黒狼断章 ◆ 終焉の訪れ
シャラの牙によって頭をかみ砕かれ、小鬼のリーダーが完全に絶命する。
(よし、確実に仕留めたわ)
ふと上空へ視線を向けると、先ほどおとりに使った「あの人間」が、慌てて木の上の方へと体を戻そうとしているのが見える。シャラが放った爆発的な炎に驚いたのだろう。
(鬱陶しいわね。何もせずそのままじっとしてなさい)
これ以上の興味を失ったシャラは、すぐさま自分の仲間たちが交戦している方角へ、意識を向ける。シャラの仲間三体は、二手に分かれて小鬼の分隊を相手取っているようだ。二体の仲間は、四体の小鬼を相手に互角に立ち回っている。
(残る一体はどうなっているかしら……)
そう思って視線を向けると、小鬼三体を同時に相手にしてしまっている。孤軍奮闘しているのは、群れのなかで最も若い雄狼の『ジル』だ。
(ちょっと、三体を同時に一人で相手にするなんて、何をバカなことをしているの)
思わずそう毒づくが、シャラの冷徹な戦術眼は、この状況を『逆転のチャンス』と計算する。
(逆にこれは好機だわ。小鬼三体の注意と殺意は、今完全にジルに向いている。私が茂みに身を潜めて死角から奇襲し、確実に一体を削る。そして残りの仲間の加勢に向かえば、あっという間に小鬼の分隊を全滅できるわ)
今すぐ加勢に入って私とジルの二対三で正面から当たっても、勝つことはできるだろう。だが、小鬼どもはすばしっこく、卑劣だ。形勢不利と悟れば、すぐに逃げられるだろう。
(下手に粘られて泥沼化するリスクは避けるべきね)
そう判断したシャラは、気配を殺して深い茂みにひそみ、奇襲の完璧な位置取りとタイミングを計る。
だが、事態はシャラの計算を狂わせる。小鬼どもが予想以上にタフで、連携が巧みだったのだ。牽制のためのジルの突撃は身軽にかわされ、逆にすれ違いざまに棍棒でジルの頭部を思い切り殴りつけてくる。
さすがに一対三では厳しかったのか、頭部に強烈な衝撃を食らったジルが体勢を崩す。そこに取り巻いていた小鬼から放たれた矢がジルの胴に突き刺さり、さらに投げられた石がものすごい勢いでジルの顔面を打ちすえる。
(しまった!)
前衛の焦げた小鬼が、体勢を崩したジルを仕留めようと棍棒を構え、無防備な顔面に向けて追撃に走り出す。
(ジルがやられるっ!)
そう直感したシャラは、当初予定していた「弓持ちの小鬼を狙う」ための潜伏を解き、草むらから弾丸のように飛び出す。追撃しようとしていた前衛の小鬼の横っ腹へ、猛烈な勢いで突撃をしかける。
激突された小鬼は遠くの太い木まで吹き飛び、棍棒を手放して無様に地面に転がり落ちる。
シャラは、両手をついて立ち上がろうとする小鬼に対して、追撃となる『三度目の炎』を放って全身を包みこむ。三度も炎を浴びせられた激痛ゆえか、小鬼が大声を上げる。シャラはその隙を狙って喉元に飛びかかり、首を完全に食いちぎって仕留める。
ピクピクと痙攣するする小鬼の死体を捨ておき、急いで負傷したジルの状態を確認する。
(よかった、もう立ち上がっているわね。分厚い毛皮に阻まれて、矢のダメージは大したことなさそうね。申し訳ないわ。奇襲の効率なんて考えず、もっと早く加勢に入ってやればよかった)
シャラは自責の念にかられるが、戦況は二対二となる。残った小鬼の二体を処理すべく、シャラは鋭い視線を向ける。だが、残る二体の小鬼は、前衛が殺された瞬間に戦略的撤退を選んでいた。落下地点のクレーターに展開している大部隊のほうへと、全速力で逃げ出していた。
(あの大部隊に合流されたら、他の同胞たちの負担を増やすことになるわ!)
逃げる小鬼は、すでにシャラの空間発火の射程圏外に出てしまっている。
(逃がさないわよっ!)
ジルに視線を送り、ともに急いで後を追いかける。
落下地点のクレーター周辺では、二十体以上の小鬼どもと、ヴォルグひきいる同胞十二体がすさまじい戦闘を繰り広げている。たかが二体とはいえ、小鬼の増援として背後から邪魔をさせるわけにはいかない。
ジルとシャラは、なんとか大部隊に合流される直前の位置で小鬼の背後に追いつく。そして、無防備な背を向けて走る小鬼たちに後ろから牙を突き立て、確実に二体を仕留める。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
クレーター周辺に広がる大乱戦のただなか。残党を仕留め終えたシャラは、いまだ小鬼四体と交戦している二体の仲間のもとへ向かおうと周囲を見渡す。
(……っ!?)
だがその瞬間、全身の毛が逆立ち、生存本能が最大級の警鐘を鳴らす。森の底からわき上がるような『例の気配』が、急速に強くなっていることに気づく。あの怪異は、血の匂いか、力の残滓か、あるいは密集した生命の熱にひかれ、前触れもなく現れる。
(一か所に集まりすぎたのね。それにしても早すぎる。偶然近くにいたのかしら? とにかく一刻も早くこの場から遠くへ逃げる必要があるわ)
ジルとシャラは顔を見合わせ、すぐに逃げることを決める。他の同胞たちも、小鬼たちもこの気配に気づく。たがいに戦うことをやめ、クモの子を散らすようにいっせいに逃げ出す。
(急いで離れないと……!)
戦場の外周部にいたシャラたちは、いち早く逃げ出したはずだ。だが、シャラのすぐ後ろを走っていたはずのジルが、いつの間にか最後尾にまで遅れをとっている。
(ジルの足が遅い!? さっき受けた小鬼の矢に、毒でも塗ってあったのね……!)
走る足をゆるめ、ジルの背後につく。前方には、気配が届かない安全圏が見えている。あと一歩で安全な場所まで逃げ切れる――そう思ったときだ。
地面が、不自然に盛り上がる。今にも『アレ』が姿を現す予兆だ。
(まずいっ、ジルはまだ気づいていない……!)
まばたきをする間もなく、まわりは瞬時に『アレ』で覆われるだろう。今のジルの足では、あと一歩が間に合わない。シャラはとっさに、前を走るジルを全力で前方へ突き飛ばす。
(行けっ!)
自分と同じ巨体を全力で突き飛ばせば、強烈な反作用でシャラ自身は泥の中心部へと押し戻されてしまう。シャラはそれを計算に入れたうえで、突き飛ばすと同時に自分の足元へ視線を向ける。
残った力を解放し、『全力全開の火炎旋風』を発生させる。
足元から爆発的に巻き起こる炎の推力が、ジルを突き飛ばした反動を完全に相殺し、体を前に押し出す強力な推進力となる。
さらに、炎が巻き起こす上昇気流によって、シャラの体も浮き上がる。その眼下は、すでに『アレ』で塗りつぶされている。突き飛ばされたジルを見ると、ギリギリで『アレ』の範囲外へ逃れられたようだ。
(よし、私もこのまま着地すれば、影響範囲から逃げ切れる……!)
だが、底なしの黒は獲物を逃がさないと言わんばかりに、浮き上がったシャラに向けて泥の表面から素早く黒い触手を伸ばしてくる。空中でとっさに視線を向け、わずかに残った力をかき集めて迎撃の炎を放つ。
触手は炎に焼かれ、空中で破裂する。
(威力が、足りないっ――!)
力を使い果たした炎では、触手の物理的な勢いを殺しきれず、焼かれた『アレ』の残りカスが周囲に飛び散る。そう思ったときには、遅かった。飛び散ったわずかな『アレ』が、シャラの体に付着する。
(くっ……!)
直後、まだ侵食されていない安全な地面に勢いよく降り立つ。脅威から完全に逃れるべく、着地した瞬間にふたたび森の奥へと走り始める。泥の範囲から出たためか、触手はすでに追跡をやめていた。
(まずいことになったわ。いや、今はとにかく逃げるのが先決よ。この先のことは、この場を切り抜けてから考えるしかないわ)
体に付着した黒い『アレ』は、ただの汚れではない。今すぐ死に直結するわけではないが、確実に致命的な問題だ。
ふと、漆黒の『アレ』に次々と飲み込まれていった小鬼たちの姿が、シャラの脳裏をよぎる。それは自分の末路を暗示させる。確定した未来に対して抗うかのように、ただ無心で走り続けた。
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