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戦えない事務員の俺がダンジョンの報告書を整理してたら、古代文明の暗号で世界の秘密に辿り着いてしまった  作者: どみさん


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姉のメモ

 全階層の報告書を並べるのに、丸二日かかった。


 一階から十階まで。棚に詰まった束を順番に抜き、月ごとの出現数だけを紙に書き写していく。ダリオが昼に席を外す二十分で四階分。ハルトが所長室から出てこない午後の二時間で三階分。残りは退勤後だ。窓の外が暗くなっても、ランプの油が尽きるまで、ペンを走らせた。


 十階層、三ヶ月分。数字が紙の上を、隙間なく埋めていく。


 書き終えたとき、右手首が痺れた。だが痺れより先に、紙の上の並びが、目に飛び込んできた。


 波だ。


 一階のゴブリン出現数が増える週に、三階の数が減っていた。三階が減った翌週、五階が増える。五階が増えると七階が減り、七階が減ると九階が増える。奇数階だけを抜き出すと、モンスターの総数が、上から下へ、あるいは下から上へ、二週間かけて流れていく。


 偶数階も、同じだ。ただし奇数階とは、ちょうど半分ずれている。


「……潮の満ち引き、か」


 声が漏れた。自分で言ってから、掌が冷たくなる。ダンジョン全体が、一つの生き物みたいに、息をしている。


 指が机を叩いた。トン、トン、トン。


 レナの報告で掴んだ「階層間連動」を、全階層のデータで裏取りした形になった。根拠が一つから、三つに増えている。奇数階の波、偶数階の波、二つの波のずれ。三つとも独立した傾向で、三つとも同じ結論を指している。


 ダンジョンの各階は、孤立していない。繋がっている。



 姉さんのメモを、取り出した。


 何度も開いたせいで、折り目が白く毛羽立っていた。区画番号の羅列、上下の矢印、意味の分からなかった走り書き。


 その走り書きを、もう一度、読む。


「2週↔ / 奇↔偶 / 谷 = 3月17日」


 二週間周期。奇数偶数のずれ。そして――谷の日付。


 手が止まった。


 三月十七日。姉さんが事務所に来なくなったのは、その三日後だ。


 姉さんは、波に気づいただけじゃない。周期を割り出して、モンスター出現が最も少なくなる日を、予測していた。波の底。ダンジョンの呼吸が最も浅くなる、一日を。


 俺が二日かけてたどり着いた場所に、姉さんはとっくに立っていた。しかも、その先まで行っている。俺が報告書の山に埋もれて数字を拾い集めている間に、姉さんはもう、答えを出していた。


 メモの隅に、小さな丸印があった。谷の日付の、横。何かを確認した印だ。姉さんはこの予測を、実際に検証したのだろうか。それとも、この日に、七階南東へ向かったのか。


 メモの数字に指を当てた。姉さんの計算式を、自分のデータで追いかける。二週間周期。奇数階と偶数階で、波のずれが七日。この三つの条件を重ねると、全階層のモンスター出現が同時に底を打つ日が、割り出せる。


 計算を三回、繰り返した。


 三回とも、同じ答えが出た。


 次の谷は、明後日。五階が最も影響を受ける。


 姉さんの式と、俺の検算。一致した。


 ペンを置く指が震えた。メモを持つ手が揺れて、紙の端が机を擦る音が、やけに大きく聞こえた。


 姉さんは、俺よりもっと先まで、行っていた。



 翌朝、レナが事務所に来た。


「五階の件。何か分かったのか」


 扉の前に立ったまま、腕を組んでいる。前回と同じだ。座らない。値踏みの目で、こちらを見ている。


「明日、五階のモンスター出現が、最も少なくなります」


 レナの眉が動いた。


「確度は」


「根拠は、三つあります」


 レナの腕が、わずかに緩んだ。前回は根拠が一つしかなかった。その一つが、外れた。次は三つ出せ、と言われていた。


「一つ目。全階層のモンスター出現に、二週間周期の波があります。奇数階と偶数階で、ちょうど半分ずれてる」


「続けろ」


「二つ目。この波は階層間で連動してて、上で増えると下で減る。逆もです。三つ目。三つの波を重ねると、全階層が同時に底を打つ日が計算できます。それが、明日。五階が、最も減る」


 レナは黙っていた。目が据わっている。昨日の判断モードと同じ姿勢だ。


「それと」


「何だ」


「姉の計算を、俺が検算しました。合ってます」


「姉?」


「姉も、同じ波を追ってました。メモに予測値が残ってて、俺のデータと一致してます」


 レナが顎を引いた。古傷のある首筋が、一度だけ動く。


「明日の正午過ぎに入る。六時間の窓でいいんだな」


「はい。ただし、窓が閉じる前に出てください。波が戻り始めたら」


「分かってる」


 レナが背を向けた。扉に手をかけたところで、振り返らずに言った。


「三つ出したな」


 一拍、空いた。


「上出来だ」


 扉が閉まる。


 俺は椅子から立てないまま、扉の木目を見ていた。上出来、という二文字が、耳の奥で一度だけ跳ねた。



 翌日の夕方。


 レナが戻ってきたとき、ブーツに泥がついていた。だが血の匂いはない。短剣も、二本とも鞘に収まっている。


「合ってた」


 レナが報告書を、机に置いた。


「五階、通常の半分以下だ。周期の底を、踏んだ。上の階から流れてくる気配も、なかった」


 報告書を開いた。モンスター遭遇数、四件。通常の五階は、一回の潜入で十件を超える。


「……」


 指先で、数字の四を押さえた。インクの乾きが、まだ新しい。


「あんたの姉、すごい人だったんだな」


 レナの声が、低かった。扉の前に立ったまま、こちらを見ている。その目に、前回までと違うものが混じっていた。値踏みじゃない。もっと静かな何かだ。


「はい。すごい人、でした」


 声が小さくなる。語尾が、途中で消えた。


 姉さんの計算が正しかったことが嬉しいのか、姉さんがもういないことが苦しいのか。カップの縁を指で撫でる。湯はもう冷めていた。レナは、それ以上何も言わず、扉を閉めていった。



 翌朝、机で全階層の波のグラフを描いていた。


 奇数階と偶数階の線が、紙の上で交差している。次の谷がいつ来るか。その次は。データを延長すれば、一ヶ月先まで予測できる。報告書の束を脇に積み、姉さんのメモを傍らに置いて、ペンを走らせていた。


 影が、落ちた。


 ハルトだった。


 俺の机の上を、見下ろしている。一階から十階まで階層ごとに分けて並べた束。その上に重ねた、姉さんのメモ。


 ハルトの顔から、面倒くさそうな皺が、消えていた。


「お前に言ったはずだ」


「はい」


「過去の報告書には、手を出すな」


「……すみません。でも、この波のパターンは、」


「聞きたくない」


 声のトーンが、違う。面倒くさがりの所長が部下をたしなめる声じゃない。もっと低い。もっと硬い。事務室の空気が、詰まった。


 ダリオのペンが止まる。窓の外で鳥が鳴いた音が、やけに遠くに聞こえた。


「……なぜですか」


 ハルトは俺を見ていた。だが、俺を見ていない。俺の向こう側にある、別の誰かを見ていた。


「お前の姉も、そういう顔してたよ」


「え」


「何かに取り憑かれたみたいな顔だ。報告書を並べて、数字を追って、もっと奥にあるはずだって。そして、ある日、いなくなった」


 呼吸が、浅くなった。


 ハルトの目には、怒りがなかった。代わりにあったのは――言葉にできない。ただ、ハルトの手が、わずかに震えているのが見えた。拳を握って、すぐに開く。俺はその手から、目を、逸らせなかった。


「報告書は、期限通りに出せ。それが、お前の仕事だ」


 最後の一言だけが、いつもの声に戻っていた。面倒くさそうな、投げやりな声。だが、それは鎧だ。その下にあるものを、ハルトは見せなかった。


 ハルトが背を向けた。所長室のドアが閉まる音は、朝一番に聞いた時より、重かった。


 ダリオが俺を見ていた。口が開きかけて、また閉じる。ペンに視線を落とす。事務室に、紙の擦れる音だけが、戻った。


 俺は姉さんのメモを、畳まなかった。机の上に広げたまま、ハルトが消えたドアを、見ていた。



 その日の退勤後、七階南東の報告書を、集めた。


 少なかった。他の区画に比べて、報告の数が三分の一もない。七階の、南東。姉さんのメモの最後に走り書きされていた場所だ。〝7階、南東、ここに〟。途切れた走り書き。その先を、姉さんは書けなかった。


 冒険者が、避けている。理由は報告書には書かれていない。行った者の記録が極端に少ないという事実だけが、棚に残っている。数件の報告にも目を通した。特に危険という記述は、ない。ただ「通過した」「特筆すべきことなし」とだけ書かれていた。見るべきものがない、と言い聞かせるように。


 報告がない場所。データの、空白。


 三階の区画41を思い出した。報告がなかったからこそ、あの隠し部屋はあった。空白は偶然じゃない。空白に、意味がある。



 翌朝、レナが別件で事務所に顔を出した。俺は受付の脇で、呼び止めた。


「一つ、確かめてほしいことがあります」


「確度は」


 いつもの問いだ。だが、俺は答えられなかった。


「……分かりません」


 レナの眉が、動いた。


「七階南東だけ、報告が極端に少ないんです。三階の区画41と同じで、そこだけ空白になってる。そのうえで、姉がそこに行って、消えました」


「ほう」


「根拠は、今は一つしかありません。空白のデータに、姉の痕跡を重ねただけです。……ほとんど、感情です」


 口に出してから、気づいた。今、俺は自分で自分の足を踏んでいる。昨日「三つ出したな、上出来だ」と言われた口で、一つしか出していない依頼を、しようとしている。


 レナの目が据わった。声のトーンが、下がる。


「それは、〝たぶん〟より、タチが悪いな」


 拒絶されたと思った。


 だがレナは、腕を組んだまま、動かなかった。扉に背を向けない。こちらを、見ている。


「七階南東、か」


「……はい」


「報告が少ない理由は」


「分かりません」


 レナが息を、短く吐いた。鋭い吐き方だった。


「場所と、行く日を決めろ。谷の日に合わせる。それなら少なくとも、モンスターは減る」


「え」


「返事は」


「……はい」


 レナが背を向けた。足音が遠ざかる。扉のノブに手がかかる直前に、もう一度だけ、声が聞こえた。


「あんたの姉が行った場所なら、行く価値はあるかもしれない。数字の代わりに、それを根拠にしてやる」


 扉が、閉まった。


 俺は受付の壁に背をつけたまま、しばらく動けなかった。手のひらが、汗で濡れている。姉さんのメモが、胸ポケットの中で、体温を吸っていた。


 姉を、探す。最初からそのつもりだった。だが今は、少しだけ違う。姉さんが見つけたものを、俺も見たい。姉さんがたどり着いた場所に、俺も立ちたい。


 七階、南東。次の谷の日まで、あと九日。


 メモを畳み直す指が、折り目を一本、数え間違えた。畳み直した。また一本、増えた。胸ポケットの奥で、紙の厚みが、心臓より少し遅れて、震えていた。


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