先に
ハルトは、まだ来ていなかった。
ダリオが先に出勤して、自分の机で書類を捌いている。俺の机は昨日のまま空で、ペンとインク壺だけが朝の光に置かれている。
ダリオは何も言わない。俺も何も言わずに座る。木目を指で叩く。トン、トン。家の中に居場所がない指先の癖だ。
窓の外で、雪が降り始めていた。
昼前、受付の伝言板を見に行った。
冒険者の依頼書が四、五枚並んでいる。その下に、見覚えのある略号で書かれた紙が一枚混じっている。レナの字だった。
「櫓、すぐ」
外套を取って事務所を出る。ダリオは俺の方を見なかった。
物見櫓の踊り場に、二人いた。
レナが先着。その奥にゼノが座り込んでいる。ゼノの服が泥と灰で汚れていた。手の平に、新しい擦り傷。二日歩く予定だったはずの男が、半日で戻っている。
「途中まで歩いた」
ゼノが言った。
「歩きながら、変なもの拾った」
拾ったものを踊り場の床に置く。油紙に包まれた、厚さ二指分の文書束。
「点検路の床に落ちてた。運んでる途中で落ちたのか、誰かが置いたのかは分からない」
俺の指が、油紙の角で止まった。
「中身は」
レナが先に聞く。
「俺は読まない」
ゼノはそれだけ言って、踊り場の壁にもたれた。
俺は油紙を解いた。文書束は薄い紙が二十枚ほど。
一枚目を抜く。角ばった古代文字。三階・七階・九階で見たのと同じ書体だ。
数字の配列が違う。文書の上端に、素数が十二個並んでいる。三、五、七、十一、十三、十七、十九、二十三、二十九、三十一、三十七、四十一。
九階の鍵と同じ数だ。だが構造が違う。
俺は最初の一文字に、三を当てた。順序表で引く。読めない記号が出る。次の文字に五を当てる。読めない。
三文字目に七。ここも外れる。
四文字目に十一。五文字目に十三。そこで、離れた二文字だけが浮いた。
装、置。
息が止まる。一行ごとじゃない。鍵が、文字ごとに切り替わっている。
息を吸う。素数を一文字ずつ順に当てる。十二個目で頭に戻る。
三行目で、意味が結んだ。
装置(欠損)信号(欠損)此ノ世ノ外ヘ送ル。
此ノ世ノ外。
四文字を、もう一度読む。指が紙の上で止まる。
二枚目に手を伸ばした。
レナが、俺の手首を押さえた。
「ここまでだ」
「まだ、あと十九枚あります」
「明日に回せ」
レナは俺の手首を離さない。
「今日のお前は、もう深く入りすぎてる」
俺の指が、紙の上で止まった。
ゼノが踊り場の床から立ち上がる。油紙を畳み直して、文書束を俺の鞄に滑り込ませる。
「持って帰れ。明日、また読めばいい」
レナの手が、俺の手首から離れた。
レナが先に梯子を下りた。靴音が踊り場の下で消える。
ゼノは下りなかった。踊り場の床を見ていた。一拍。
「あと、もう一つ」
「はい」
「地下に、あんたの姉さんの荷物があった」
外套のポケットの紙の上で、指が止まった。
「文書とは別の場所だ。点検路の脇に、小さな部屋がある。中に、荷物が一つ。鞄じゃない、もっと小さい何か」
俺は、何か言いかけた。言葉が出ない。
ゼノが梯子を下りた。靴音が遠ざかる。
踊り場に、俺一人が残った。
雪が、木の床に積もり始めている。指の関節が冷たい。
外套のポケットに手を入れる。姉の手紙の控え、今朝の通知書、三人で重ねた地図。鞄には、新しく入った文書束。
胸の側で、紙の重さが、四つになった。




