朝の事務所
雪は止んだままだった。
俺たちは自宅の戸を、三人で閉めた。ダリオが先に外に出て、俺が続き、レナが最後に出た。
雪は固まり始めていた。足の裏で踏むと、小さな音がする。街灯は全て消えていた。空の縁が白い。
街路に、他の人影はなかった。
事務所の方向へ歩いた。先頭は俺、ダリオが中ほど、レナが最後尾だった。レナは少し距離を空けてついてくる。昨夜と同じ、振り返ってもすぐには触れられない位置だった。
* * *
事務所の戸の前で、立ち止まった。
戸の鍵は、ダリオが昨夜閉めたままだった。鍵を持っているのはダリオだ。
ダリオが上着の内ポケットから鍵を出した。戸を開ける。建付けは湿気で重い。鍵が一度噛む音が、低く立った。
戸が開くと、雪の冷気が中に流れ込んだ。
室内は暗かった。ランプは昨夜消されたまま、残り油の匂いだけが薄く残っている。
ダリオが事務室のランプを点けた。火が小さく立ち上がる。油は減りかけていた。
* * *
三人が中に入った。
ダリオが自分の机の前に座った。椅子が小さく鳴った。
俺は自分の机の前に立った。椅子には座らない。
レナが扉のそばに立った。外套は脱がない。いつでも外に出られる位置だった。
所長室の鍵は、俺の机の上に置かれたままだった。ハルトが置いた位置から、動いていない。
* * *
ダリオが机の一番下の引き出しを開けた。
引き出しの底に、紙の束が一つあった。
紙は薄かった。束は俺の掌より少し大きい。
ダリオが束を出して、机の上に置いた。
「俺の引き出しに、ずっと入っていた」
短く、それだけだった。
俺は机の前に立ったまま、束を見た。
* * *
紙の表面に、姉さんの手で書かれた数字と短い記号が並んでいた。
ペンの跡は、姉さんのいつもの癖だ。机の上のメモと、同じ書き方。
だが、並んでいる数字が違う。
報告書の頁数。次の頁にBランク以上の組数。さらに次の頁に、月ごとの処理件数が並んでいた。
家の中でしか使わない数字じゃない。事務所の机の上にある数字で、姉さんは別の並びを作っていた。
俺は束を一枚めくった。
並びのどこかに、入口だけが見えた。
全部を解く時間は、今はない。
* * *
俺は胸の内ポケットから、外側からの返信の紙を取り出した。
折り畳んだまま、束の脇に置く。
紙の縁の文字と、姉さんのメモのペンの跡を、並べて見た。
止まる位置と、払いの細さが近い。だが、圧の抜け方が違う。
同じ手だと決めるには、違う癖が混じっていた。
* * *
レナが扉から外を見た。雪の固まり方を確認したらしい。
「掲示板、見てくる」
短く、それだけ。
レナが事務所を出た。戸を閉める。閉まる音は、来た時より低かった。雪が積もって緩衝している。
ダリオはまだ机の前に座っている。ペンを取った。ペン先の状態を指で確認する。
俺は束の隣の白紙を一枚取った。姉さんの数字の系統を、書き写し始めた。
* * *
数分が経った。ダリオの机の側面の、小さな時計の針が、二目盛り進んだ。
戸が開いた。レナが戻った。
外套の縁に、新しい雪が薄くついていた。
レナは扉の内側で立ち止まった。外套を脱がない。
「明日、査察」
短く、それだけ。
レナはそこで一拍置いた。
「貼られたばかりだった。糊が湿ってた」
* * *
レナが手で書き写してきた紙を、ダリオの机に置いた。
通達は、ハイフン版書式だった。以前見た朝の通知書と、同じ系統だ。
監査員の名が二つ書かれていた。
以前来た、年配の監査員の名でも、小柄な監査員の名でもなかった。
ダリオの手のペンが、二つの名前の上で止まった。
「知ってる名だ。だが、こいつらが査察に出るのは、初めてだ」
短く、それだけ。
査察の時刻は、明日の午前十時。
査察の対象は、俺の机。
査察の理由は、書かれていなかった。
* * *
俺の手のペンが、白紙の上で止まった。
姉さんの派生メモは、まだ全部読めていない。報告書の頁数の並びの一部に、入口だけが見える。だが、その先まで届くには、机の前にもう半日は要る。
明日の十時までに、俺の机が押さえられる。
机の上の所長室の鍵は、ハルトが置いた位置のまま、動いていなかった。鍵の縁の小さな擦り傷が、ランプの光で薄く見える。
ダリオが、机の前で背筋を伸ばした。ペンの先が、新しいインクの瓶の縁に近づいた。
レナは扉のそばで動かない。外套の縁の新しい雪は、もう溶けかけている。
三人とも、何も言わなかった。
ダリオの机の側面の、小さな時計の針が、また一目盛り進んだ。明日の十時までの目盛りが、その分だけ短くなった。




