監査の再来
雪は止んだままだった。街路の雪は、夜のうちに完全に固まっている。
空の縁が白い。街灯は全て消え、朝の薄明だけが、事務所の窓に届く。
ダリオの机の側面の、小さな時計の針が、午前十時の二目盛り前を指していた。
俺は自分の机の前に立った。椅子には座らない。
机の上のインク壺とペンの位置を、いつも通りの場所に整えた。
* * *
ダリオの机には、三系統の紙が並んだままだった。家の中の数字、事務所の机の上の数字、街路の時刻の数字。昨日の朝に並べた位置のまま、動いていない。
過去の通達の束も、ダリオの机に重なっている。
所長室の鍵は、俺の机の上に置かれたまま、動いていない。
ダリオは机の前に座った。ペンを手に取る。書類には触らない。
扉のそばの位置は、空いていた。
レナは、朝のうちに事務所を出た。どこへ行ったかは、俺もダリオも口に出さなかった。
* * *
時計の針が、午前十時の一目盛り前を指した。
街の鐘楼の方から、十時の予兆音が、遠くで一度立った。
俺は胸の内ポケットの紙を、布越しに押さえた。外側からの返信の紙の角が、布越しに指の腹に当たる。
* * *
戸の前で、足音が二つ、立った。
一つは大きく、もう一つは小さい。重さが違う、二人分。
戸が叩かれた。二回。
ダリオが立ち上がった。戸を開ける。
* * *
戸口に、男が二人立っていた。
一人は背の高い男、もう一人は背の低い男。
どちらも、以前来た年配の名でも、小柄な名でもなかった。
高い方の外套は黒、低い方の外套は紺。両方とも、雪の上を歩いた跡が外套の裾に残っている。
徽章は管理局のもの。だが、高い方の徽章には、二本目の縦線が追加されていた。階級の違いが、一目盛り上にある。
二人とも、戸口の前で雪を払う動作をしなかった。靴の縁の雪を、事務所の床に持ち込んだまま、立っていた。
* * *
二人が事務室に入った。
高い方が手にしているのは、紙の束。
低い方が手にしているのは、印の入った木の箱。木の箱は、押収用の容器に近い形をしていた。
「どうぞ」
ダリオが、それだけ言った。
二人は俺の方を見て、ダリオの方を見て、二人を交互に見た。
高い方が口を開いた。
「監査局、ヴァロ」
高い方が、自分の胸の徽章に親指の腹を一度だけ触れた。
「隣はガンス」
ダリオの肩が、机の前で一拍だけ低くなった。通達に書かれていた名を、地の上で見ている顔だった。
「ダンジョン管理事務所事務員、カイ」
ヴァロが、こちらに向き直って言った。短く、それだけ。
* * *
ヴァロが紙の束から一枚を出した。机の上に置く。
紙には、ペン書きの行が並んでいた。日付と、短い記録。
ヴァロ「四日前の夕方、お前は所長室の鍵を、自分の机の上に受け取った」
短く、それだけ。
俺は答えなかった。ダリオも答えなかった。
ヴァロは、紙の二行目を指した。
「三日前、お前は管理局本部地下に行った」
俺は答えなかった。
ヴァロは、紙の三行目を指した。
「昨日、お前は街の東の通りに行った」
ヴァロが紙の束を一枚めくる音が、机の上で立った。次の頁に、また日付の行が見える。
* * *
ガンスが初めて口を開いた。
「お前の机の中身を、見せろ」
俺は引き出しに手をかけなかった。ただ、机の前に立っていた。
ガンスが机に近づく。靴の縁の雪が、机の脚の下に薄く落ちた。
引き出しに手をかける。木の引き出しが、低く軋む。
引き出しが開く。
中はほぼ空だった。書きかけの白紙が一枚、ペンが一本。それだけだった。
ガンスの手が、引き出しの底で止まった。指の先で底板を一度、叩く。底板に、隠しの段の感触はない。
「ここに、何があったか」
俺は答えなかった。
* * *
ヴァロの視線が、ダリオの机の方へ動いた。
三系統の紙の並ぶ机。
ヴァロの視線は、紙の上の数字には触れなかった。視線だけが上を通り過ぎ、もう一度、俺に戻った。
ヴァロ「お前の姉の机は、どこに移したのか」
短く、それだけ。
俺は答えなかった。
ダリオも答えなかった。
* * *
街の鐘楼から、十時の鐘が鳴った。
一つ目の打音。
二つ目、三つ目の打音が、遠くから事務所の中に重なってくる。
ガンスが、手にしていた印の入った木の箱を、俺の机の縁に置いた。木の箱の角が、机の縁から半寸出る位置で止まる。木と木が触れる、短い音。
ヴァロの質問は、宙に置かれたままだった。
俺の机の引き出しは開いたまま、空のままだった。
ダリオの机の三系統の紙は、触られていない。まだそこにある。
扉のそばの、レナがいた位置は、まだ空いていた。
ダリオの机の側面の、小さな時計の長針が、十時の目盛りを通過した。先に進む音は、しない。だが、針は戻らない位置に動いていた。




