表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
零域の第三王子 〜命の使い道をひとつしか知らなかった俺へ〜  作者: 雲雲く
第一部:幼少期編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/37

第13話 変わる世界


 王宮の朝は、いつも静かに始まった。だが、その静けさの中に向けられる視線だけが、ここ数日で明らかに変わっていた。


 廊下を歩けば、侍女たちは一歩引いて頭を下げる。以前のような同情ではなく、戸惑いと敬意が混ざった目だった。アルヴィンはその視線を受けるたび、自分の背丈が昨日までと同じなのに、周囲だけが急に遠くなったように感じていた。


 その日の朝、エリザベスが私室に来た。窓辺の薄布が春風に揺れ、薔薇の甘い香りが差し込む光に混ざっていた。


「アルヴィン、起きているかしら」


「はい。おはようございます、お母様」


 エリザベスはベッド脇に腰を下ろし、息子の髪を整えるように指を滑らせた。その仕草は柔らかいのに、声には少しだけ改まった響きがあった。


「今日から、訓練の体制が変わるの。実技はミハイル様、理論確認はアーロン様。あなた専用の進行表で進めるそうよ」


「専用の、進行表」


「ええ。無理をさせないための配慮でもあるって、アーロン様が」


 特別扱い。頭では必要だと理解していても、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に小さな重さが沈んだ。


 大人たちは彼の才能を守ろうとしている。その判断は正しい。だからこそ、アルヴィンは表情を崩さずに頷いた。


「分かりました。ちゃんとやります」


「ありがとう。あなたの歩幅でいいのよ」


 額に落ちた口づけは温かかった。けれどその温度が、かえって自分が「守られる対象」になった現実を強く意識させた。


 訓練棟の地下室は、石壁に刻まれた抑制陣の淡い光で満たされていた。低い唸りのような魔力音が床から伝わり、靴裏に微かな振動を残す。


 先に口を開いたのはミハイルだった。灰色の短髪、無駄のない立ち姿。挨拶も動きも短い。


「おはようございます、殿下。今日は再現率を見ます。威力は不要、安定だけを取ります」


「はい!お願いします」


 記録卓の横でアーロンが書板を整え、穏やかに補足した。


「本日の目的は『出せる』ではなく『崩さず繰り返せる』ですな。前回できたことを、同じ条件で三回。そこまで確認できれば十分でしょう」


 訓練は淡々と進んだ。火、水、風。順番、出力、停止位置。ミハイルは毎回同じ言葉で指示し、ズレが出ると即座に区切った。


「停止。呼吸を戻してください」


「次へ進みます。今の半分で」


「そのまま角度で、維持してください」


 アルヴィンは言われた通りに魔力を流し、切り、整えた。できてしまうこと自体は嬉しいはずなのに、心のどこかは空いたままだった。成功のたびに褒められても、胸の中心にある空白が埋まる気配はなかった。


 三巡目を終えると、アーロンが書板から目を上げる。


「安定しています。年齢を考えると十分以上ですな。ただし、周囲の期待が上がるほど負荷も増えます。日ごとの記録は続けましょう」


 合理的で正しい言葉だった。ミハイルも短く頷く。


「本日はここまで。よく維持できました」


 訓練室を出ると、廊下の衛士が背筋を正し、以前より深く礼をした。四歳の王子に向ける礼としては過剰なくらいに。


 アルヴィンは軽く会釈して通り過ぎた。背後で扉が閉まる音が、思ったより硬く響いた。


 次の角を曲がると、侍従が小さな板札を抱えて待っていた。今日の予定表だった。午前は実技、午後は休息を挟んで理論確認、夕方は家族同席の短い報告。四歳児の一日としては、あまりにも整いすぎている。


 その整然さに守られているのは分かる。だが同時に、予定表は「一人で自由に遊ぶ余白」がどこにもないことも示していた。アルヴィンは板札に視線を落としたまま、次の移動時刻を頭の中で数えた。


 午後の理論確認は、書庫脇の小部屋で行われた。机上には年齢相応の絵本ではなく、属性干渉の簡略図と制御記録の写しが並ぶ。アーロンは語気を上げず、必要な箇所だけ指先で示した。


「本日の火属性は立ち上がりが速すぎますな。悪いことではありませんが、実戦では味方の防護準備より先に出る恐れがあります」


「先に出す量を、少し削る?」


「ええ。初動を一段抑え、二秒目で上げる。殿下なら可能でしょう」


 助言は的確だったし、難しすぎもしなかった。褒められるというより、仕事の相談のように言葉が返ってくる。その空気に応えられる自分は嫌いではない。けれど、胸のどこかは空いたままだった。


 昼下がり、気分を変えようと庭園へ出た。噴水の水音は軽く、陽光を受けた飛沫が白く散っている。風に運ばれる土の匂いは温かく、春の匂いそのものだった。


 低木の向こうから子どもの笑い声が聞こえた。侍女の家族だろう、同じくらいの年頃の子どもが四人、芝生の上で追いかけ合っていた。転びかけては笑い、すぐ立ち上がってまた走る。その無駄のない楽しさに、アルヴィンの足が止まった。


 少し迷ってから、彼はゆっくり近づいた。ひとりの男の子が最初に気づき、次の瞬間、全員の動きが止まる。


「あっ……アルヴィン王子」


 笑顔が消え、代わりに緊張が並んだ。年齢に不釣り合いな硬さだった。


「遊んでたんだね」


「は、はい」


 沈黙が伸びる。アルヴィンは勇気を出して続けた。


「ぼくも、少し入っていいかな」


 誰もすぐには答えなかった。視線が互いに泳ぎ、やがて女の子が小さく首を振る。


「その……わたしたち、失礼があるといけないので」


 責める気にはなれなかった。アルヴィンが一歩下がると、子どもたちの肩から同時に力が抜ける。それで十分だった。


「うん。声をかけてくれてありがとう」


 そう言って下がると、背中越しにほっとした呼気が重なって聞こえた。胸の奥が静かに痛んだ。


 庭園の回廊へ戻る途中、通りかかった侍女二人の会話が耳に入った。声は抑えていたが、完全には届かない距離ではなかった。


「殿下、やっぱり特別なお方ね」


「ええ。でも、まだ小さいのに……」


 そこで二人はアルヴィンに気づき、慌てて頭を下げた。彼は何も言わず通り過ぎた。悪意のない言葉でも、子どもに向けるには重いと分かってしまう年齢の自分が、少し嫌になった。


 年の近い子どもはいる。けれど、自分と同じ地面の上に立ってはくれない。今の王宮で「ただの友達」を作るのは難しい。アルヴィンは噴水の縁に手を置き、水の冷たさで呼吸を整えた。


 数日後、カールが外出を告げた。朝の謁見を終えた後の短い時間、父は王としてではなく父の顔で言った。


「今日は魔法学院へ行く。見るだけだ」


「王立魔法学院に?」


「ああ。お前が目指す場所を、自分の目で見てこい」


 馬車は王都の石畳を進み、やがて高い塀に囲まれた学院門へ着いた。門柱の紋章は陽を受けて白く光り、敷地の奥には訓練場と塔が重なって見える。遠くから詠唱の声と着弾音が規則的に届き、空気には焦げた匂いが薄く漂っていた。


 案内役の学院長が一礼する。


「陛下、アルヴィン殿下。お迎えいたしました」


 まず見せられたのは屋外訓練場だった。年上の生徒たちが二人一組で術式を確認している。片方が放ち、片方が防ぐ。失敗すればすぐに位置を変え、何が崩れたかを短く言葉にして次へ進む。怒鳴り声ではなく、実務的な声が飛び交っていた。


「角度を三度下げて」


「了解、もう一回」


「今のは良かった」


 その連携が、アルヴィンには眩しかった。上手い下手より、同じ目標を共有している空気そのものが欲しかった。


 図書棟へ移る途中、カールが横目で息子を見た。


「どうだ」


「すごいです。みんな、ちゃんと一緒に学んでる」


「そうだ。ここでは一人で強くなるだけでは足りん」


 短く言い切る父の声に、学院の石壁が低く反響した。


 研究棟では、複数の机に術式図が広げられていた。年上の生徒が議論し、教員が要点だけを返す。講義室でも、教師は正解を急がず、生徒に順番に根拠を述べさせている。


 図書棟の閲覧室では、二人の生徒が同じ本を覗き込み、失敗した注記ごと机の上に広げていた。アルヴィンはそのやり取りを目で追う。上手さだけでなく、途中の迷いまで共有して進んでいく空気があった。


 ここなら、一人で強くなる以外の術も学べるのかもしれない。


 見学の終盤、学院長が慎重に切り出す。


「殿下ほどの資質であれば、将来的な早期履修制度も検討可能かと」


 カールは即答した。


「急がせない。入学は規定通りでいい」


「承知しました」


「まだ四歳だ。削っていい時間ではない」


 王としての断定であり、父としての線引きでもあった。アルヴィンはその言葉に救われる思いがした。期待は消えないが、少なくとも急かされはしない。


 帰りの馬車で、カールはしばらく窓外を見たまま黙っていた。やがて、前を向いたまま問う。


「アルヴィン。お前は、友達が欲しいか」


 唐突だったが、逃げる気にはなれなかった。


「欲しいです」


「どんな友達だ」


「いっしょに練習して、失敗しても笑える友達です」


 カールは一度だけ頷いた。


「なら、そこへ辿り着け。焦るな。場所は用意する」


 短い言葉だったが、約束として十分に重かった。


 馬車が王宮門をくぐる直前、アルヴィンは振り返って学院の塔をもう一度見た。距離はまだ遠い。だが遠いこと自体が、目標としては都合がよかった。届くまでに準備できる時間がある。


 夜。私室の灯りを落とした頃、エリザベスが温かいミルクを持って入ってきた。窓の外では虫の声が細く続き、部屋には蜂蜜の甘い匂いが広がった。


「今日は学院を見てきたのよね。どうだった?」


「すごかった。ぼくも、あそこに行きたい」


「そう。きっと行けるわ」


 少し間を置いてから、エリザベスは息子の顔を覗き込む。声がさらに柔らかくなった。


「アルヴィン。寂しくない?」


 一瞬、言葉が詰まった。胸の内をそのまま出せば泣いてしまいそうで、アルヴィンは先に笑顔を作った。


「大丈夫」


 すぐに返したのに、エリザベスの瞳は誤魔化しを見逃さなかった。母はカップを机に置き、両手で息子の手を包む。


「無理しないでね。あなたはまだ4歳なのよ」


 その言葉は、王子でも神童でもなく、ただの子どもとして呼び戻してくれる声だった。


「寂しい時は、寂しいって言っていいの。頑張ることと、我慢することは同じじゃないわ」


 アルヴィンは俯いた。膝の上で握った手が熱い。喉の奥が硬くなる。


「……うん」


「あなたがどれだけ賢くても、わたしにとっては大切な息子よ」


 抱き寄せられると、胸に押しつけていたものが少しだけ崩れた。涙が落ちても、母は何も言わず背を撫で続けた。


「明日も訓練はあるけれど、終わったら庭を歩きましょう。成果の話じゃなくて、花の話をしましょうね」


「うん」


「約束よ」


 子どもらしい約束を交わしただけで、呼吸が少し深くなった。エリザベスは最後に頬へ触れ、灯りを一段落として部屋を出ていった。


 その夜遅く、ひとりでベッドに入った後も、アルヴィンはしばらく眠れなかった。天井に薄く差す月光を見ていると、前世の研究棟の廊下と、自販機の苦い缶コーヒーの味がふっと蘇る。


 あれも孤独だった。だが自分で選んだ静けさに近い。


 今の孤独は違う。王子で、転生者で、神童と呼ばれるせいで、笑い方まで相手に迷わせてしまう。


 それでも完全な無人ではない。今日、父は学院を見せ、母は寂しいと言っていいと教えてくれた。


 アルヴィンは枕元の記録帳を開き、一行だけ書く。


 学院へ進む。その時、誰かと並んで話せるだけの土台を持つ。


 ページを閉じると、胸の痛みは少しだけ軽くなった。向かう先が見えているなら、今の苦しさも進むための重さに変えられる。


 アルヴィンは目を閉じ、静かに息を整えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ