地球の日本
「君には明日の昼過ぎから夕方にかけて、□●*#▼星人に街を案内してもらいたい。空き時間に視察がてら街を散策したいそうだから」
大層ご立派な肘掛け椅子を音もなく回転させ、ガラス越しのビル群に向けていた体を僕の方に向け、長身痩躯のパク・イソン部長は厳かに告げた。
「□●*#▼星人? あのオウムアムアに乗って地球までやって来たと噂の? そんな希少種が日本にいたんですね」
「私も詳しくないが、なんでも先進国は軒並み彼らの視察対象だそうだな。日本は現在では対象から外されているが、三十年前まではリストに入っていたらしい」
「笑えないですよ、それ。いやでも、GDPはロシアと同水準なんだから、充分先進国に入りません?」
「ロシアは旧ソ連地域代表でもあるからな。日本とは事情が違う」
「奄美大島も割譲して、国土も排他的経済水域も狭くなる一方ですからね。たしかに、中国のおまけ扱いも仕方ないとは思いますが……」
「君と話をするとすぐに脱線するから困る。私がなんの話をしたのか、もう忘れているんじゃないのか」
「津軽海峡の件でしたよね。あの海峡を航行する船舶はロシアに――いやすみません、冗談です。□●*#▼星人に街案内、でしたよね」
「資料は今夜中に送るから、君はプランに沿って案内してくれればいい。言うまでもないことだが、先方に失礼のないようにね」
「通訳は例のアプリを使えばいいですよね。音声認識機能がついたあれで」
「いや、あれは使えない。あのアプリは四十国語だか四十五国語だかに対応しているが、□●*#▼語なんていうマイナーな言語には対応していないんだよ」
「じゃあ、どうするんですか。□●*#▼語の通訳を探して雇う――そんな人材が日本国内にいるんですか?」
「いないな。まず間違いなくいない」
即答し、腕組みをして背もたれに背中を預ける。古びた蝶番が立てるのにも似た音が鳴った。
「大変だとは思うが、任せられる人間は君しかいない。気を抜きすぎず、肩に力を入れすぎずにがんばってくれたまえ」
□●*#▼星人は彼らの慣習にのっとって輿に乗ってやってきた。最近とみに増えた、アフリカ系黒人の移民に担がせてのご登場だ。
「長旅でお疲れのところ、わざわざありがとうございます。本日案内役を務めさせていただく、ハギノ・アズサです。今日はどうぞよろしくお願いします」
僕は日本語で話し、日本の作法にのっとって頭を深く下げる。
全身は透き通った水色、輪郭が半ば大気に溶け出したようにぼやけた、全高八十センチほどの人型の生物は、ノーリアクション。言葉が通じているのか、こちらが挨拶をしていると把握しているのか、今僕にどんな感情や想いを抱いているのか、全てが闇の中だ。
パク部長から送られてきた資料は全て地球人では解読不能な言語でつづられていて――生粋の地球人である僕には、それが文字と呼べる代物なのかさえも疑わしかった――まるで役立たずだった。つまり、己勘と感性だけを頼りにもてなすしかない。
「では、さっそく案内しますね。輿での散策にいたしましょうか?」
待機中の輿を指差したが、□●*#▼星人は引き続きリアクションなし。目は口ほどに物を言うと言われているが、□●*#▼星人は目がついていないので心の中を読むのは困難を極める。判断が難しいところだが、指を指したのに振り向きもしないということは――目はないが顔はあるので、頭部が動けば分かるはずだ――利用の意思はないということか。
「それでは、徒歩で行きましょう」
歩き出す。□●*#▼星人はついてきた。正解だったらしい。歩幅に差があるので注意しなければ。話す内容よりもそちらの方が気にかかる。トークスキルにはそれなりに自信があるが、気配りは油断するとつい疎かにしてしまうから。
プランはある。ここは日本の首都・東京。だから東京らしい場所、日本らしい場所を案内したい。移動手段は徒歩。輿の継続利用を拒絶された時点で、歩き以外は除外だ。許された時間を考え合わせれば、案内できる場所は自ずと限定されてくるが、選択肢が少ない方が却って組み立てやすいというもの。
……などと強がりを言ってみたが、科された条件はきついと言わざるを得ない。言葉の壁もそうだが、それ以上に大きいのは、待ち合わせ場所近辺に観光地らしい観光地がないこと。その地点から徒歩で移動し、予定時間までに戻ってこられる距離にしか足を延ばせないとなると、案内できる場所は限りなく少ない。□●*#▼星人の目的は地球、日本国、東京都の視察なのだから、必ずしも観光名所を巡る必要はない。プランを完成させた時点で僕はそう結論しているが、不安は拭えない。丁重にもてなすべき異星人に失望されるのを避けたいのか、お眼鏡に適う場所に案内できなくて恥をかくのが嫌なのか、なんらかの不測の事態に巻き込まれそうで怖いのか。それは僕自身にも判然としないのだが。
「あの通りを真っ直ぐに進んだ先には、二十二年前に我が国の総理大臣が暗殺された広場があります。悲劇が起きたのは日曜日の昼前、毎週日曜恒例の青空市が開催されていて、総理は自身が所属する党の議員の応援演説を行っている最中でした。この事件の犯人に対する後任の総理大臣の発言が問題視され、それが遠因となって非自民党政権はわずか二年半で崩壊したんです。口は禍の元ということわざが我が国にはありますが、まさにそのとおりの出来事でした」
□●*#▼星人は頭をほとんど動かさない。僕の視覚では認識できないだけで、地球人にとっての目に該当する器官を絶えず動かしているのかもしれないが、通りの景色に関心を抱いているようにはとても思えない。僕が言っていることをどの程度理解しているのかも謎だ。ただ、僕の移動に合わせて斜め後ろをついてきてくれているので、常になにかしゃべって「異星人に街案内をする日本政府関係者」をそつなく演じておく。
「これは本場韓国料理の日本進出一号店ですね。食関係を筆頭に、美容、音楽にドラマと、ひと昔前と比べると韓国の文化もすっかり一般的になりました。若い女性を中心に支持されてきたのが、男女の区別なく、全年代に浸透してきた印象ですね。まあ私は、半島や大陸の、辛いだけで品性に欠ける料理はあまり食べませんがね」
こうして街を歩くのは久しぶりだが、本当に外国人が多い。ざっと見たところ五割強といったところか。もっとも、六割に含めたのは一目で外国人と分かる風貌の人間のみ。日本人に見えるが実は中国人や韓国人という場合も考えられるから、実際は七割に達するかもしれない。
街行く人々だけではない。店、ファッション、言語、全てにおいて外国のそれが目立つ。慎み深く、落ち着きのある日本の文化とは違い、厚顔無恥、どぎついのが特徴的な外国由来の文化は、実質以上の存在感を放っている。もともと数の上で日本人、ならびに日本の文化を上回っているうえに、図々しいまでに強く自己主張してこられると、八割ほど外国人が占めているという実感を覚える。八割というのは、もうここが日本なのか疑わしく思えてくる比率だ。
語調を保ちつつ口を動かし続けながら、僕は暗澹たる気持ちだった。日本はなぜこんな国になってしまったのか。どこで道を間違えたのか。外国人に支配された国、言いなりの国、美しくない国、弱い国……。
「現在地から徒歩でもアクセス可能な施設といえば、『東京都パンデミック資料館』が有名ですね。コロナウイルスが第二次パンデミックを引き起こしたとき、日本は厳格な入国規制を布いたんです。それを諸外国が、というかまあ中露なんですけど、中露が非人道的だの、前時代的だのとしつこくクレームをつけてくるうちに、欧米各国が同調し始めたんですね。自国でも似たり寄ったりのことをやっているくせに、棚に上げて。国際的に日本が悪いということになって、けっきょく規制は大幅に緩和されたんです。失われた信用を取り戻すべく、反省の意を示し、過ちを二度とくり返さない誓いを立てる必要があるということで、パンデミック関連の資料を展示する施設の建設が決まったんです。□●*#▼星人さんのコミュニティにおける感染症対策については、寡聞にして存じ上げないのですが、当時の日本は極めて特殊な立場に立たされていたので、閲覧する価値はあると思いますよ。徒歩での移動だと時間も少なくなってしまいますが、いかがされますか?」
振り向いたが、斜め後ろを歩いていたはずの□●*#▼星人の姿はなかった。
「え……。ちょ……」
慌てて周囲を探した。いなかった。警察に通報し、パク部長にも連絡を入れた。警察と同僚が現場に急行し、捜索した。
どこにもいなかった。
あれから五年の歳月が流れたが、□●*#▼星人の行方は杳として知れない。
日本国内で暮らす外国人は、五年前の十倍近くに膨らんでいるらしい。
外国人による犯罪が増え、外国人が持ち込んだウイルスがパンデミックを引き起こし、ならず者国家から飛来したドローンが日本海沿岸地域を攻撃するのが常態化した。
それでも、この国はまだ滅んでいない。




