ピコがカウンターの上で丸くなっていた。
青緑の光が、昼の眠りの中でゆっくり揺れている。
冷蔵庫にスライムゼリーを入れたところで、スマホが震えた。
山田有希さんからだった。
「少し気になることがあります。今日、短く通話できますか」
すぐに返した。
「できます」
一分もしないうちに通話が来た。
声はいつもより少し硬かった。
「公開相談窓口と業界団体に出ている照会で確認できる範囲ですが、東和グループの関連会社が、先週から最浅層食材の利用に関する事前相談を出しているようです」
「先週から、ですか」
「はい。動画の前から動いていた可能性があります。ただ、今回の動画で早まったかもしれません」
俺は台所の椅子に座った。
ピコが目を開けた。
「何をしようとしているんですか」
「まだ断定できません。ですが、最浅層素材の加工利用、流通、研究データの取り扱いを一括で押さえようとしている気配があります」
「スライムゼリーも」
「含まれると思います。グリーンモスも、他のB1からB3の食材も」
喉の奥が、細くなった。
俺の動画を見た人が、B1に行きたいと言っていた。
同じ時間に、企業はそれを囲う準備をしていた。
有希さんは続けた。
「槇原専務本人、または事業本部から連絡が来るかもしれません。返信する前に、必ず共有してください」
「分かりました」
「それと、動画で伏せた部分は、そのまま伏せてください。JAGLが管理しているものなら、こちらからは触れない。そこは絶対に」
「はい。出しません」
通話が切れた。
画面が暗くなり、自分の顔が映った。
昔の俺なら、たぶん胃のあたりが冷たくなって、そのまま固まっていた。
今は、冷たさのあとに手順が浮かぶ。
返信しない。
共有する。
記録を残す。
食材を、手順ごと守る。
* * *
夜、DungeonTubeのDMに通知が来た。
送信元は、認証済みの企業アカウントだった。
東和グループ ダンジョン事業本部。
名前を見ただけで、部屋の温度が少し下がった気がした。
文面は短かった。
「佐々木ユウト様。先日の動画、および一連の最浅層食材記録を拝見しました。一度お話の機会をいただけないでしょうか。貴殿の記録は今後の事業整理において重要な参考となるものと考えております。最浅層素材の今後の扱いについて、弊社として正式にご相談したいことがございます。時間と場所はご都合に合わせます。槇原 総一」
読んだ。
もう一度読んだ。
丁寧だった。
柔らかかった。
だからこそ、怖かった。
最浅層素材の今後の扱い。
その言葉が、料理の言葉に見えなかった。
俺は返信欄に触れなかった。
スクリーンショットを撮る。
送信元の認証表示も一緒に入るように、もう一枚撮る。
カナメに送った。
有希さんに送った。
ゲン爺にも送った。
三分後、カナメから返事が来た。
「返信するな。明日、源田屋」
すぐに、有希さんからも来た。
「ゲン爺さんにも共有済みです。明日午前、源田屋で確認しましょう」
ゲン爺からは短かった。
「来たな。坊主、返すな」
その三つを見て、息が少し戻った。
前なら、一人で画面を見ていた。
今は、同じ画面を三人が見ている。
ピコがカウンターから飛んできて、スマホの横に座った。
「ぴこ」
一声。
低い。
「明日、みんなで話す」
「ぴこぴこ」
二声。
半音、上がった。
了解した、と決めつけない。
でも、隣にいるのは分かった。
* * *
スマホを置こうとして、解析通知がまた鳴った。
視聴元の欄に、古い動画の名前が並んでいた。
ブルースライムを初めて処理した回。
グリーンモスのスープを作った回。
源田屋で道具を買った回。
スライムゼリーの動画から、過去の回へ人が流れていた。
コメントも増えていた。
「最初からちゃんと安全確認してるんだな」
「グリーンモスのスープ作ってみた。JAGL資料見て、加熱推奨も確認した」
「B1行く前に講習動画見直してる」
「企業が入ったら、この料理って作れなくなるの?」
胸の奥が、一拍、詰まった。
配信は俺の記録だった。
でも、それだけではなくなっていた。
誰かが、動画を見て資料を開いていた。
誰かが、台所で鍋を出していた。
誰かが、最浅層にもう一度降りようとしていた。
その手元に、東和の許可が必要になる。
そんな未来は、嫌だった。
スマホの画面が暗くなった。
そこに映った自分の顔は、三日前より少し疲れていた。
でも、逃げたい顔ではなかった。
東和は、前にも断った。
「急がないんで」と言って、断った。
今もその答えは変わらない。
ただ、守るものの輪郭が広くなった。
俺の食材だけではない。
俺の配信だけでもない。
最浅層を面白がってくれた人たちの手元まで、もう話が届いている。
その手元ごと守るには、一人で返事をしてはいけない。
明日、源田屋で話す。
槇原に返す前に。
公開できるものと、できないものを分ける。
戦うのではなく、記録するために。
* * *
寝る前に、冷蔵庫を開けた。
残ったスライムゼリーが小さな器で揺れていた。
明日の朝、少しだけ食べてから行こうと思った。
冷たい甘みを覚えておきたかった。
何を守るために動くのか。
それを忘れないために。
ピコがカウンターの上で丸くなった。
青緑の光が、暗い台所にかすかに揺れていた。
白い欠片はここにはない。
JAGLの保管室にある。
だから、今夜ここにあるのは、スライムゼリーと、ピコと、槇原からのDMのスクリーンショットだけだ。
多くはない。
でも、十分だった。
明日、源田屋へ行く。
答えを急がないために、全員で見る。
登録者:十五万一千人。
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