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零域の第三王子 〜命の使い道をひとつしか知らなかった俺へ〜  作者: 雲雲く
第一部:幼少期編

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第14話 兄の影


 中央棟上階の私室。午後の光が長窓から差し込み、床の石目を白く照らしていた。ヴィクトールは窓辺に立ち、下の中庭を見下ろす。


 訓練区画では弟のアルヴィンが術式を繰り返していた。小さな掌に火と風を同時に束ね、渦へ組み上げ、崩さず解く。周囲の宮廷魔導師が記録板へ書き込むたび、賞賛の声がひとつ増える。


「四歳であの再現率か」


「殿下は将来、とんでもない領域へ行かれるでしょう」


 窓越しに届く言葉を、ヴィクトールは表情を変えず聞いた。胸の奥だけが、じわりと熱くなる。


 第一王子として求められるのは結果だ。剣も魔法も、学問も礼法も、人並み以上には積み上げてきた。だが最近は、努力の量より比較の方が先に来る。


 十三歳、魔力ランクC。数字だけ見れば王家の後継として不足はないはずだった。


 突きつけられる事実は残酷だった。弟は四歳でランクE+域、しかも複合術式を安定させ始めている。注目が移るのは当然だと、理屈では受け入れられる。


 それでも先日耳にした話が、胸の奥に引っかかっていた。学院見学の帰り、アルヴィンが父に「同じ年頃の友達が欲しい」と漏らしたという。弟もまた孤独を抱えている。そう理解してなお、感情だけが静まらない。


 その日の公開訓練は、年に一度の王都行事だった。王族が民の前で剣と魔法を示し、国を守る意思を可視化する場。次期国王であるヴィクトールにとっては、毎年欠かせない責務でもある。


 午前中、ヴィクトールは西翼の執務室で、国境見回りの報告書を二件確認していた。巡回を増やせば訓練時間が削れ、減らせば夜警の不安が増える。

 どちらを選んでも、誰かの負担になる。王太子の判断は、剣のように一太刀で決まるものではない。


「公開訓練の時刻、後ろへ回しますか」


 副官の問いに、ヴィクトールは首を振った。


「予定通りでいい。責務の順は変えない」


 報告を終えると、彼は公開訓練の準備室へ向かった。



 準備室には王家の紋章旗が掛けられ、磨かれた武具の金属匂いが薄く漂っていた。レオナルドが肩を回しながら言う。


「今年は人が多いらしいぜ。噂が広まってるからな」


「……だろうな」


 ヴィクトールは短く返し、手袋の革を引き直した。


 エリザベスはアルヴィンの襟元を整え、いつもの柔らかな口調で確認する。


「無理はしないで。決めた手順だけ見せれば十分ですよ」


「はい。乱れた時の立て直しまで、ちゃんとやる」


 幼い返答なのに、内容は実務的だった。ヴィクトールの指先がわずかに強ばる。そこへカールが歩み寄り、三兄弟を順に見た。


「今日は競技ではない。王家の責務を示す場だ。各自、役目を果たせ」


「承知しました」


 ヴィクトールが応じると、カールは一瞬だけ目を細める。


「お前は先頭だ。堂々と見せろ」


「はい、父上」


 中央訓練場は石造りの円形で、観客席のざわめきがすり鉢の底へ落ちてくる。春の乾いた風が旗を鳴らし、砂地の匂いに金属と汗の匂いが混ざっていた。


「第一王子、ヴィクトール殿下」


 呼名に合わせ、ヴィクトールは中央へ進む。視線が一斉に集まる重みは、鎧より重かった。


 先に剣を見せる。踏み込み、切り返し、連続の型。刃筋はぶれず、最後の止めでも重心は崩れない。観客席から感嘆と拍手が上がった。


 続けて火属性中級術式を展開する。詠唱を短く切り、火炎弾を標的へ直撃させると、乾いた爆音が円形場に反響した。標的の表層が焼け落ち、衛士が即座に消火へ走る。


「見事だ」


「次代の王にふさわしい」


 称賛は確かに届いた。だが安堵は長く続かない。次の呼名がすぐ響く。


「第三王子、アルヴィン殿下」


 空気が変わった。期待と好奇が入り混じったざわめきが、はっきり高くなる。


「あの神童か」


「四歳で複合だと?」


 アルヴィンは中央へ出ると、深く息を吸って両手を上げた。右に火、左に風。二属性が同時に立ち上がり、互いを崩さず噛み合う。渦の芯が定まった瞬間、観客席が息を止める気配が伝わった。


 複合術式【フレアサイクロン】。旋回する熱が砂を巻き上げ、標的に達したところで短い轟音が弾ける。標的は中央から割れ、燃えかすが赤く散った。アルヴィンはすぐ出力を落とし、残火を制御して無害化する。


 その収束まで見届けてから、観客席に大歓声が起きた。


「本物だ……!」


「……噂以上だ」


「第一王子殿下も見事だが」


「しっ。今は口にするな」


 最後の一言は、興奮に紛れてもヴィクトールの耳を刺した。


 続いてレオナルドが場を整えるように剣と風術を見せ、公開訓練そのものは予定通り終了した。だがヴィクトールの胸中で終わっていないものが残る。



 控室へ戻る回廊は静かだった。外ではまだ歓声の余韻が続いているのに、石壁の内側だけ温度が低い。ヴィクトールが立ち止まると、背後から小さな足音が近づいた。


「兄上」


 振り向く前に誰か分かる声だった。


「……何だ」


「さっきの訓練、兄上の剣、すごく綺麗で」


「やめろ」


 ヴィクトールは遮り、振り返る。アルヴィンは言葉を止め、両手を体の前で組んだ。


「お前は調子に乗るな」


 言った瞬間、自分の声が思ったより硬いと分かった。だが止められない。


「魔法で拍手を取ったからといって、それだけで上に立てるわけではない。王になるには、別の重さがある」


「……はい」


「責任も、決断も、負けを引き受ける強さも要る。才能だけでは足りない」


 アルヴィンは一呼吸置いて、はっきり答えた。


「兄上を尊敬しています」


 ヴィクトールの眉がわずかに動く。


「兄上はずっと、その重さを背負ってきた。ぼくには、まだできないことです」


「……」


「ぼくは、兄上の邪魔をしたいわけじゃない」


 真っ直ぐな目だった。慰めでも、言い逃れでもない。その真面目さが、今はかえって痛い。


「もういい」


 ヴィクトールは背を向ける。


「今は何を聞いても、同じだ」


 そのまま足早に回廊を離れた。追ってくる気配はなかった。


 数歩先の壁にもたれていたレオナルドが、すれ違いざまに低く言う。


「ヴィク。あいつ、煽ってたわけじゃない」


 ヴィクトールは足を止めない。


「分かっている。だから余計に腹が立つ」


「なら今日は終わりにしろ。次に話す時は、剣じゃなく言葉でやれ」


 回廊の角、旗柱の陰にカールが立っていたことに、ヴィクトールは気づかなかった。王は何も言わず、二人の距離だけを静かに見ていた。



 夜。西翼の執務室。厚い扉が閉まると、外の音はほとんど消えた。机上のランプが金色の光を落とし、羊皮紙の端だけを明るく照らしている。


 呼び出したのはカールだった。ヴィクトールが入ると、父は書類から目を上げる。


「座れ」


「はい」


「公開訓練は見ていた」


「……はい」


「お前の剣は良かった。火術も安定していた」


 褒め言葉のはずなのに、ヴィクトールはうまく頷けなかった。視線を落とす息子を見て、カールは言葉を続ける。


「だが、終わった後の顔がよくない」


 沈黙が伸びる。執務室の時計音だけが二人の間を刻んだ。


「アルヴィンと比べたな」


「……比べました」


「妬んだか」


 短く、逃げ道のない問いだった。ヴィクトールは拳を膝の上で握る。


「妬みました」


 答えると、少しだけ呼吸が楽になった。


 カールは椅子を引き、息子の正面に立つ。


「力だけで王は務まらない」


 低く、断定的な声だった。


「魔法は国を守る道具の一つだ。王に要るのは、選び、負い、最後まで立つ責任だ」


「例えば今日のような日だ」


 カールは窓外を顎で示した。

 城外巡回を厚くすれば安心は増す。だが城内の手は足りなくなる。式典警備を優先すれば、別の持ち場に皺寄せが出る。


「剣の勝敗のように、見えやすい正解はない」


 窓外の王都には、夜でも無数の灯りがあった。民の生活が続く光を見ながら、カールは続ける。


「お前はその訓練を続けてきた。だから第一王子としてここにいる。自分の積み上げを、他人との比較で捨てるな」


「……ですが、父上。あれほどの才を見せられると」


「脅威に見えるか」


「正直に言えば、はい」


「なら視点を変えろ」


 カールは言葉を切り、息子の肩へ手を置いた。


「あれは敵ではない。お前の弟だ。将来、お前の統治を支える力になる」


「支える、力」


「王は一人で国を持てない。家族も、臣下も、すべて使って守るものだ」


 ヴィクトールは俯いたまま、その言葉を反芻した。嫉妬が消えるわけではない。だが、その置き場を変えることはできるかもしれない。


 自分が今も弟に苛立っているという事実だけは否定できない。否認しても腐るだけだと分かっていた。なら、敵意のまま放置せず、少なくとも王族として壊してはいけない線を守る。


「……分かりました」


 カールは短く頷く。


「すぐ完璧でなくていい。だが、視線は前へ置け」


「はい、父上」


 執務室を出た後、石廊下の冷気が頬に触れた。さっきまで詰まっていた胸の奥に、わずかな隙間ができている。まだ苦い感情は残る。けれど、それを抱えたまま進む道筋だけは見えた。



 同じ頃、中央棟上階の私室でアルヴィンは窓辺に立っていた。公開訓練の余韻は消えず、胸の奥に兄の声が残っている。


 兄の言葉は鋭かった。責める調子の奥に、恐れと焦りが混ざっていたことも分かってしまった。だから余計に痛い。


 兄との溝をこれ以上深めたくない。だが才能を隠せば、王家の訓練体制そのものが崩れる。守秘も評価も、どちらも無視できない。


 どちらか一方を捨てれば、どこかが壊れる。今夜は結論を急がず、やるべきことだけ決める。アルヴィンは胸の内で、同じ言葉を一度だけ繰り返した。


「制御は続ける。兄上との距離は、急がず詰める」


 窓の外で夜風が木立を鳴らした。変えられないものを数えるより、今やれることをやる。そう決めて、アルヴィンは寝台へ向かった。


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