第二節:野工創具【上】 ―― 荒削りな素材と結網
水を飲み込んだ直後、喉仏が動いたことだけは外から指で触れてわかる。だが、胃に水が落ちていく感覚は一切ない。まるで自分の身体が自分のものではないようだ。内臓の感覚すら失われていることに、底知れぬ恐怖を覚える。
(さすがに、死後の世界とかではないんだよな……)
その不安から逃避するように、水分補給が終わったところで、まずは紐作りの作業に没頭することにする。先ほど剥いだ木の内皮を爪で縦に裂いて、細かい繊維の束を作る。作った繊維の束を二つに分けたうえで、それぞれを時計回りにねじって二本の紐を作り、今度はその二本を反時計回りにねじる。こうすれば、繊維が元に戻ろうとする復元力同士が互いを締め付け合い、強固な紐を作れるはずだ。
(よし、理論上はこれで丈夫なロープになるはずだ)
ただ実際にやってみると、反時計回りにねじる前に、時計回りにねじった紐がほどけてしまう。何度か試行錯誤した結果、「わずかに時計回りにねじっては、反時計回りに交差させる」という動作を数ミリ単位で繰り返せばよいことに気がつく。短くなったら新しい繊維を重ね合わせて、一緒にねじり込んでいく。最初のうちは手首を使っていたが、じきに指先のスナップだけで束をねじれるようになり、あっという間に紐が出来上がっていく。
さらに出来上がった二本の紐を同じ要領で一本にしていく。こうして、木の繊維で編んだロープが完成する。
「これでできることの幅が広がったかな」
日が徐々に落ちてきている。このロープを編む作業であれば手探りで夜中ずっと続けられるが、材料を集めるのは明るいうちでないと厳しいだろう。夜の間も作業するため、まわりの手が届く範囲のツタを集め、幹に切れ目を入れて木の内皮を剥ぎ取れるだけ剥ぎ取っておく。
「まぁ、今日は徹夜だな」
そうこうしているうちに日没である。太陽が完全に沈み切る前に、幹に刻んだ日時計の傷――明日への生存基準となる目印を再確認しておく。じきに世界の大半が闇に包まれる。わずかな月光も、この分厚い樹冠に阻まれ、ほとんど差し込んでこない。
(暗闇は不気味だけど、今はここでじっとしているしかないか)
あたりは完全な静寂に包まれている。落下の衝撃の影響か、あの狼と小鬼の戦争の影響か、それともあの『黒い泥』の影響か。虫の音すら一切せず、何か生き物がいる気配がまったくない。そうして暗闇のなか、ひたすら無数の紐とロープを作っていく。
作業に飽きたら二メートルの棒を石で削り、先端を鋭くする。手探りの指先の感覚だけで棒の先端を鋭くし、表面を削っていく。ある程度まで終わったらロープ編みを再開する。こうして、不気味なほど静かな夜が更けていく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ひたすら手探りで紐を編みつつ、明日の日中の計画を立てる。考えることは山ほどある。夜が明けたら何を作るか、地上に降りたらまず何をするべきか、昼間の脅威と遭遇したらどう対処するか。そして、本当にあの巨大な断崖を越える、あるいは迂回する方法はないのか。起こり得る可能性を頭でシミュレーションし、対策を検討する。
その間にも手探りで紐を縒り合わせ、出来上がった長い紐を体に巻きつけていく。
(あれこれ考えているけど、不思議と頭は冴えているな)
上空からの落下、化け物同士の戦争、そして『黒い泥』による消滅。異常な事態の連続で精神的にも肉体的にも疲労困憊のはずなのに、不思議なほどまったく『眠気』がやってこない。痛覚や味覚だけでなく、睡眠欲求のような生体リズムのフィードバックまで麻痺しているのだろうか。
(アドレナリンで覚醒している、きっとそうに違いない)
眠気に意識を邪魔されることもなく、ひたすら割り箸ほどの太さの紐を作り、黙々と単純作業を続ける。
やがて、月が頭上に来る。分厚い樹冠の隙間からわずかに青白い月光が差し込み、手元が多少見えるようになる。そのわずかな明かりを頼りに、暗闇の中で編み上げた紐の出来栄えを目視で確認し、両手で強く引っ張ってみる。かなり頑丈だ。内皮に含まれる強い粘り気が天然の樹脂のように繊維同士を密着させ、より強固な結合を生み出しているようだ。
「これなら、あれが作れるかもしれないな」
出来上がった二本の紐に内皮の粘液を付け足したうえで、さらにより合わせて太いロープを作る。それを二つに折り、逆方向にねじることで、より頑丈な一本の荒縄を仕立てる。二つ折りにしたことで先端にできた輪に紐を通し、引き締めてリングを作る。これを底面の土台にするのだ。
その直径十センチほどのリングに、『ひばり結び』でロープを十五本通す。これでリングからは、均等に三十本のロープが垂れ下がることになる。この三十本を「フェンスの網目」の要領で順繰りに交差させ、四センチほどの菱形を作りながら、立体的に編み上げていく。
(そう、バッグだ)
学校などでよく使われるグリーンネットを袋に整えたようなものが出来上がっていく。網目はそれよりもずっと粗いが、地上に降りた際にシダの大きな葉などを内側に敷き詰めれば、細かいものを入れても十分に実用できるはずだ。問題は強度だが、これから作るサバイバル道具や、採取した食料を入れて運ぶだけなら十分すぎる頑丈さがある。
だが、作業の途中で再び月が分厚い雲に隠れ、視界を奪う完全な闇が訪れる。この暗闇では、正確な目視を要するバッグの立体的な編み込みを進めることはできない。だが、少し編んでみてわかったことがある。
深さ三十から四十センチほどの使い勝手の良いバッグに仕上げるには、そもそもの紐の長さがまだまだ足りない。
(仕方ない、ここは焦らず地道な作業に戻ろう)
視覚に頼る作業を諦め、先ほどと同じように手探りの指先だけで新しい繊維を重ね合わせてねじり込んでいく。作りかけのバッグから伸びる紐を延長していく単純作業に戻る。それが終われば、また予備となる新しい紐を作る。
手元の材料が足りなくなれば、あらかじめ幹に入れておいた切れ目から内皮をベリベリと剥ぎ取る。
そんな泥臭い作業をひたすら繰り返して、どれだけの時間が経っただろうか。やがて、分厚い樹冠の隙間から冷たい白光が差し込み始め、静かに、だが確実に森の夜が明ける。




