第二節:野工創具【下】 ―― 時を測り、方を定める
手作りの日時計を確認する。樹皮に日の出と日の入りを正確に刻み込んでおいたおかげで、現在の時刻が正午より少し前であることがわかる。空を見上げると、分厚い木漏れ日の隙間から力強い光が差し込んでいる。どうやらこの異世界でも、太陽は東から昇り、南を通って西に沈むという天体の法則は変わらないらしい。
(もうすぐ正午か。予言のタイムリミットまで、あと少しだ……)
ちなみに、あの声が告げた予言の『一日』の基準として、昨日転移してきた直後に刻んでおいた日時計の位置は、正午を少し過ぎたあたりだ。日時計の針となる影は、そこまであと少しといったところまで迫っている。つまり、神の定めた『死のタイムリミット』の終了まで、あとわずかということだ。
(だが、本当にこのまま何事もなく終わるのか?)
昨日の戦闘でできた無数の足跡や荒らされた痕跡によって自分の痕跡は消えており、ほぼ見つからないと思っている。昨日から常に物音を警戒しているが、森は依然として静寂に包まれている。草木を踏み分けたり掻き分けたりする音、足音、獣の鳴き声、鳥の声。だが、特に何かが起こる予兆はない。
(やはりあの瞬間が予言の山場だったのではないだろうか。いや、油断はできないな)
さて、次はコンパス作りである。この森から脱出するにあたって方角を知ることは必須だが、地味にこれが一番悩んだ点だったりする。そもそも、自分は磁石などという都合のよいサバイバルアイテムを持っていない。頼みの綱であるスマホのコンパスアプリも、いずれ電池が切れればただの置物だ。そうなれば、最悪の場合はスマホ本体を破壊して、スピーカー部品などから中の小さな磁石を取り出すしかない。
だが、完全に盲点だったのがスマホケースである。自分が愛用している手帳型ケースの留め具、あのパタンとカチッと閉まる部分が磁石だという単純な事実に気づいたのは、つい今朝のことだった。
(まさか、こんな身近なところに磁石があるなんてな)
磁石さえ手に入れば、あとは磁化させるための『磁性体』を探すだけである。磁石そのものを使ってもよいのだが、その場合ケースを壊すことになる。愛着のあるものなので、なるべくなら壊したくない。
服のファスナーや、財布の金具の一つ一つにスマホケースの留め具を当ててみるが、まったく反応しない。家や自転車の鍵を取り出してみても、やはり磁石はくっつかない。材質が真鍮やアルミ合金なのだろう。だが、ふと留め具の磁石が動き、鍵を束ねているキーリングにピタリと吸い付く。
(先端が尖ったモノばかり探していたから、これは盲点だったな)
鍵の束についていた鉄製のキーリングをひねって取り外す。これを方位磁石の針の代わりにするのなら、本来は石などで叩きつけて真っ直ぐな針金状に伸ばすべきなのだが、貴重な金属パーツを無理な力で壊したくはない。そこで、リングの二重構造になっている『切れ端』の一つを、コンパスの針の先端と見立てることにする。スマホケースの留め具の小さな磁石を、その切れ端に向かって直線的に五十回ほど、一方向へ強く擦りつける。
(これで磁力は移ったはずだ)
あとは、この磁化させたリングを水に浮かべるか、紐に吊るすかすれば方位がわかるはずだ。だが、木の皮で作った手製の紐は太すぎるし、ねじって編んだ力が強すぎて、方位磁石の繊細な回転を支える支点には不向きだろう。極限まで細く、かつねじれの一切ない糸が必要だ。木の繊維やツタの繊維をいくら細く裂いても、どうしても太さのムラや反発力が出てしまう。
少し考えたあと、自分の頭から髪の毛を一本引き抜いた。
(これならどうだ)
これなら人工的なねじれも太さのムラも皆無であり、金属の小さなリング一つを吊るす程度の強度は十分にある。抜いた髪の毛の片端をキーリングの切れ端近くにしっかりと結びつけ、そっと空中に吊るす。
(頼む、うまくいってくれよ……)
リングは風もないのにゆっくりと回転を始め、やがてピタリと静止する。その切れ端が指し示しているのは、昨日、日時計において太陽の動きから割り出して刻んだ方位である『北』と完全に一致していた。
「よし、これでスマホの電池が切れても方角を見失うことはない」
あとは、あの影が予言の時間を超えるのを待つだけである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
残った時間で、手製の槍に追加の武装を施し、予備の武器や防具、ちょっとした道具を最後に作り終えたうえで、すべての装備を点検する。やがて日時計の影は、昨日木の上に転移してきた時刻として印をつけた位置に、ついに到達する。
(ついに、この時が来たか)
ポケットからスマホを取り出し、時刻を確認する。画面に表示された日本時間は、午後八時(二十時)を回ったところである。どうやらこの世界でも、一日は地球と同じ二十四時間周期のようである。地球の基準から見ても、今の異世界の基準から見ても、自分がここに転移してから丸一日が経過したことを意味している。
(これであの予言は避けられたわけか。感謝すべきなんだろうな)
安堵と疲労が入り混じる息を細く吐き出す。あの不吉な予言を聞いていなければ、ここまで慎重にはならなかったという自信はある。いや、そもそもあの言葉は、本当に『予言』だったのだろうか。転移の瞬間に脳内に直接響いた、あの声が何と言っていたかを思い出す。
『神たる我が予言してやろう。お前は転移後、一日と経たず贄となり、その場で死ぬだろう』
あの時は突然のことで激しく動揺していたこともあり、まるで絶対の死の宣告のように聞こえた。だが、あの声はその難、何と続けていただろうか。
『運が悪ければ家畜として尊厳を破壊され、無惨に死ぬだろうな』
そう、『運が悪ければ』と言っていたのだ。そして結びの言葉は『だろうな』である。そんな不確実なものは、到底予言とは言えない。
(ただの推測というか、自身の勝手な妄想を語っているだけじゃないのか? あるいは、生き残るためのただの悪趣味な忠告だったのか)
とはいえ、ここでいくら考えても結論は出ない。今はこれからの行動のために、時間を合わせておくことが先決だ。先ほど、記録しておいた日の出と日の入りの影の中間点から、日時計の影が『正午』を指した時に確認したスマホの時刻は、日本時間で七時(十九時)であった。あれから日時計の影が進み、一時間が経っている。
(つまり、現在の現地時間は午後一時だな)
スマホの内部時計の設定を開き、時刻を現地時間に合わせる。日の出、日の入りのタイミングでもスマホの日本時間を確認していたが、太陽が出ている時間はぴったり十二時間。この世界の今の季節は、春分もしくは秋分に近いということになる。
(さて、と……)
思考を切り替え、視点を九メートル下の地面に向ける。森はいまだ、不気味なほどの静寂に支配されており、時折風が葉を揺らす音しか聞こえない。獣の鳴き声も、鳥のさえずりも一切聞こえない。昨日、ゴブリンと黒狼を飲み込んだあの『黒い泥』が、下で待ち構えている可能性はあるだろう。
(だが、上から見渡しても姿は見えないな)
アレが丸ごと残っているということは考えられない。待ち構えているとしても、一部の残骸などがへばりついているといった程度ではないだろうか。だからこそ、今リスクを取って降りるべきなのだ。
『黒い泥』の危険はあるものの、周りの生物が恐れをなして近づかない今の静寂な時間帯なら、警戒すべき対象を一つに絞り込める。他の小鬼や狼との想定外の乱戦を避けるには、今が最大のチャンスである。それが、昨日の夜に考え抜いて出した結論である。
(よし、行くぞ)
一つ大きく深呼吸をする。そうして、ついにこの大木から降りるための準備を始めるのであった。




