梅花の下で
「噂によると、T駅村に怪物が出たらしいですね」
梅の花が笑っている。
その下に設えられた簡易な木製ベンチに、二人の男が並んで腰かけ、言葉を交わしている。
「問題なのは、怪物がどういう種類の怪物なのか、ということですが」
明瞭な発音、穏やかなしゃべりかたのフードを被った男は、そこまで言ったところで言葉を止めた。蓬髪の男が緩慢に首を回し、自分のすぐ隣に座る男へと顔を向ける。フードの男は、前方に広がる広大な玉砂利の大地の一点を見つめながら、
「意図が伝わりづらかったですね。実際に怪物なのか、比喩としての怪物なのか、という意味です」
「このご時世だとどちらもあり得そうだな。特に、T駅村のような特殊な場所だと」
「君はどう思います? 怪物は実在するのか。それとも、概念に過ぎないのか」
「さあ、分からんな。この目で見てみないことには、真実かどうかなんて断言しようがない」
蓬髪はフードから視線を逸らし、自らの肘に膝をついて頬杖をつく。眠たそうに半ば瞼が下りた双眸は、なにを見ているのか傍目からは判定できない。
「世界がこうなってしまった以上、あらゆることが現実になる可能性があるからな。まあ、なんでもありなのは以前の世界でも同じだった気もするが――もう忘れちまったね、昔のことなんて」
「時間の経過とは別種の断絶をもたらしましたからね、あの出来事は」
「怪物は暴れ回ったのか?」
「死人は出ていないみたいですよ。目撃者が何人かいて、高齢者が一名、仰天した拍子に腰を抜かしたという話は聞いています。なんでも多大なる恐怖を感じたそうですよ」
「『恐怖を感じた』という証言が残っているということは、そのじいさんだかばあさんだかは生き残ったわけか。つまり、怪物に襲われたわけではない」
「私が知る限りの情報から総合的に判断すると、どうやらそのようですね。つまり、人を食らうトラやオオカミのような存在ではない」
「怪物という呼び名がふさわしい存在かも怪しいんじゃないか? そのじじいだかばばあだかの反応だけを切り取ると、むしろ幽霊。……ああ、そういえば怪物の外見は?」
「それが、目撃者によって大きく異なるんですよ」
「具体的には?」
「雪だるまのようなボディから筋骨隆々な四肢が飛び出した個体。蛇のボディにカバの頭、粘液がしたたるほど分泌する複数の舌を持った個体。三メートルほどもある無毛で赤目の猿のような個体。ナメクジのような目が無数に突き出した球形の――」
「もういい。もうたくさんだ」
蓬髪は自らの顔の前で大きく手を振って言葉を遮る。声の大きさは据え置きだが、だるそうな、面倒くさそうな色は濃くなった。
「バラエティ豊か、まさしく怪物と呼ぶのにふさわしい連中なのはよく分かった。しかし、まさかとは思うが、あんたが即興でこしらえた作り話じゃないよな?」
「まさか。私はただ聞いた情報をそのまま君に伝えただけ。疑うなら自分の目で確かめてみなさい、という捨てゼリフじみた言葉しか用意できませんよ」
「行く気なんてないと分かっているのにか?」
「言葉とは無責任なものですから」
「ああ、そうかい。しかし、そんなにも多種多様な怪物が、同じ場所にいるものかね。常識的には考えられないな」
「常識など、もはやこのようになってしまった世界では通用しませんよ」
「言うと思った。ある意味分かりやすいやつだよな、あんたは。で、あんたの意見は?」
「実際にこの目で見ていないので推測に過ぎませんが、このような解釈はいかがでしょうか。T駅村に現れる怪物は一体のみ。しかし、見る人間によってその姿は変幻自在に変化する、という特性を持った怪物だった、というのは」
「面白い――と言いたいところだが、陳腐だな。解釈が深いようで全然深くない。子ども騙しの域を出てないよ」
「おや、お気に召しませんでしたか」
「まあ、『この目で見たわけじゃないから、なんとも言えない』よりは百倍ましだがな。ちなみに、見えかたが変わるのはどういう理屈からなんだ?」
「人によって違うということだから、人によって大きく違っているものの作用ではないでしょうか」
「心?」
「はい。ある哲学者によると、世界は観測者の数だけあるそうですから」
「つまり、その怪物は世界そのものってことか」
「世界の中の世界……。多次元世界、とい言葉で説明を試みてもいいものでしょうか」
「小難しいことは俺には分からん。ただ、話を聞けば聞くほど、その怪物は概念的なもののように感じられてくるな。まあ、必然の帰結ってやつなのかもしれない。なにせ世界というのは、ようするに概念でしかないんだから」
「お言葉ですが、世界とは実体でもあるんじゃないですか。私たちが呼吸し、身を置いているこの空間のことだって、世界と呼ぶでしょう」
「……ああ。そう言えばそうだな」
「つまり、T駅村の怪物は実体であり、概念でもある、ということではないでしょうか」
「なんだ、それ。くっそつまんねぇな。そんなくだらない結論に行き着くくらいだったら、最初からこんな話なんてしなければよかったぜ」
「いやいや、それでは味気ない。世界がこうなってしまって、やることは言葉を交わすくらいしかないんだから、会話はじっくりと展開しないと。そして、私がこうして君と会話しているのは、君の意見が聞きたいからでもあるんですよ」
「話を長引かせる一環として知りたい、という意味か?」
「その返しは捻くれすぎていますね。純粋な好奇心に決まっているじゃないですか」
「これも捻くれていると言われそうだが、それを承知であえて言うぜ。あんたはこんなところで俺と呑気に会話するんじゃなくて、T駅村に行ってきて怪物の正体をその目で確かめてみるべきだ。暇つぶしにもなるし、俺から本心を引き出そうとする労力だって節約できる。怪物に襲われるとか、T駅村民に酷い目に遭わされるとか、もろもろのリスクはあるが、なかなか悪いルートではないと思うぜ?」
「前向きなご提案、ありがとうございます。ごもっともな意見ですが、一つだけ反論させてもらうなら、T駅村民はこちらが危害を加えないかぎり危害を加えてこないと思いますよ。彼らがT駅に村を開拓した動機と経緯を考えれば、彼らが望んでいるのは平穏で秘話暮らしなのだから」
「おっ。その会話の転がしかた、もしかして乗り気?」
「まあ、そうですね」
フードは軽く肩をすくめた。蓬髪は一瞬、頭をわずかにフードの男のほうに動かした。
「ちなみに、君は行くつもりはないのですか?」
「ああ。俺はこの町で果てるまで暮らすつもりだ。俺の命か、この世界か、どっちがくたばるのが先かは分からんがな」
「私が怪物を殺せば、君ごと世界が終わるかもしれませんよ?」
「すすめておいてなんだが、あんたが乗り気なのは意外だね。暇つぶし以上の動機があるとかじゃないだろうな」
「いえ、そういうわけでもないのですが。ただ、特定の条件を満たすと仮定した場合、とても楽しい旅になると私は考えていまして」
「回り道ばかり選ぶその会話の傾向、俺は嫌いだね。あんたはいったいなにが言いたい?」
「私と二人でT駅村へ行かないか、と君を誘ったら、君はどう答えます?」
「まっぴらごめんだね」
蓬髪は頬杖を解除して前のめりの姿勢を是正、さらには腕組みをする。フードに聞こえるか、聴こえないかの音量でため息をついてから、
「俺はこの町でやらなければならないことがあるんだよ。なにがあってもこの町にい続けなくちゃいけないんだ。こんな終わった世界を歩き回っても面白くもなんともない。行きたいなら、T駅村にでもどこにでも勝手に行け。行きたくないなら、さっさとベンチから尻を上げて失せな。俺はいい加減昼寝がしたいんだ」
長袖シャツに包まれた細腕がほどかれる。蓬髪は上体を少し後ろに傾けて両手をベンチの座面につき、フードの横顔を凝視する。凝視されるほうは彫像のように微動だにしない。
「いや、待て。消える前に訊いておこう。なぜ俺を誘った?」
「世界はこんなふうになってしまいましたからね。旅をするには道連れがあったほうが、なにかと安心でしょう」
「何事にも動じないあんたが、ずいぶん弱気な発言じゃないか」
「違いますよ」
「あ?」
「道連れになってほしいうのは、恐ろしい思いをしたくないからではありません。このベンチから一人で去るのも、一人でT駅村に行くのも、私は両方とも受け入れられません。……それが私の意思、答えです」
蓬髪の双眸が見開かれる。フードは蓬髪を振り向きもしない。
蓬髪はフードの横顔から視線を切り、前方に広がる玉砂利の大地の一点に目を据える。微動だにせずに見据え続ける。
二人の頭上では相変わらず梅の花が笑っている。




