動き出す
雪のない地面に、三人分の足音が落ちた。
足の裏で踏む音は、湿った土と踏み固められた地面の音だった。雪の音はもう、街路のどこにもない。
ダリオが先頭、俺が続き、レナが最後尾だった。三人の歩幅は、ばらばらだった。
空の縁が白く、街灯は消えている。朝の光は、街路の壁に、低い角度で当たっていた。空気は冷たいが、雪のときほどではない。
街路の遠くから、人の声は聞こえなかった。鐘楼の予兆音も、まだ立っていない。
* * *
俺は街路の壁際で足を止めた。
ダリオが半歩、振り返る形で位置を変える。レナが街路の角の方を、一度だけ確認した。
俺は胸の内ポケットに手を入れ、戸口の紙を取り出した。
紙の縁の触感が、昨夜と違っていた。湿気が、片側だけ乾いている。指の腹に当たる紙の繊維の感じが、夜のうちに変わっていた。
* * *
もう一度、ポケットに手を入れる。写しの紙を三枚、取り出した。
戸口の紙の上に、家の中の素数を写した一枚を重ねた。数字の位置は合わない。
次に事務所の頁数を写した一枚を載せる。位置は合わなかった。
最後に街路の時刻を写した一枚を、その上に重ねた。
紙の中ほどで、数字の位置だけが、戸口の紙の数字の位置と、揃った。
朝の光が、街路の壁の角度で、重ねた紙の表面に当たる。
光の角度で、薄い文字の輪郭が、紙の上に立ち上がった。輪郭は薄く、見える角度を逃すと、また紙の白さに沈んだように見えた。
俺は紙の角度を、指で少しだけ変えた。輪郭が、もう一度、同じ形で浮かぶ。
* * *
文字は短い。ペンの圧は一定だった。止まりが少ない。
ペンの腹が紙の繊維に長く触れた跡もない。書き終わりの位置は、紙の縁から指一本分、内側に収まっていた。
筆運びの傾きは、姉さんの手のものではなかった。
ハルトの紙の癖でもない。
別の手の癖だった。
俺の指が、紙の上を一度だけなぞる。指の腹に、薄く乾いた紙の繊維が当たる。
紙の中で、文字は、ある方角を指していた。
* * *
俺は紙を胸の内ポケットに戻した。
ダリオが、街路の地面を一度、目で追った。
雪解けで濡れた地面に、浅い擦れがあった。木の箱の角が、濡れた土の上を引いた跡。角の幅は、押収のときにガンスが机の縁に置いた箱の側面と、同じ幅だった。
土の中に、押し出された筋が、片側だけに残っている。重い物が、片側に偏って運ばれた形に見えた。
擦れは断続的に、街の縁の方角に向かって続いていた。
* * *
擦れの脇に、足跡が二人分。
片方の足跡は深く沈み、もう片方は浅い。二人分の体重の差ではなかった。片方の足の重みに、別の重さが乗っていた。荷物を腕で抱え直したときの、重みの偏り。
戸口前の地面には、雪を払わなかった靴跡が残っていた。靴の縁の雪解け跡が、朝の光で乾きかけている。靴の底の刻みが、一段、地面に押し込まれた形のまま残っていた。
レナが、街の縁の方角に視線を上げた。視線は街路の先まで一度延びて、それから角の手前で止まった。
* * *
俺は街路の別の角に視線を移した。
壁の低い位置に、靴の踵で残した記号が一つ。壁の高さは膝より少し下、踵の角度は浅い。傷の長さは指二本分だった。
これまで街路で見つけたものと、同じ形をしていた。
踵の角度から、左足で残した形のようだった。これまでの三つも、左足の角度だった。
印は、雪解け跡の脇に、新しく残っていた。いつ残されたかは、地面の上では確かめられない。
* * *
俺は胸の内ポケットの上に、もう一度、手を当てた。
戸口の紙の縁が、布越しに指の腹に当たる。重なった紙の厚みが、その奥で動かずに残っていた。
足が、街路の縁の方角に向かって、一歩、出た。
ダリオは声をかけなかった。
レナの歩幅が変わる。俺の後ろの位置に動いた。
ダリオがレナのさらに後ろに動いた。だが、声は、まだ出さなかった。
* * *
街の縁の方角に、建物の影が、低く立っていた。
影の縁は、第三系統の徽章の形ではなかった。別の何か。
木の箱の擦れ跡と、二人分の足跡が、同じ方角に続いている。
ゼノの印の位置と、紙の上の数字の指す方角も、同じだった。
俺の足が、もう一歩、進む。
ダリオとレナが続く。
朝の光が、三人の影を、地面の濡れた跡の上に落とした。
三つの影の長さは、同じではなかった。
俺の影だけが、街の縁の方角に、一歩分、先に伸びていた。




