外側の影
十時の鐘の打音が、遠くで終わった。
ガンスが押収用の木の箱を、机の縁から机の上に寄せた。木の箱の角が、机の表面の傷をひとつ越える。
ガンスの手が、俺の机の引き出しから書きかけの白紙を取り出す。続けてペンを取り出す。ペンの先端のインクは、まだ乾ききっていない。
木の箱の中で、紙が一枚と、ペンが一本、重なる音がした。
引き出しの中は、もう何も残らない。底板の傷だけが、ガンスの指の影で見える。
* * *
ヴァロが紙の束をめくる音が、机の上で立った。視線を上げる。
「お前の机の中身は、これで全部か」
短く、それだけ。
俺は答えなかった。ダリオも答えなかった。
* * *
戸の前で、音が立った。
一人分の足音、軽い。
戸が二回叩かれた。叩きの間隔が、レナのものだった。
ガンスが押収の手を一拍止めた。ヴァロの視線が、戸の方へ移る。
ダリオが立ち上がった。戸を開ける。
レナが立っていた。
* * *
レナの外套の縁に、新しい雪が薄くついていた。街路を長く歩いた印だ。
レナが事務所に入る。外套を脱がない。扉のそばに立った。
レナの視線が、ガンスの押収用木の箱に一瞬止まる。
「掲示板の追加、確認してきた」
短く、それだけ。
* * *
レナが外套の内側から、紙を一枚出した。
紙の縁に、新しい折り跡がある。
紙の上に、鉛筆書きの簡略図が並んでいた。街路の角を、線だけで写した図だ。
街路標の根元に、最初の二本が近く、三本目だけが少し離れた三本線。
その隣に、別の文様。
五角形。縦線は、縁ではなく中央寄りに一本。
* * *
レナがダリオの机の脇に紙を置いた。ヴァロとガンスからは、紙の上の図が見えにくい位置。
レナの指が、徽章の図を一度撫でた。
「角に、紙の人。徽章の形が、違う」
短く、それだけ。
レナはそこで一拍置いた。
「紙は置いていない。立ってただけ」
俺は答えなかった。
* * *
俺は自分の机の前から、窓の方へ視線を動かした。
窓のガラスは、内側から曇り始めていた。掌で一度拭く。白くぼやけた街路が、少しだけ輪郭を戻す。
街路の遠く、二つ目の角の手前に、一人立っていた。
黒い外套、縁が長い。腰のあたりまで届く丈の、街の冒険者の外套でも、管理局の制服の外套でもない裁ち方だった。
顔は見えない。外套の縁から先は、雪の白に紛れている。腕の位置だけが、外套の前で重なっている。
* * *
その人物は動かなかった。
事務所の方を向いたまま、それ以上は読めない。
数拍、止まったまま。
外套の縁が、雪の上で半歩動いた。角の向こうへ消える。
後ろを振り向かない。足音は、ガラス越しに聞こえなかった。雪の上に新しい線が一本だけ残ったのが、ガラス越しに薄く見える。
* * *
俺の視線が、事務所の戸口の方に戻った。
戸口の外、雪の上に、靴跡が一つあった。
レナが入る前からあったか、ヴァロとガンスより前か、それは判らない。
大きさは、ヴァロでもガンスでもない。軽い、踵の浅い踏み方。
一歩分だけ残って、その先はなかった。
* * *
ガンスが押収用木の箱の蓋を閉めた。蓋の縁の金具が、低く一度鳴る。
木の箱の角が、机の縁から離れて、ガンスの手の方へ寄る。
ガンスが箱を持ち上げる動作に入った。
ヴァロが紙の束を脇に挟んだ。紙の上で、四日前・三日前・昨日の三行が、たたまれて見えなくなる。
二人がカイの机を離れる、その前の一拍。
戸口の外の靴跡は、まだそこにあった。雪の上の踏み込みは、新しい雪に消されていない位置だった。
街路の遠くの角に、もう人影はない。雪の上の薄い線だけが、しばらくそこに残っている。




