あの日の小隕石について
僕たちが住む町に小隕石が落ちた日のことは鮮明に覚えている。残暑厳しい、九月の終わりの朝のことだった。
その日そのときこの町にいた僕は、落ちる瞬間を見ていない。朝から蒸し暑かったから、窓を全開にしていた。その窓は、僕が書き物をしていたデスクの正面やや右に位置していたから、たとえば、秩序を保ちながら文字を連ねることに疲れて頬杖をつき、首から上のみを少し斜めに向けていたなら、その瞬間を目撃した数少ない一人に加われていたかもしれない。
ソフトボール大の隕石が、我が町を二分するように走る幹線道路のアスファルトにのめり込んだ瞬間、轟音が轟き閃光が炸裂した。
僕はなんらかの異常な音が遠方で響いたのを感じ、キーボードを打鍵する手を反射的に止めて窓外を見た。異常は認められなかった。YouTubeなどで観られる映像において確認できる、着弾地点から迸った光と、小隕石のものかアスファルト舗装のものなのか定かではない無数の破片は、僕の自宅の窓からは視認できなかった。唯一感じたのは、動画では映像の揺れと、撮影者の「うおお」とうめくような声で示唆された、衝撃波。窓が微かに震えるという形で僕はそれを観測したのだが、「ただの強く吹いた風なのでは?」と指摘されれば、強くは否定できない。記録を遡ったところ、確かにその日その時間帯に僕の町では強風が観測されていたし、窓ガラスの震えを感じた時点で、僕はそれを異常だとは認識していなかった。僕が小隕石の衝突時に感じた明確な異常は音だけで、その音が異常だと感じたのは、音の正体が不明だから。この世では起こり得ない、あるいは起こる確率が限りなく低い事象が発生したことによって生じた音だ、という意味での異常ではなかった。
音の正体を確かめたい、という思いは多少あったが、音量と響きから、発生したのは現在地から遠い場所だと聞いた瞬間に分かっていた。どうせ正体は突き止められない、という諦めから、僕は早々と執筆に戻った。
小隕石の衝突を知ったのは、それから約四十分後。筆が進まなくなってきたのでひと息入れようと、トイレをすませ、ベッドの上に無造作に投げ出しているスマホを取り上げると、ニュースアプリの速報の通知が入っている。速報の文章には、僕が住んでいる町の名前が含まれていた。胸騒ぎはしなかったが、大きなニュースを扱うサイトが、地方の小さな町の名前を含むニュース速報を出したことに激しく興味を惹かれ、通知をタップ。小隕石墜落の報に接したのだった。
関連するネットニュースを読み漁った。僕は人混みが嫌いなので、徒歩で一時間近く離れた現場まで足を運ぶことはなかったが、電車で出かけるついでに様子を確認しておこうか、と考えたことは何度かある。今は離れた街で暮らす旧い友人から小隕石について根掘り葉掘り尋ねられ、その期待に応えるように嬉々として、地元民だからこそ詳細に語り得る類の情報を話したことはある。しかし、客観的に見て、全体的に冷静に事態を受け止められたと自認している。同じ町内とはいえ、小隕石が降ってきたのは自宅からは近いとは言えない場所。目撃者になったわけではないし、直接被害を受けたわけではなかった。
もっとも、町全体を見た場合、影響を受けていないとは口が裂けても言えない。
人通りが多い通りのど真ん中に落下したにもかかわらず、奇跡的に怪我人は出なかった。通勤通学の時間帯が過ぎたばかり、まだ営業を始めない店も多くある、いわば空白の時間帯だったのが幸いした格好だ。車の通行はまばらながらもあったそうだが、落下した時点では、落下地点から二十メートルほど離れていた地点を走っていた一台が最短距離にいた車両。フロントガラスにひびが入り、ボンネットが傷ついたが、運転手に怪我はなかった。他にも二台の走行中の車両が被害を受けたが、いずれも軽微。もっとも大きな損害をこうむったのは落下地点付近に建っていた複数の店舗で、半壊した建物が三軒、一部が損壊した建物が数件出たが、いずれも怪我人はいなかった。出来すぎた偶然だと、ネット上で陰謀説を唱える人間が複数名現れたが、人がひしめく人口密集地帯ではないことを考えれば、単に不幸中の幸いだったのだろう。
人的被害はなかった。しかし、軽視できないサイズの異物、一歩間違えれば甚大な被害が起きていた可能性のある隕石が落ちたのだから、落ちた町の住人がなんの影響も受けないわけがない。
まず、メディア関係者が僕たちの町に押し寄せた。オールドメディアの記者たちから、ネットメディアの記者、有名どこからから無名まで様々なYouTuber。もちろん、町内外から野次馬も大量にやって来た。強硬なインタビュー、用もないのに通りをうろつく、ごみの不法投棄、私有地の不法侵入、などの被害や迷惑を近隣住人はこうむった。訪れた人たちが飲み食いしたため、飲食店は売り上げを伸ばしたが、しょせんは微増レベルの増加に過ぎなかったし、一過性の特需でしかなかった。
人口が増加したことで人間同士のトラブルが増えた。地元民と外部の人間が揉めることもあれば、外部の人間同士の対立もあった。外部の人間は誰もが喧嘩腰で、横柄で、身勝手。小隕石の落下という大ニュースがもたらした利益をせしめたい欲に囚われた彼らは、本質的に揉め事を起こしやすかった。一週間も経つころには、地元民は彼らが百害あって一利ない存在だと認定した。飲食店の売り上げが増加したり、インタビューの模様が全国ニュースで放送されて自分が有名人になったように錯覚したりと、小さな数々の利益がもたらされたせいで、気がつくのが遅れたのだ。
認定して以降は、ただひたすらブームが去ってくれることを願った。しかし、やがてオールドメディアの記者たちが去り、YouTuberたちが帰っても、小隕石目当ての外部の人間はひっきりなしに町を訪れた。大海原の只中でクジラが命を終えると、真っ先にサメが思う存分死肉を貪り、サメが去ったあとで小さな肉食の生物がおこぼれを食らうのにも似ていた。
嫌悪感を抱きながらも、地元民には実質的になす術がなかった。行き過ぎた行為には断固として抗議したが、焼け石に水という結果が募るにつれて、やがて抗議は形式的なものへと堕した。どうにもならない事象に対して拳を振りかざし、声を荒らげてエネルギーを浪費するよりも、いつか訪れる小隕石ブーム終焉まで大人しく耐え忍ぶ方が得策。地元民はそう懸命な判断を下したのだ。
しかし、悪夢が始まって一年と二か月が経った今でも、外部の人間が引き起こすトラブルはゼロになっていない。徐々に減って来てはいるが、さながらアキレスと亀のパラドックスのように、薄まりながらも引き延ばされて、引き延ばされて、永遠に続いていくのではないかと錯覚される。
僕は同じ町内とはいえ、現場から少し離れた場所に住居を構えているから、こうして比較的冷静に文章をつづれている。しかし、落下地点付近の住人がこうむっている迷惑と精神的な苦痛は、僕の想像を絶すると思われる。事実、一周年が過ぎたころから、外部の人間に対する地元民の振る舞いは攻撃的になっているようだ。
地元民を蝕んでいるのは、原因を取り除けばたちどころに完治する類の病なのだが、小隕石の利益を粗方食らい尽くしてもなお小隕石の利益のことしか頭にない外部の人間は、地元民は小隕石の利益を独占したいあまり外部の人間を排除しようとしているのだ、と決めつけ、ときに揶揄するように、ときに手厳しく、地元民を断罪した。それに刺激を受けたかのように、僕たちの町や町の住人への誹謗中傷がネット上に書き込まれるようになった。大衆の関心は小隕石そのものから、小隕石が落ちた町の人々に移行したわけだ。
少し距離を置いて騒動を眺めていた僕も、故郷を根拠もなく悪し様に言われたのでは捨て置けない。とうとう我慢が限界に達し、怒りの感情を理性的に処理するためにこうして文章を書き始めたが、それをネットにアップする勇気は湧きそうにない。
「……寝よう」
明日も仕事がある。少し早かったが消灯してベッドに潜り込み、夢を見た。神さまを思わせる長い顎髭の老人が僕に向かって一方的にこう告げたのだ。
「隕石はまた落ちる。必ずまた落ちる。騒動終息を願っても無意味、無意味」
「うるさいよ、あんた。なんで僕たちの町の運命を、見ず知らずのあんたに決められなければいけないんだ」
思わず吐き捨てた、その瞬間、二個目の隕石が僕の住む町に落ちる運命が確定したのだろう。




