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零域の第三王子 〜命の使い道をひとつしか知らなかった俺へ〜  作者: 雲雲く
第一部:幼少期編

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第25話 七歳の誓い


 王国歴1254年、春。七歳の誕生日を迎えた朝、アルヴィンは正装の襟を整えながら鏡の前で小さく息を吐いた。肩にかかる布はまだ少し重く、胸元の刺繍は祝いの日らしく華やかだ。窓の外では庭師が花壇を整える音がしていて、湿った土と切られた草の匂いが風に混じっていた。


 去年までの誕生日は家族と近しい者たちに祝われる時間だった。だが今年は違う。六歳でD級へ到達し、訓練と測定の記録が王宮中へ知れ渡った今、祝宴は「祝い」と「観察」が一つになった場になる。アルヴィンはそのことを、もう理解していた。


 大広間へ足を踏み入れると、光が一気に押し寄せてきた。高い天井のシャンデリアが無数の火を揺らし、磨かれた床に金の反射を散らしている。楽団の弦はやわらかな旋律を奏でているのに、集まった貴族たちの視線は音より鋭かった。


「第三王子殿下、お誕生日おめでとうございます」


「昨年の測定結果には心底驚かされました」


「本日の成長も楽しみにしております」


 祝辞の形を取ってはいるが、言葉の芯には期待だけでなく値踏みがある。アルヴィンは一人ずつに礼を返しながら、その温度差を丁寧に受け流した。にこやかな顔のままでも、誰の目が純粋な好意で、誰の目が計算を含んでいるかくらいは分かる。


「疲れてない?」


 横から差し込まれた柔らかな声に振り向くと、エリザベスが微笑んでいた。薄い香油の香りがふわりと漂い、張りつめていた肩の力が少し抜ける。


「大丈夫です、お母様」


「無理に背伸びしなくていいのよ。今日は祝われる日なんだから」


「祝われるだけの日なら、もっと気楽だったと思います」


 小声で返すと、エリザベスは目元だけで笑った。


「分かってるわ。でも、それでもちゃんと立っていられるのは立派よ」


 頭に触れた指先は温かく、緊張でこわばっていた思考をゆるめてくれる。前世では、こういう一言で落ち着く感覚を知らなかった。


 少し遅れてレオナルドが現れ、いつものように肩を軽く叩いた。


「七歳か。もう木剣の振りもそれなりになってきたし、次の一年はもっと忙しいぞ」


「祝いの言葉が訓練前提ですね」


「それが俺なりの祝辞だ」


 豪快な笑い声に、近くの空気が少しだけ和む。こういう場でもレオナルドは変わらない。そのまっすぐさに助けられることは多い。


 最後にヴィクトールが近づいてきた。周囲の目がわずかに集まるのが分かる。王太子と第三王子。その並びに意味を見出したがる者は、今日この場にも大勢いる。


「おめでとう、アルヴィン」


「ありがとうございます、兄上」


 ヴィクトールは短く頷くだけで、それ以上は言わなかった。だが、去年までの冷たさと同じではないことは分かる。そのわずかな違いだけで、胸の内側が少し温かくなった。


 祝宴の中盤、楽団の曲が止み、司会役の廷臣が中央へ進み出た。


「これより、恒例の魔力測定を執り行います」


 ざわめきが広がる。広間の空気が一気に研ぎ澄まされ、さっきまで食器と会話で散っていた意識が一点へ集まっていくのを感じた。


 測定室は大広間に隣接した高い天井の部屋だった。中央の台座に大きな水晶球が据えられ、その周囲を銀の補助輪が取り囲んでいる。窓は半分閉じられ、外光を抑えたぶん、室内の空気は少し冷たい。アーロンが台座のそばで待っており、白い髭を撫でながら深く一礼した。


「アルヴィン殿下、どうぞ」


 アルヴィンは水晶球の前に立ち、ゆっくり呼吸を整えた。掌を近づけると、表面から硝子に似た冷たさが立ち上ってくる。次の瞬間には、触れた皮膚の奥へ微かな痺れが走った。


 魔力が流れ込む。


 水晶球の中心がまず淡く光り、遅れて外周へ波紋のような輝きが広がった。青白い光は去年より明らかに密度が高い。補助輪の刻印が一つずつ順に灯り、室内の壁へ反射した光が白く跳ね返る。誰かが息を呑む音が、静まり返った部屋ではやけに大きく聞こえた。


 光が収まり、アーロンは表示盤へ視線を落とした。老魔導師の指先がぴたりと止まる。驚きは一瞬だったが、その一瞬だけで十分だった。


「結果を申し上げます」


 声は慎重に抑えられている。それでも震えを隠しきれていない。


「アルヴィン殿下の魔力ランクは、C級です」


 静寂が先に来た。


 そのあとで、室内の空気が弾けた。


「七歳でC級だと?」


「早すぎる」


「王家の記録でも前例がないのでは」


 驚愕の声が幾重にも重なる。誰かの袖が擦れる音、足元を動かす気配、扉の近くで記録官が慌てて筆を走らせる紙の音。空気そのものが騒いでいた。


 アルヴィンは歓声の中心に立ちながら、半歩ぶんだけ冷静な自分を保っていた。嬉しくないわけではない。確かに積み上げてきた結果だし、自分でも誇らしい。だが同時に、この数字がまた別の波を呼ぶことも理解している。


 そのざわめきの中で、カールだけは静かだった。玉座脇から測定室を見つめる金の瞳は細く、口元にわずかな笑みがある。


「順調だ」


 それだけだった。だが、短い一言に込められた確信は、周囲のどんな大声よりも重かった。


 測定のあと、舞台は隣接する訓練庭へ移された。祝宴の招待客は半円形に並び、その中央に標的板が三枚据えられている。春の空は高く、薄い雲が流れるたびに光がわずかに揺れた。


「祝賀の演目として、第三王子殿下より魔法の披露があります」


 紹介が入る。視線が一斉に集まる感覚は、やはり慣れない。だが今は逃げないと決めていた。見せるなら、意図まで含めて見せる。


 アルヴィンは標的との距離を測った。二十歩弱。風は右から左へ弱く流れている。後方には十分な空間があり、誤差が出ても観客側へ流れる配置ではない。


「三属性複合魔法【トライアド・フレアボルト】を披露します」


 ざわめきがもう一段高くなる。三属性という言葉だけで反応が変わるのが分かった。


 右手に火の熱を集める。掌の上で赤が脈打ち、指先を乾かす。左手には風を薄く巻き、手首の周囲で冷たい流れを回す。最後に雷を身体の芯へ通すと、骨の近くを細い震えが走った。三つの流れは性質が違う。混ぜるのではなく、ぶつからない軌道を先に作る。前世の理屈で言えば多層処理だが、今必要なのは式ではなく感覚の精度だった。


 火を軸にし、風で形を保ち、雷で貫通力を与える。


 魔力を絞る。広げすぎれば暴れる。細すぎれば失速する。


 掌の前で三色の光が螺旋を描き、一瞬だけ均衡点へ収束した。


「行け」


 放たれた光はまっすぐ標的へ走った。着弾の直前に雷が先行し、遅れて火と風が巻き込む。閃光、衝撃、熱。爆音が庭へ弾け、標的板の一枚目が内側から裂けた。続けて二枚目まで貫かれ、三枚目の表面を焼き焦がして止まる。


 焦げた木の匂いと、空気を裂いた後の金属臭い残滓が鼻へ入る。衝撃で頬に当たった風は熱く、耳の奥でまだ余韻が鳴っていた。


 観客の反応が一瞬遅れる。その遅れが、むしろ衝撃の大きさを物語っていた。


「三属性を、あの年齢で」


「しかも制御している」


「出力だけではないぞ」


 今度のざわめきは、さっきより質が重い。単なる驚きではなく、評価の声だ。アルヴィンは一礼したが、立ち上がった瞬間に軽い眩暈がきた。魔力消費は大きい。体内が少し空洞になったようで、指先から力が抜けそうになる。


 それでも膝は折らない。無理をして連発する場面ではないし、ここで倒れるのは一番雑だ。


 退くために一歩下がったところで、前列にいたヴィクトールと目が合った。兄は表情を変えなかったが、視線だけが「そこでやめろ」と告げていた。アルヴィンは小さく頷き、二発目を求める空気をあえて無視して舞台を下りる。


 その判断に気づいたのか、カールが廷臣へ短く何か指示した。すぐに楽団が入り、庭の空気は強引に祝宴の流れへ戻される。余韻を政治の材料に変えたい者たちは多いだろうが、少なくとも今この場では、父が主導権を握っていた。


 夜。祝宴の喧騒がようやく遠のき、私室へ戻ると机の上に一通の封書が置かれていた。白い封蝋に刻まれた紋章を見た瞬間、胸の奥の張りが少しだけほどける。エルデンベルク家の印だった。


 椅子に腰を下ろし、丁寧に封を切る。紙からはかすかに花の香りがした。王宮の香油とは違う、庭で摘んだ花をそのまま押し込めたような素朴な香りだ。


『アルヴィン様へ


 七歳のお誕生日、おめでとうございます。


 お祝いの席に伺えず、残念でした。


 こちらでは春の光がきれいで、庭の花も前よりたくさん咲いています。


 魔法の訓練は相変わらず難しいですが、少しずつ前に進めています。


 以前お話しした約束、私は今も覚えています。


 十歳になったら、一緒に学院へ行く約束です。


 それまで、どうかお元気で。次にお会いする時に恥ずかしくないよう、私も頑張ります。


 セレナ・エルデンベルク』


 読み終えたあとも、しばらく紙を閉じられなかった。昼間は数百の視線の中に立っていたのに、たった一通の手紙の方がずっと近くへ届く。


「覚えてるよ」


 誰に聞かせるでもなく呟く。約束は、単なる子どもの口約束では終わらなかった。相手も同じように覚え、同じように先を見ている。その事実が、祝宴のざわめきで荒れた心を静かに整えてくれた。


 十歳。学院。再会。


 言葉にして並べると、未来が少しだけ手触りを持つ。


 深夜、扉が静かに叩かれた。


「どうぞ」


 入ってきたのはカールだった。祝宴の正装のままだが、玉座にいる時の威圧感は少し薄い。部屋へ入るなり、父は窓際ではなくアルヴィンの向かいにある椅子へ腰を下ろした。


「疲れたか」


「少しだけ」


「それでいい。全部平気な顔をする必要はない」


 思いがけない言葉だった。アルヴィンは思わず瞬きをしたが、カールは気にせず続けた。


「今日の測定も魔法も見事だった。だが、拍手の大きさで自分の価値を決めるな」


 低い声は短いのに、耳へ真っ直ぐ届く。


「称賛は力になる。だが、酔えば足場を失う」


「はい」


「逆に、怯える必要もない。お前は結果を出した。積み上げた分だけ、胸を張れ」


 父はそこで一度言葉を切り、机の上の手紙へ視線を向けた。


「学院へ行きたいか」


「行きたいです」


 答えはすぐに出た。セレナとの約束があるからだけではない。王宮の外にある世界を、自分の目で見たいという気持ちももうはっきりしている。


「なら十歳で入れ」


 カールは頷いた。


「王宮の中だけで育つには、お前の世界は狭すぎる。学院で競え。友を作れ。お前より遅い者も、速い者も、強い者も、弱い者も見るといい」


 その言葉は、ただ強くなれという命令ではなかった。強さの置き場を広げろという話に聞こえた。


「そこで学ぶのは魔法だけですか」


 尋ねると、カールはわずかに口元を動かした。


「むしろ人間の方だ」


 短い答えに、アルヴィンは背筋を伸ばす。


「王宮では、お前が何をしても肩書が先に立つ。学院でもそれは消えん。だが、それでもなお残るものがあるかを見ろ」


「はい」


「それがなければ、王でも魔導師でも長くは立てん」


 父の言葉には、経験で削られた重みがあった。雷帝と呼ばれる男が、強さそのものより先に人を見ることを語る。その事実が、アルヴィンには少し眩しかった。


 カールは立ち上がり、アルヴィンの肩へ大きな手を置いた。鍛えられた手の重みは確かで、押しつけがましさがない。


「今日のお前を、私は誇りに思う」


 その一言で十分だった。王としての評価ではない。父としての言葉だと分かるから、胸の奥へ深く落ちてくる。


「ありがとうございます」


「力はお前のものだ。だが、お前自身は数字でも噂でもない。そこを取り違えるな」


「忘れません」


 カールは満足そうに頷き、手を離した。


「ならいい。休め。次の一年は、今年より早い」


 部屋を出ていく背中が扉の向こうに消えると、静寂が戻る。だがさっきまでの静寂とは違う。胸の中に、熱を保ったまま沈んでいくものがある。


 アルヴィンは窓を開けた。夜気はまだ少し冷たく、昼の熱を奪った肌へ心地いい。庭からは遅咲きの花の匂いが上がり、遠くの見張り塔で交代の鐘が一つ鳴った。


 七歳になった。


 C級へ届き、三属性複合を公に見せ、貴族たちの視線はさらに鋭くなるだろう。それでも、今日一日の終わりに胸へ残ったのは歓声ではなかった。母の指先の温かさ。ヴィクトールの無言の制止。レオナルドの笑い声。セレナの手紙。父の重い手。


 守りたいものは、前よりずっとはっきりしている。


「誓おう」


 夜空を見上げ、小さく言葉にする。星は多く、月は薄い。祝福のように見えなくても構わなかった。誓いは誰かに聞かせるためではなく、自分の中で形を持てばいい。


 拍手にも噂にも呑まれない。力に溺れない。大切な人を守れるだけの強さを手に入れる。


 前世とは違う人生を生きるなら、孤独に閉じるためではなく、繋がったものを守るために進みたい。


 アルヴィンは窓辺で拳を軽く握った。握りしめるというより、逃がさないように包む力だった。


 七歳の夜は静かに更けていく。だが胸の内では、新しい目標がもう確かな輪郭を持って燃え始めていた。


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