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戦えない事務員の俺がダンジョンの報告書を整理してたら、古代文明の暗号で世界の秘密に辿り着いてしまった  作者: どみさん


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3/10

数字の人、現場の人

 朝一番に、レナが来た。


 昨日の「明日、七階に入る」を、そのまま実行しに来たのだ、と俺は椅子から立つ前に悟った。挨拶はない。座りもしない。扉の枠に肩を預けて、短剣が二本、昨日と同じ位置で腰にぶら下がっている。革紐の擦れた跡が、昨日より深くなっていた。


「七階の件だ。いつ行く」


「あの、その前に一つ伝えたいことが」


 レナの眉が動いた。


「モンスターの出現に、周期性があるかもしれません」


 言葉を、できるだけ整えて並べる。


「三階と七階の三週分を見ると、正午から六時間だけ、出現数が落ちてます。その時間帯に入れば、遭遇率を半分以下にできるかもしれません」


「確度は」


 昨日と同じ問いだった。数字だけを、待っている。


「……三階と七階の両方で、同じ波が出てます。だから、七十パーセントくらい、です」


 口に出した瞬間、自分の声の頼りなさが喉の奥で跳ね返った。七十パーセント。七割当たって、三割外す。


 レナの目が据わった。声のトーンが、半音下がる。


「三十パーセントで死ぬかもしれない、ってことだな」


 返す言葉が、出なかった。三割は外れる。モンスターが減らない時間帯に入ったら、ソロのCランクが七階で囲まれる。それがどういう意味か、ダンジョンに入ったことのない俺にも、分かる。


 レナが扉の枠から背を離した。


「いい。行ってくる」


「え」


「正午過ぎに入る。六時間の窓があるんだろう。区画30を確認して、日没前に戻る」


「待ってください、根拠が、まだ一つしか」


「知ってる」


 レナはもう、背を向けていた。扉のノブに手がかかる。閉まる寸前、振り返りもせずに、声だけが飛んできた。


「七階に行く理由は、他にもある。あんたの数字だけで動いてるわけじゃない」


 扉が閉まった。


 七十パーセントを絞り出したのに、判断材料の一つでしかなかった。ペンを持つ手に、自然と力が入った。握り込んだ指の関節が、木の柄より硬く鳴った。


 数字しか出せない人間の数字が、現場では材料の一つにすぎない。分かっている。分かっているが、腹の底が、重い。



 正午を過ぎた。


 レナが事務所を出てから、二時間が経っていた。報告書を整理しようとしたが、同じ行を三回読んでも、頭に入らない。ペン先が紙の上で止まったまま、インクの染みだけが、丸く広がっていく。


 時計を見た。針が動いていない。目を凝らすと、秒針だけがぎこちなく進んでいた。


「新人」


 ダリオの声だった。


「お前、あの冒険者に何か言ったのか。一人で潜って行ったぞ」


「……安全な時間帯があるかもしれないと」


「〝かもしれない〟で、人を送り込むのか」


 ダリオが報告書を、俺の机の角に置いた。自分の席には戻らない。目は俺を見ていない。窓の外を見ている。


「お前の姉さんと、同じだな」


 ペンが指から滑り落ちそうになった。


「あいつも、自分の数字を信じすぎた。三階の出現パターンを並べて、〝ここに空白がある、絶対に何かある〟って。周りが止めても、聞かなかった」


 ダリオのペンは止まっていた。窓枠の影が、ダリオの横顔を縦に切っている。


「報告書を夜中まで捲って、朝になっても同じ机に座ってた。俺が〝帰れ〟って言っても、〝あと一列だけ〟って。目の下に隈を作って、それでも、ペンだけは止まらなかった」


 喉の奥がつかえた。姉さんのメモを見つけた瞬間と、同じ詰まり方だ。息を吸おうとして、吸えない。


「余計なことばかりして、な」


 ダリオの声は低かった。怒り、じゃない。もっと古い、埃のかぶった感情が、言葉の底に沈んでいた。


 自分の席に戻り、ペンを走らせ始める。だが紙の上のインクは、書くというよりも、引っ掻くような音を立てていた。


 姉さんも、こうやって誰かを送り出したのだろうか。自分の数字を渡して、この机で、帰りを待ったのだろうか。


 湯を沸かしに行ったダリオが、カップを二つ出した。一つが、俺の机に置かれる。湯気の匂いが鼻先をかすめた。


「……ありがとうございます」


 ダリオは返事をしなかった。カップを自分の机に運んで、椅子に腰を落としただけだった。


 窓の外で、冒険者の一団がダンジョンから出てきた。レナじゃない。それだけ確認して、視線を机に戻した。


 ダリオの言葉が、頭の中で回っていた。〝あと一列だけ〟。姉さんの口癖だった。家でもそうだった。夕飯に呼んでも「あと一列」、寝ろと言っても「あと一列」。俺が子供の頃、姉さんの部屋の扉の前で、その声を何度聞いたか。


 五時半。湯が、すっかり冷めていた。手に取ると、指先の震えで、水面が揺れた。



 扉が開いたのは、五時四十分だった。


 レナだった。


 装備に損傷はない。短剣も、二本とも腰にある。血の匂いもしない。怪我はない――と分かるまでに、三秒かかった。その三秒の間、息ができなかった。


 だがレナの表情は、怒りでも失望でもなかった。もっと静かな、乾いた何かだった。汗の筋が、首筋の古傷の上で、光っている。


「ハズレだ」


 レナが、報告書を机に置いた。


「時間帯は、お前の言う通りだった。正午過ぎから四時間、スケルトンの出現は少なかった。だが、減り方が、変だった」


 レナが腕を組んだ。


「五階で大規模パーティが掃討戦をやってた。その影響で、モンスターの湧きが一時的に減ってただけだ。五時過ぎて上の戦闘音が遠のいた途端、七階の数も戻り始めた」


「……」


「周期なんかじゃない。上の階層の掃討に、引っ張られてた」


 指先が、冷えた。


 七十パーセント。当たると思った根拠が、全く別の原因で説明できてしまった。俺が見ていたのは周期じゃない。別のパーティの、行動の影響だ。


「すみません」


 声が出ていたかどうか、自分でも分からなかった。


「俺の数字が、間違ってた。もし掃討戦がもっと早く終わってたら、レナさんは、増えたモンスターの中で」


「謝るな」


 レナの声が、事務室の空気を切った。


 顔を上げた。


 レナの目が、真っ直ぐにこちらを向いている。怒っては、いなかった。


「私は、自分の判断で入った。そして、自分の判断で帰ってきた。お前のせいじゃない」


 呼吸が、戻った。喉の奥でつかえていた何かが、音もなく溶けた。


 レナの声は低いままだった。だが硬さが一つ、抜けていた。扉の前に立ったまま、腕を組んだまま、背は向けない。


「ただし、次は根拠を三つ出せ。一つだけのパターンで、私を送り込むな」


「……はい」


 レナが頷いた。報告書を指で、一度だけ叩く。


「区画30には、行った。南東の壁に空洞音がある。三階と同じだ。中身の確認は、次でいい」


 それだけ言って、背を向けた。扉が閉まる。足音が、遠ざかる。


 ダリオが何か言った気がしたが、耳に入らなかった。俺はもう、レナが置いた報告書を、開いていた。



 レナの報告書は、簡潔だった。


 七階・区画30、南東壁に空洞を確認。突入は行わず。五階の大規模掃討終了後、モンスター出現数が急増したため撤退。撤退判断、一七時一〇分。


 指が止まった。


 一七時一〇分。俺が冷めた湯を手に取った頃だ。モンスターが増え始めた直後に、レナは戻る判断をしている。迷った形跡が、ない。深入りせず、情報だけ持ち帰った。


「……撤退の達人、だな」


 口から漏れた。ダリオがこちらを見ないまま、鼻で小さく笑った気配がした。


 失敗の分析に戻る。


 俺の仮説が外れた原因。六時間周期だと思った出現パターンの減少が、実際には五階の掃討戦の影響だった。


 指が、止まった。


 五階の掃討が、七階のモンスター出現に影響している。


 別の階層で起きたことが、離れた階層に波及している。


 階層間でデータが連動している。


 それは、俺がこれまで見ていた「各階層ごとの固定パターン」とは、全く違う話だ。三階は三階、七階は七階だと思っていた。だが実際には、ダンジョンは階層をまたいで、繋がっている。


 姉さんのメモを引っ張り出した。パターンが見えなかった数字の羅列を、もう一度見る。三階と七階の区画番号を、別々に見ていたから読めなかったのかもしれない。階層を跨いだ全体のデータとして並べ直せば。


 メモの余白に、姉さんが小さく書いた記号があった。今まで意味が分からなかったものだ。矢印が上下に走り、数字と数字を繋いでいる。三階の区画番号と、七階の区画番号を。


 紙を握る指の力が、入り過ぎていた。折り目がまた一本、増える。


 姉さんは、気づいていた。一つの階層じゃない。ダンジョン全体を横断して、データを見ようとしていた。


 棚を見た。報告書の束が、階層ごとに分かれて並んでいる。一階から十階まで。俺はこれまで、三階と七階しか見ていない。残りの八つの階層が、手つかずのまま、棚の中で眠っている。


 全部の階層を、同時に見る必要がある。


 指が机を叩いた。トン、トン。


 ダリオのペンの音が、遠くに聞こえた。外れた仮説の残骸から、もっと大きな形が浮かびかけている。レナの報告書と姉さんのメモを並べると、見えなかった線が一本、階層の壁を貫いて走っていた。


 手を伸ばす先が、一階の棚になるのか、十階の棚になるのか、まだ分からない。分からないまま、椅子から腰が浮いた。


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