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戦えない事務員の俺がダンジョンの報告書を整理してたら、古代文明の暗号で世界の秘密に辿り着いてしまった  作者: どみさん


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壊す者

 レナが事務所の扉を開けたとき、装備についた白い粉が床にこぼれた。


 「七階南東。行ってきた」


 腕を組まずに、まっすぐ机に歩いてくる。報告書ではなく、折り畳まれた紙を俺の前に置いた。


 「壁に文字があった。お前の言う通り。それと、これ」


 紙を広げた。炭で写し取られた文字の列が、粗い紙の上を埋めている。角ばった、見たことのある書体だ。三階の隠し部屋で見つけたものと同じ種類の古代文字。数字の部分だけが読める。残りは意味を成さない記号の羅列に見えた。


 指先が紙の上をなぞった。三階で見た文字と構造が似ている。ただし数字の並びが違う。三階が五つの数の組だったのに対し、こちらは八つの数が二段に並んでいた。規則性があるのか、ないのか。すぐには分からなかった。


 「やっぱり、人の手で刻まれてる」


 声が上ずっていた。自分で聞いて気づいた。写しを机に広げ直し、三階のメモと並べた。二つの壁文字が紙の上で隣り合う。


 「あの区画、なんで冒険者が避けてるか分かったよ」


 レナの声が低くなった。腕を組む。いつもの報告の構えだ。


 「壁からの圧迫感がすごい。モンスターじゃない。空間自体が人を拒んでる感じだ」


 「通路の幅は他と同じですよね」


 「同じだ。なのに奥に進むと胸が重くなる。斥候の勘だけど、あそこは本来、入れない場所だ」


 「それでも、奥まで行ったんですか」


 「壁文字は突き当たりにあった。圧迫感が一番強い場所だ。長居はできない。炭で写し取るのに三十分。それが限界だった」


 レナが古傷のある首筋を無意識に触った。俺は写しの紙を両手で持ったまま、姉さんの走り書きを頭の中で重ねていた。「7階、南東、ここに」。姉さんはこの文字を見に行ったのだ。あの圧迫感の中を、一人で。


 「姉さんは、これを見に行ったんだ」


 レナが何か言いかけて、口を閉じた。俺の声が小さくなっていたのだろう。自分でも分かった。



 レナが出ていった後、写しの文字を転記し始めた。数字の部分を一つずつ拾い、姉さんのメモの書式に合わせて並べていく。八つの数があり、上段が13、17、29、37で下段が7、23、31、41。どちらも素数だ。三階のときと同じ。だが組み合わせの規則がまだ見えない。


 事務所の扉が乱暴に開いた。


 長身の男が入ってきた。派手な色の上着に、革の手袋。常に口角が上がっている顔。事務所にいる人間とは空気がまるで違った。


 ダリオのペンが止まった。


 「あんた、確かフリーの」


 「トレジャーハンターのゼノ。八階で面白いもん見つけたから報告に来たよ。義理堅いでしょ?」


 ゼノと名乗った男は、受付のカウンターに肘をついて事務室を見回した。俺とダリオの二人しかいない部屋を、つまらなそうに眺めている。


 「八階の奥にさ、封鎖されたみたいな区画があったんだよね。壁に文字が刻まれててさ」


 手が止まった。写しの紙の上に置いたペンが、かすかに転がった。


 三階と七階の文字が頭の中で並ぶ。八階にも同じものがあるなら、欠けていた規則が見えるかもしれない。


 「文字、ですか」


 「ああ。読めなかったけどね。だから壊した」


 事務室が静まった。ダリオのペンが机に当たる音が聞こえた。


 「壊した、って」


 声が裏返りそうだった。


 「壁ぶち抜いて中に入ったんだよ。中に古い装置があってさ。まあ壁壊したら崩れちゃったけど」


 ゼノがポケットから石を取り出し、俺の机にことりと置いた。拳より少し小さい、灰色がかった石だ。表面に細い溝が走っている。


 「これ、中にあった石。なんか模様あるから値打ちもんだと思うんだよね。鑑定してくんない?」


 俺はゼノの顔を見ていた。軽い。あまりにも軽い。壁を壊したことを天気の話でもするように言っている。壁文字が、と口を開きかけた。声が出なかった。もう一度息を吸って、絞り出した。


 「壁の文字は、残ってますか」


 「え? ああ、壊れたよ。壁ごと崩したから。文字なんかより中身でしょ」


 血の気が引くのが分かった。首筋が冷たくなる。レナが持ち帰った七階の写しがまだ机の上にある。同じ種類の文字が八階にもあった。階層を超えて、壁に刻まれた文字が続いていたのだ。三階、七階、八階。少なくとも三つの階層にまたがる文字の連なり。その一つが、今、俺の目の前で失われた。



 ゼノが置いた石を手に取った。


 重い。装置の一部だったらしく、割れた断面から内側の構造が覗いている。表面の溝は装飾ではなかった。規則的に分岐し、合流する模様が石の表面を走っている。回路のようだ。


 「なに怖い顔してんの? 中身は手に入ったんだよ」


 ゼノが覗き込んでくる。悪意のない目だった。それが余計に堪えた。


 「中身じゃなくて、文字が大事だったんです」


 「文字? 読めないのに?」


 息が詰まった。ゼノの言葉が腹の底に刺さる。読めない。その通りだ。俺はまだあの文字を読めていない。数字の部分しか分からない。それでも。


 「読めないからこそ、残しておかないと」


 「なんで?」


 「解読できたかもしれない」


 ゼノが首を傾げた。少し興味を引いたらしく、口角の形が変わった。


 「ふーん。君、あの数字にも気づいてる口か」


 「数字?」


 「ダンジョンの数字がなんか変だなって、前から思ってたんだよね、俺。でも読むのは面倒だから、壊して中身見た方が早いと思って」


 ゼノは笑っていた。同じものを見ている。この男もダンジョンに仕込まれた異常に気づいている。だが読むことに興味がない。壊して、中身だけ奪って、先に進む。俺が報告書を一枚ずつ捲って数字を拾い集めている間に、この男は壁をぶち抜いて答えの半分を手に入れ、もう半分を瓦礫にした。


 石を握る手に力が入った。爪が掌に食い込んだ。


 「それは……」


 言葉が見つからなかった。怒りなのか焦りなのか、胸の中で形にならない塊が渦を巻いている。ゼノに悪意はない。読めない文字に価値があるとは思っていないだけだ。その当たり前が、一番きつかった。


 「まあいいや。次に面白いもん見つけたら教えてあげるよ。壊す前にさ」


 ゼノが扉に向かいかけて、足を止めた。何かを思い出したように、指を一本立てる。


 「そうだ。九階と十階にも似たような区画あるんだよね」


 「似たような、って」


 「壁がちょっと変。叩くと音が違う。来週あたり開けに行こうかなって」


 血の気が引いた。九階。十階。報告書はあるが、まだ壁文字の視点では見ていない。


 「待ってください。それは」


 「あと俺もさ、出現数がなんか偏ってるなって気づいてたんだよね。三階とか七階とか。何書いてあるかは知らんけど、匂いでなんとなく。勘ってやつ?」


 ゼノは笑っていた。勘。この男は勘で、俺が報告書を何十時間も捲って辿り着いた場所に立っている。


 「あ、石の鑑定よろしくね。結果出たら教えて。俺、だいたいギルドの酒場にいるから」


 手を振って出ていった。軽い足音が廊下を遠ざかり、消えた。壁文字を壊した男が、来週の予定と鑑定の催促だけ残して去っていく。



 事務室に俺一人が残った。ダリオはゼノが出ていくのと入れ違いに席を立ち、まだ戻ってこない。


 石を机に置いた。ランプの光が表面の溝を浮かび上がらせる。回路のような模様をじっと見た。


 どこかで見た。この分岐の形。この合流の角度。


 棚から三階の地図を引き出した。区画番号が振られたマス目の上に、石を並べて置く。模様と地図を交互に見比べた。


 溝の分岐が、通路の分岐と重なった。


 指が机を叩いた。トン。一度だけ。目が泳がなくなる。石の表面を指先でたどり、もう一度地図に目を落とした。


 似ている。完全な一致ではない。だが分岐の角度、合流の間隔、行き止まりの位置。三階の南西部分と、石の左半分の溝が対応している。偶然ではない。


 壁文字は壊されて消えた。だが装置の破片から、断片だけが残った。全てが消えたわけではない。


 石を握り直した。冷たい表面が掌の熱を吸っていく。指先に溝の凹凸を感じながら、目を閉じた。



 扉が開いた。レナだった。装備を解いた後らしく、軽装になっている。


 「さっきの派手な奴、何だった」


 「トレジャーハンターです。ダンジョンの壁を壊して、中の文字を全部消しました」


 レナの足が止まった。


 「それ、お前が読もうとしてたやつか」


 「はい。八階にも、七階と同じものが続いていた。でも壁ごと壊されて、もう読めません」


 「壊した? あいつが?」


 「読めないから壊して中に入ったと。悪気はなさそうでした」


 レナが舌打ちした。俺の机に歩み寄り、石を見て、写しの紙を見て、三階の地図を見る。一つずつ、目で追っている。


 「でも、破片から少しだけ分かったことがあります」


 「なんだ」


 「この石の模様が、ダンジョンの通路配置に対応してる。壁文字と装置とダンジョンの構造が、全部繋がってるかもしれない」


 レナは石を手に取った。重さを確かめるように、二、三度掌の上で転がす。地図と見比べて、小さく顎を引いた。


 「つまり、誰かが設計したってことか。この階層を」


 「壁に記号を刻んで、通路に合わせて装置を埋めた。自然にできた洞窟じゃない」


 レナが石を机に戻す音が、紙の上で小さく鳴った。


 「次は先に行く。壊される前に」


 レナの目が据わっていた。声のトーンが低い。判断モードだ。斥候がルートを決めたときの顔をしている。


 俺は顔を上げた。レナと目が合った。


 「階層は俺が調べます。どこに壁文字がありそうか、報告書から洗い出す。それを渡すから、先に行ってください」


 「分かった。早くしろよ。あの手の奴は、待っててくれない」


 レナが扉に手をかけた。聞くなら今だと思った。


 「レナさん。一つ聞いていいですか」


 レナが振り返らない。手だけが扉の取っ手にかかったまま止まっている。


 「なんで、そこまでダンジョンの情報を欲しがるんですか。ソロのCランクが、そこまでやる理由って」


 沈黙が長かった。レナの指が取っ手を握り直す音が聞こえた。


 「……自分の足で帰ってくるためだよ。それだけだ」


 扉が閉まった。


 石をポケットに入れた。冷たい重みが太腿に触れる。レナの写しと、姉さんのメモと、装置の破片。三つの手がかりが胸と掌の中にある。


 九階。十階。ゼノが「来週あたり」と言った。五日か、七日か。喉の奥が乾いて、唾を飲んでも戻らない。こめかみの脈が椅子の背もたれに響くくらい速い。ペン先を紙に置いて、息を一つ吐いた。吐ききれない息が胸の底に残っている。


 間に合わせる。間に合わせなければ、もう一階ぶん消える。


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